第11話 閑話 執事ゴードンが見たもの
「ゴードン、旦那さまが執務室に来るように仰せだ」
訓練をしていた俺はトビアスに言われて、マクシミリアン公爵の執務室へ向かう。
トビアスは俺の執事仲間だ。執事と言っても、俺もトビアスも護衛や領地の管理も兼ねているから、半分雑用係りの気分だ。
それに見合った手当てが出るからこそ、頑張れるが。執事のほうが、ただの護衛より給料がいいから執事と呼ばれているだけのこと。
「旦那さま、御呼びでしょうか?」
「あぁ、ゴードン。この収支報告書について聞きたいことがある」
俺は執務室の扉を閉め、伺う。
収支報告書なら、先月の決算書のことか。
繊細な彫刻を施した重厚なマホガニーの机に近付いて、公爵の手元にある書類を見るとやはり決算書だ。
「様式が変わっているようだが?」
「はい、それはスティルルームメイドのマリーが手伝ってくれたものです」
「マリーが?」
「はい。彼女の母方は商会をしているそうで、決算書を手伝わせていることは旦那さまもご存知かと思いますが、彼女から決算書の様式の提案がありました。こちらの様式のほうが一目で財務諸表を把握しやすいかと思いまして、一部試験的にマリーの言う様式に変えてみた次第です」
マリーとは、公爵を狙った刺客を捕まえたときから、だいぶ仲良くなった。
この春、チンパンジーが朝に出没するという噂が立ったことがあるが、その元凶がマリーだった。何でも、訓練の一環として、走る・跳ぶ・登るの組み合わせ運動であるパルクールをしていたらしい。木から木へ飛び移る姿がチンパンジーに見えたのだろうか。
――おまえはメイドだろっ?
誰もがそう思ったようだが、元女騎士を目指していたということで、そこはスルーされたようだ。
旦那さまに近付こうとする不届き者という噂も聞いていたが、それにしてはおしゃれっ気がゼロだ。いや、むしろマイナスか。
メイドたちの中には貴族の令嬢もいるから、髪型から爪の先まで、メイドとしての職業にあっても、気を抜かず化粧をしているものだと思っていた。だが、マリーは手が荒れるのも気にならないようだ。
百キロはある穀物袋や、肥料袋も軽々と担ぐ姿を見かける。
メイドが肥料袋を担ぐなんてどうなのかと思うが、本人がにこにこしているのを見ると、訓練とでも思っているのかもしれない。
そんなマリーだが、意外な才能があった。
俺たちが執務室からの続き部屋で季節ごとの決算時期に書類とにらめっこしていたときだ。
いつものお菓子を旦那さまに給仕していたマリーは、俺たちにもお茶を入れてくれながら言う。
「こことここ、計算が違いますね」
「は?」
「あ、すみません。見るつもりはなかったのですが、目に入ってしまって」
「一瞬でこの七桁の計算をしたのか?」
「暗算は得意なのです」
斜め上から一瞬みただけで二つも間違いを見つけただと?
俺は思わず部屋にいらっしゃり、他の執事と話をしていた公爵に視線を向けたが、それを聞いた公爵も思うことは同じだったようだ。
「この中で計算間違いがあれば、チェックしてみろ」
公爵がそう声をかけると、マリーは喜々として公爵に近寄り書類を受け取った。声をかけられただけで、ぶんぶんと振られる、ないはずの尻尾が見えるようだ。確かに公爵の声は低音で素敵だと同性の俺でも思うが、顔を染めて嬉しがるほどなのだろうか。
数十枚の書類から、計算間違いを見つけるのにかかった時間は数分。
計算機も使わない。本当に暗算しているらしい。
それからは、決算の時期だけ公爵自ら手伝わせていた。
マリーから、様式の話を聞いたのは、ある休み時間。それを一部取り入れたことで、見やすくなったと思う。
領地経営の事務仕事がはかどることとなったのは、マリーのおかげだ。
最初は脳筋だと思ったが、そうでもないらしい。
貴族の中では最下位の男爵令嬢だし、マリーが旦那さまのことを好いていることは見ていたらすぐに分かるが、どう考えも釣り合わないと思っていた。だが、領地経営をする面から見たら、公爵の右腕としていいのかもしれない。
それに――
俺は知っている。
マリーの左薬指の虹色魔石は旦那さまから贈られたもので、そこまでは知っている者もいるが、実は公爵がわざわざ購入したものだという事を。
それも、俺の給料の一年半分のお値段。
たぶん、公爵の第二外務卿と筆頭魔術師としての給料からしたら二、三カ月分とかなのだろうけど。
魔石は高価だが、その中でも虹色魔石は希少品らしい。
マリーは「貰いものの魔石なんだって。護衛を頑張れよって意味での報酬だよ」と言っていたが、ちげーよっ!
高価な、それも指輪を贈るってことは、公爵もマリーを気にかけていると思うのだが、全然通じてないらしい。
そんなマリーが公爵の護衛としてある舞踏会に行くことになった。
舞踏会に行くには女性をエスコートしていなければならないから、女性役として、マリーが護衛も兼ねて行くのだとか。
一応、マリーも令嬢だけど。公爵が恥をかかなければいいが。
俺がそんな不安を抱いたように、それを聞いたメイドたちも同じことを思ったのだろう。
メイド仲間のフローラたちがマリー磨きに取り掛かった。まだ数日あるんだが。
女性は化粧や準備に時間がかかると言うけれど、早すぎじゃないのか?
今日の俺は護衛だ。舞踏会のある夕方、四頭立ての馬車の前で待つ。
パラディアンスタイルになっているお屋敷の二階部分、ピアノ・ノビーレの大扉から執事仲間に見送られて出てきたのはマクシミリアン公爵とすらっとした美女。
Oネックオフショルダーのロングドレスは、腰下の辺りまで体のラインが分かるデザインで、スタイルが余程良くないと着こなせない。
メイドに何か言うために後ろを振り返った。後ろ姿の首元はリボンに結ばれ、背中は大胆に開いていた。
バレリーナのように均整のとれたしなやかな広背筋とくっきり浮かぶ肩甲骨、すらっと伸びた背筋が高貴さを漂わせている。
どこのご令嬢だ?
ゆっくりと公爵にエスコートされて階段を降りてきた美女の左薬指にはまるのは虹色魔石。その魔石を見るまで完全に抜け落ちていたのはマリーのこと。
まさか!?
絶句する俺の隣で、トビアスがキャリッジの扉を開けながら歓喜を声に載せ言う。
「公爵さまと公爵さまにふさわしい美しいご令嬢を護衛させていただける幸運に感謝を」
一瞬公爵の動きが止まった、がそのまま馬車に乗られる。
「トビアス、ありがとう」
そう言う女性の声はやはりマリーのもので……。
トビアスは「俺の名前を知っていたぞ、まさか俺に気があるのか」と乗馬しながら言っていたから気づいていないようだ。
女性に人気があり、結構遊んでいるはずのトビアスが気づかないとは。
化粧で女性は化けるというが、まさか化けてあそこまで変わるのか。
舞踏会の会場についてからも、マリーの美しさは群を抜いていた。
可愛いく、可憐なタイプが好まれる風潮にありはするが、長身の公爵の隣に立つすらりとした美女はシミ一つない美しい肌に均整のとれたプロポーションが目立っていた。
いつの間にか護衛のはずが、護衛される側になっていた。
昨日のことは舞踏会が見せた夢だったのだろうか?
翌日、執務室にいた公爵にとある報告をしていたところへ入ってきたマリーの通常運転の姿に、思わず報告の口と手を止めてまじまじとマリーを見ていた、らしい。
顔は化粧で変わったとして、後は――
姿勢のいいのは分かるが、胸は寄せてあげたのか? メイド服とエプロンに隠れてよく分か――
ごほんっという公爵の咳払いで、我に返り公爵を振り返ると冷淡で険しい視線が俺に突き刺さる。
硬直し、吹き出る冷や汗が背中を伝う。
公爵は立ち上がり、給仕をしているマリーに斜め後ろから近付くと「昨日の髪型は似合っていたのに今日はしないのかい」と耳元で声をかけている。
真っ赤になったマリーは、持っていたカトラリーをガチャンと落としていた。
俺は急いで「もれがあったので、後でまた来ます」と言って退散した。
出て扉を閉める直前、ニヤリと口の端をあげている公爵の目線とぶつかった。
ちくしょう。さっさとくっつきやがれ!
俺は髪をかきむしりながら心の中で叫んだ。
そこにちょうどやってきたトビアスを見つける。
「熱でもあるのか? 顔が赤いぞ」
「昨日の令嬢が誰か分かったか?」
「ゴードン、誰なのか知っているのか!?」
目を輝かせて尋ねるトビアスに、言う。
「今、この中にいるぞ」
いそいそと扉を大きく開けるトビアスにだけ聞こえるように「あれはマリーだ」と呟いてからさっと踵を返し駆け去った。
屋敷にはトビアスの「嘘だぁああああああ!!!!!」という悲鳴に近い叫びが轟いた。
その後? 知らねー。
ただ、トビアスは一か月残業の毎日だったと後で聞いた。
マリー?
変わらず公爵の周りを見えない尻尾をふりつつ動き回りながら、楽しくお菓子を作っている。
~おわり~
桜の塩漬けとスミレの砂糖漬け~元女騎士のメイド奮闘物語~ モネノアサ @monenoasa
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