現実

 次の日。魅美は夕方になるまで起きてこなかった。

 寝相は悪い訳ではないが、紺の着物がはだけ、胸元の陶器にも似た白肌が覗いている。不覚にも官能的だと思ってしまった自分が情けない。

 魅美は目を覚ますなり、壁にかけられた時計を見た。数秒時計を注視した後、慌てた様子で言った。

「申し訳ありんせん…急がんといけんせん。」

 …どうやら仕事らしい。乱れた衣服を着直すが、それは男の情欲を誘うためのもので、魅美が歩くと蝶が舞うような美しさがあった。腰ほどまでに伸ばした長髪を高く束ね、きらり輝く紐が黒い髪一本一本の美しさを邪魔することなく飾っている。「ありがとうござんした。…またあとで、顔ぉ出さして頂きんす。それじゃあ。」

 特有のイントネーション。なんとも微妙な気持ちに苛まれながら、私は笑みを向けて「頑張りなさい」と言った。何を言えば良いのかわからなかったし、何より、一礼して私の家を去っていった魅美の残していった甘い香りに夢中になってしまっていた。




 ξξξ




 悲しい。あんなに優しい人の所を離れて気色の悪い男に抱かれる、なんて惨めなんだろう。僕は早足でとある建物に着くと、裏口の戸を「トン、トントン」と叩いて中に入った。

 また、この臭い。甘い香水の匂いと、化粧品特有の匂い、様々な体液の混じり合ったような鼻を刺す不快な臭い。

 また、この情景。まだ幼い子が化粧をして綺麗な衣を羽織っている。可哀想だと思えてくるほどに痣が目立っている。仕方ないこと、器量の良くない幼子は安値で売られるから、趣味の悪い人に抱かれることになる。

 己の容姿が整っている事は分かっているし、この容姿のおかげで特に酷い目に遭う事も少なかった。金ばかりある悪趣味なのに抱かれることもあるんだけれど、それは美しい容姿への罰だと思っているから、苦痛にはならないのだ。

 甘い菓子は好きだけども、ずっとは食べていられない。辛いものは苦手だけど、たまには良い。そんな感じで指切 魅美の人生、回っていると自己解決している。

 上質な木材で作られた鏡台の前で、薄い唇に真っ赤な紅を引いて、手首の青痣をコンシーラーで消す。客が求めるのは「美しい指切」であって、「可哀想な指切」ではない。僕は少しメンヘラの気があるから、こうして美しい指切を演じていないと悲劇の主人公ぶってしまうところがある。

「魅美さん、御客さんだよ」

 丁度髪を結い終えたところで、呼びの声が入った。あぁ、憂鬱。金を貰えるとは言っても、あの人のような優しい人はこんなところで夢を買ったりしない。

 怠いなぁ。どうせ崩される容姿を姿見に映してから、客の元へ足を運んだ。

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暗い月夜に嗤う 狂音 みゆう @vio_kyoyui

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