彦星の独白
――あ、あの人だ。写真で見たより美人だ。どうしよう。いやいや、気後れしたら負けだって、アイツも言っていた。
「はじめまして」
勇気を出して、声をかけつつ僕は右手を差し出す。まずは自分に自信を持つことと、生理的に嫌悪感のある人とは握手なんてしないから握手ができれば出会いの第一関門クリア―――学生時代の友人から教わった通りに実行したが、彼女はちょっとたじろいでいる。
「あぁ、すみません。いきなり握手なんて、変でしたね。緊張しちゃって」そう言うと、とまどいながらも彼女は手を握って微笑んでくれた。よかった、まずは第一関門クリアだろうか。
僕はモテない人間だ。今まで彼女と呼べるような人は一人もいなかったし、良い歳になって結婚したくても恋愛方法がわからず、30歳を前に結婚相談所に駆け込んだのだ。そうして幾度かお見合いをセッティングしてもらったが、すべて2回目のデートに繋がらず失敗している。仕事で失敗を重ねても大して気落ちしないが、さすがに人間として無視され続けるようで心が折れてくる。
今日この日のお見合いを最後にしたい――そう思って、まずは自分自身の外見を変えてみた。一念発起し、まずは眼鏡をコンタクトに変えた。髪も眉もお洒落な美容院で整えてもらい、服だって全部百貨店のコンシェルジュに揃えてもらったのだ。百貨店の受付で混乱して、「かっこよくなりたいんです」なんて恥ずかしい発言をしてしまったが、それでも似合う服を選んでもらうことができ、結果的に初対面の彼女と握手ができたのだから成功だろう。そもそも今まで手持ちの服と、生まれたままの眉毛で何とかしようとしていたのが間違いだったのだ。僕はチェックシャツと眼鏡がトレードマークのオタク系理系の人間なのだから、印象の良い身嗜みなんて専門外だ。やはり専門家に頼んで正解だった。
「行きましょう、あそこのお店を予約してありますので。英国式のお茶が美味しいお店ですよ」
あまり沈黙が長くならないように、お店を指した。緊張のあまり頭が真っ白で、もうすでに間を持たせる自信がない。あのお店はお祖母ちゃんが上京したときに連れていってあげら大喜びした店だ。迷わず彼女がお店に向かって歩いてくれるよう、そっと誘導する。何度やっても、やっぱりお見合いは苦手だし、女性と話すとなると緊張してしまう。どうか今日こそ、うまくいきますように。
*
「初めに断っておきたいのですが、僕、女性と話すのが下手なんです。……えぇ、あまり女性が身近にいなかったもので。私が不躾なことを聞いたりしたら、遠慮なく咎めてください。女性の気持ちを察したりするのが、苦手なんです」
席についてオーダーをするより前に、僕は自ら進言した。何せ中高一貫男子校から、理系の砂漠である天文学に行き、男性中心の会社に就職してしまったのだから、家族以外の女性は未知の生き物である。今までだって、何が引き金になったのかもわからないが、愛想笑いされたり、立ち去られたりしたことだってある。僕は気持ちを察するだなんて高等技術は持ち合わせていないから、きちんとアウトプットしてほしい――お互いを守るために、これだけは最初に伝えておかなければならない。
彼女の基本的な情報は、結婚相談所で公開されていた。年齢、出身地、家族構成、およその年収、ペットの有無も公開されているが、体重の欄はなかった。僕は確かに入力したのだから、ここは男女で情報差がある部分なのだろう。ただ体重の数字を見るまでもなく、彼女はすらりとした細身で美人であった。化粧品会社勤務というだけあってさすが美人だが、量産型の可愛いモデル風ではなく、どちらかというとオリエンタルな雰囲気をまとった麗人で、黒髪に切れ長な目が印象的だ。正直に言えば僕にとって非常にタイプの見た目で、だからこそ一層、話しかけにくい。そう悩んでいたら、彼女の方から質問してきてくれた。研究についてだった。
「大学でやっていた研究を一言で、ですか。難しい、困ったな。分かりやすく面白く、何て言えば良いかな」
学生時代のことについて、大学名や学部学科を聞かれることはあっても、研究内容まで聞かれることはそう多くない。しかも彼女の経歴は文系大学ということは、恐らく理系用語には馴染みがないので一般的な言葉で答えなければならない。焦ると余計に適切な言葉が出てこなくなってしまう。間を持たせるようにティーセットのスコーンに手を伸ばし、割って屑が散って思いついた。
「
僕は太陽系内に散在した微粒子が、引力によって周囲の他の微粒子などを引き寄せ、それが徐々に大きくなる過程を研究していた。例えて惑星で言えば、木星はガスでできた大きな星で、火星は岩石でできた小さな星であるが、それは太陽からの距離や粒子の密度や質量など、様々な因子が働いている。星の成り立ちのプロセス、その最初の要素がいわば宇宙の塵である。宇宙塵――彼女は驚いた様子で、はっきりと聞き返してくれた。
「そうですね、宇宙塵です。正確な表現ではないのですが、一般的にわかりやすく、というとそんな感じでしょうか。細かく話すと深いので、まぁ今は割愛させてください」
はぁ、とか、適当に流されることが多いのに、彼女は聞き返してくれた。それだけでも、僕にとっては嬉しいことであった。しかも塵の存在形態にも言及してくれた。僕は喜んで答えた。
「えぇ、もちろんです。小さな存在で、今の技術では観察のためにアプローチするのも難しいのですが、宇宙のあちこちに実在していますよ。それらが核となって、星を作るんです。僕は学生時代、その過程を数学的にシミュレートしていました。ニッチな分野だし、あくまでも理論の話だし、変人扱いされたりと、なかなか理解されにくいんですけどね」
彼女はうんうんと頷き、理解を示してくれた。そして、宇宙とオカルトの関係について尋ねてきた。「宇宙」というと、それだけでオカルトと結びつける人が多いし、天文学専攻でも、アポロ13号が月に立てたアメリカ国旗は偽物だと信じる人だっている。オカルトと宇宙の結びつきについては、民俗学や情報伝播速度の統計など面白い研究があるのも事実だが、あくまで僕は地学や物理ベースの天文学を専攻していた。
「オカルトって、UFOとか、未確認生命体とか、怪しい話ですよね?それとは違いますよ。天文学は物理学の分野ですから、実際の現象をもとに仮説を進めます。オカルトを掘り下げる研究なら、伝承神話の民俗学とかでしょうか。あるいは不確かなものをバイアスかけて信じてしまうことについては、心理学の範疇でしょうね」
僕は自信を持って、言い切った。
仕事についての質問は覚悟している。ましてや大学院博士課程まで行ってしまったからには専門職に就いているのだろうと思われることが多いが、実際には僕は一般企業のしがないデータ整理係をやっている。
「今は、天文学とは全然別の仕事をしています。相談所のプロフィールには専門技術職と書きましたが、わかりやすく一般的に言うとSEですね。開発プログラムの動作シミュレーションを担当しています。学生時代に星のシミュレーションをして論文を書いていたので、その応用です」
誤魔化すために専門技術職なんて書いたし、今もわかりやすくSEだなんて言ったが、僕は大したプログラムが組めるわけではない。開発チームが作ったテストデータを動かしてエラーを確認し、はじき出された部分を解析して報告するという仕事だ。たまたま大学院である程度のマクロを使っていたから採用されたようなもので、天文学からは離れてしまった。そのまま大学に残る道がなかったわけではないが、ポスト争いに勝てるほど、僕は弁が立つような人間ではない。
彼女は仕事内容についてそれほど深入りするつもりはないらしく、一方通勤スタイルのことを訪ねてきた。これも聞かれる定番ではあるが、随分と具体的に聞かれたのが印象的だった。
「えぇ、まぁおっしゃる通り、スーツを着て出勤して、エアコンのある部屋で仕事をして、夜になったら帰る職業です。土日祝が休みで、盆暮れ正月も休みです」
そう答えて、――ただし、休日出勤や残業もあるし盆暮れ正月のの休みは自分の有休を使います。ちなみにエアコンは人間用ではなくパソコン用です――とは付け加えることはできず、半笑いで取り繕う。別に死ぬ程のブラック企業ではないけれど、初対面のお嫁さん候補に聞かせるにはブラックジョークだろう。
当然、収入のことも聞かれることは覚悟していたが、
「年収は結婚相談所の資料にしっかり載ってますから。その内訳を初対面で掘り下げるのは、ちょっと気後れしますので、まぁ、資料を参考になさってください」と、飲み物を飲むふりをして、誤魔化した。前にお見合いした相手は、残業手当や家族手当の有無どころか、住民税の額面や、ふるさと納税の状況まで聞いてきた。さすがにそこまで聞かれると、困ってしまう。幸い、彼女はそれほどまで深入りしてこない様子なので安心した。そして、これだけは言っておこうと思った一言を付け加える。
「ボーナスは、あります」
ボーナスがあっても、その程度の給料だということを伝えておかなければ。
それからも彼女が会話の主導権を握り、様々な質問をしてきた。彼女は綺麗なネイルアートが施された指でマカロンをつまみ、サンドイッチをつまみ、僕がおすすめした紅茶を美味しいと言って飲みながら、楽しそうに質問を続けた。
「好きなお酒ですか?ウォッカです。ロシアにいた時に覚えてしまって。ロシアには学術調査で滞在していました。……語学力ですか?ロシア語はあいさつ程度しか話せませんよ。調査チームでの公用語は英語だったので」
ロシアには半年ほど、地学調査のバイトで滞在していた。ド田舎の湖のほとりでの調査だったが、見聞を広めるという大義名分のもと、行き詰まった研究からは逃げられるし、浪費もせず金は貯まるし、何より普段できない地学の勉強ができることは魅力的だった。チームメイトのロシア人とアメリカ人は二人とも親日家で、日本のアニメ好きが高じてライトノベルが読めるほどの日本語力だった。雑な英語でさっさと報告書を書き上げ、星空の下、安いウォッカを飲みながら、当時人気だったアニメキャラクターの魅力を語り尽くした日々は忘れられない。とても楽しかった。ただしこんな濃い話は、初対面の人には言うべきではないだろう。
「プラネタリウムを作るのが夢なんです。田舎育ちだったので、近くに科学館もプラネタリウムもなくて」
夢について聞かれて、プラネタリウムの開発などという子供じみたことを言ってしまった。子供の時にはできなかったことだから、金も技術もある大人の今こそ存分にやりたい。最近は高性能なLEDが安くなってきたし、レーザーカッターや3D プリンターも身近になったから、それなりに高性能な投影機を作れるだろう。ただしこれら技術の話も、女性には受け入れられそうにないから黙っておいた。
「最近運動不足を実感して、サイクリングを始めました。時々、望遠鏡を背負って星空観察に行ったりしますよ。昔流行った歌詞みたいだって?男一人だし、そんな洒落た雰囲気ではありませんけどね」
オタク気質な人におすすめなスポーツが自転車――そういわれてクロスバイクを買ったが、ただの移動の足と化している。それでも移動という本来の機能を果たしているのだから良しとしてほしい。星空観察といえば、ロマンチックなイメージを思い浮かべる人が多いが、実際は過酷だ。そもそも山奥など光がないところに籠るわけだし、一番星がきれいなのは真冬だからとにかく寒い。雲切れを信じて何時間も待っている間は、ロマンより尿意を感じて必死になることの方が多い。そんな恥ずかしいことは、言ってはいけない気がするから黙っておこう。
うまく会話ができているのか自信はないが、彼女は嬉しそうに質問を続けてくる。こちらも彼女の笑顔に後押しされて、へたくそな文章で答える。うっかり余計なことを言わないように慎重になるが、彼女が会話をリードしてくれるから、とても話しやすくて楽しかった。
ふと彼女は深刻な顔をして、一呼吸し、尋ねてきた。――どうして、結婚相手が見つけられないんですか、と。
「それは、私も知りたいです。今までも何人かとお見合いをしましたが、すべて失敗しています。私は自分から話すのが苦手で、話をうまく盛り上げられないからいけないのかと悩んだりもしました。ただ、あまり人物像を作りこみすぎても良くないというので、女性からされる質問にはすべて素直に答えるようにしているのですが」
僕の性格を見抜いたように、単刀直入に尋ねられて、自分でもびっくりするくらい素直に悩みを打ち明けることができた。僕の周りには自分自身に向き合うように指し示してくれる人がおらず、ましてや人との関わりの悩みなんて話せる人はいない。結婚相談所の人だって中途半端に励ましてくれるだけで「できない理由」を突きつけたりはしないし、ロシアの友人だって握手のアドバイスをくれただけだ。こうやって初対面の女性に追い込まれて、ようやく自分自身が見て見ぬふりをしてきた気持ちを吐露できた。
今日の会話ではっきりした。僕は、彼女といると心地がいい。初めて僕がこんなにも素直に話せたし、たくさんの質問に答えるのも楽しかった。もっと話したい――。そう思って膝上に置いた手の腕時計を見ると、お見合い終了の時間が近づいていた。
そろそろ時間ですね、と、席を立とうとする。そこで、僕は重大な失態に気づいた。あろうことか、上着の襟の仕付け糸を取っていないではないか。慌てて襟を正すふりをしつつ、取り繕った笑顔で立ち上がり、彼女の後ろに回り込む。――立ってるだけじゃ不自然だ、そうだ彼女の椅子を引こう。慌てるそぶりを見せないよう、なるべくゆっくりと椅子を引き、そうして彼女が背を見せて歩き出した瞬間、手でぶちぶちと仕付け糸を切って外す。せっかくコンシェルジュに選んでもらった服なのに。彼女が気付いていませんように、と願うしかない。
店を出て最初に握手をしたロビーに戻ってきたところで、僕は彼女を試してみようと思った。それは、あの壁の装飾だ。
「このホテルのロビーを待ち合わせ場所にしたのには理由があるんです。ほら、あの壁のところ。あの装飾が好きなんです。お見合いをして気が合った方には、ぜひあれを見ていただきたかったんです」
そういって僕は、メインロビーのきれいな窓の上、天然の大理石でできた壁を指さした。実は天然の大理石には、時として化石が混ざっていることがあり、建築物にそのまま利用されることがある。古くて立派な建物ではよく見られるものではあるのだが、このホテルのロビーの壁にはとても立派なアンモナイトの群体があり、その両脇にはシダ植物の化石が入った石が左右対称に配置されているのだ。そしてその壁面一面に、ストロマトライトが散在している。このような見事な並びは決して偶然ではなく、建築家があえて装飾的に設計したに違いない。その化石たちが柔らかな間接照明で照らされ、なんとも言えない蠱惑的な雰囲気を醸し出しているのだ。
「あの無骨な感じと、きれいな曲線、柔らかな風合いがとても好きなんです。気に入ってもらえたら嬉しいのですが」
彼女は興味深そうに眺め、はにかんで口元を手で覆った。どうやら気にってくれたようだ。
彼女がすっと右手を差し出した。これは最初の挨拶の時のお返しだろうか。嬉しいリアクションをくれる人だ。僕は嬉しくなって両手でしっかりと包み込み、
「また、近いうちにお会いしましょう。来月は流星群も来ますので、ぜひご一緒に」
そういって、子供のように手を振って、彼女の背中を見送った。
今日は旧暦の七夕。ベガとアルタイル、二つの星の距離はいかほどだったか。僕と彼女の距離は、どの程度だろうか。星屑の引力に思いをはせながら、僕は帰路についた。
星の距離ほど @sameyuki
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