星の距離ほど

@sameyuki

織姫の回想

 旧暦の七夕のこの日は、よく乾いた晴天だった。

「はじめまして」

 待ち合わせ場所の一流ホテルのロビーで、彼はそう言って突然右手を差し出した。スッと長く、手入れの行き届いた指先はまるでピアニストのようだった。私は一瞬たじろぎ、そして手を取りにっこり微笑みかけた。いきなりの握手に私が身構えたことを悟った彼は、

「あぁ、すみません。いきなり握手なんて、変でしたね。緊張しちゃって」

 と、恥ずかしげに言い訳をし、自信なさげな声とは裏腹にぎゅっと手を握り返した。

 ――悪くない。むしろ良い。良縁に恵まれず婚活疲れが続く私にとって、彼の第一印象はとてもよかった。27歳で元カレに振られ、28歳を過ぎてから合コンの誘いも減り、勇気を出して街コンに行ったがその後に続く縁はなく、出会いの精度を上げようと、ついに思い切って結婚相談所に入会したのだ。そして今日、このお見合いとも言える場をセッティングしてもらった。

 この現代日本において初対面の異性に握手を求めることは、決して一般的なことではないが、それを差し引いても彼は好印象。つまり、私の好みのタイプであった。決して抜群のイケメンではないが、目鼻がはっきりした顔立も、細身な体格も、シンプルなサマージャケットのセンスも、とてもいい。恥ずかし気に照れ笑いする顔も爽やかだ。見た目で騙されてはいけないとも思うが、一生を共にするかも知れない相手なのだから、清潔感や見た目だって大事だろう。

「行きましょう、あそこのお店を予約してありますので。英国式のティーセットが美味しいお店ですよ」

 彼は都内一流ホテルのロビーにある、上品な喫茶店を示す。セッティングからエスコートまで完璧だ。この熾烈な婚活市場において、まだこんな逸材が残っているとは。メイクにも気合いをいれてきて良かった。この人なら造りもののぶりっこをする必要も無さそうだ。お気に入りのルブタンのヒールを鳴らし、彼と並んで歩き出す。

 *

「初めに断っておきたいのですが、僕、女性と話すのが下手なんです。……えぇ、あまり女性が身近にいなかったもので。おかげで全然縁に恵まれなくて。私が不躾なことを聞いたりしたら、遠慮なく咎めてください。申し訳ないほど、気持ちを察したりするのが苦手なんです」

 席についてオーダーをするより前に、彼はそう告げた。まるで宣戦布告のようではあったが、裏返せばよほど今まで失敗を重ねてきたんだろう。今のご時世、コミュニケーションを苦手とする男性は多いが、自己が強く自分を変えられない人が多い。しかし彼は素直に自分のふるまいを振り返って、相手を不快にさせないための最善を探る姿勢が見える。どうやら頑固者ではなさそうだ。

 そうして彼はゆったりとメニューブックを開いて、この紅茶が美味しいんですよ等と丁寧にすすめてくれた。しかしいくら美味しいとはいえ、この真夏に紅茶をすすめるあたり、やはり気遣いは苦手なのかも知れないとも思う。


 お互いの基本的な情報は、結婚相談所で知らされていた。年齢、出身地、家族構成、およその年収、ペットの有無や体重までもが公開されている。それによると、彼はそれなりの会社に勤めており、地方出身の次男で、最終学歴は某旧帝国大学の理系の院卒だそうだ。かなりの好条件であるが、売れ残っているということは理由があるのだろう。

 相手の人柄や情報を掘り下げるのに、いきなり仕事や将来の話を持ち出すのはいかがなものか。まずはゆっくりと学生時代の思い出話から聞き出そう――。そう思案しながら、私は彼がおすすめするダージリンティーのセットを注文した。


「僕が大学でやっていた研究を一言で、ですか?難しい、困ったな。分かりやすく面白く、何て言えば良いかな」

 簡単な自己紹介の後、私は学生時代の質問をした。正直、私自身は小学生の頃から理科が苦手で興味もないため、難しい話題になるのを避けるべく敢えて「一言で紹介してください」と頼んでみた。店員さんが運んできたティーセットに手を伸ばし、彼は言い淀んだ。悩みながらも丁寧にスコーンを割って口に運ぶ。しばし間を置いて捻り出した一言は、


「ウチュウジンが星屑を集めて、惑星を創るまでの道程の研究です」


 想像を越えた、あまりに突飛な返答だった。びっくりして私はお茶を吹きかけた。――今、この人は、何て言った?漢字が思い浮かばず、2度聞き返してしまった。

「そうですね、宇宙人です。正確な表現ではないのですが、一般的にわかりやすく、というとそんな感じでしょうか。細かく話すと深いので、まぁ今は割愛させてください」

 事前情報で彼の出身校は有名な旧帝国大学と知り、天文学で特に秀でた学校というのは下調べ済みだった。きっと天文学に関わっていた人だろうとは思っていたが、まさか地球外生命の話で、しかもソレが星を創り出している話だとは。私のような、文系卒の一般人には理解ができない。それともバカにされてるのか、オカルト趣味の人なのか。もしや結婚できない理由は、この辺りなのだろうか。私は話を合わせるように頷きながら頭を巡らせる。そして当たり前だが、宇宙人が本当に実在するのか質問をしてみた。

「えぇ、もちろんです。小さな存在で、今の技術では観察のためにアプローチするのも難しいのですが、宇宙のあちこちに実在していますよ。それらが核となって、いずれ星を創るんです。僕は学生時代、その過程を数学的にシミュレートしていました。ニッチな分野だし、あくまでも理論の話だし、変人扱いされたりと、なかなか理解されにくいんですけどね」

 彼は、一つずつ分りやすい言葉を選ぶように話した。専門外の人にも分かるよう、なるべく簡単な言葉で話してくれていることが伝わってくる。その心遣いはとても嬉しく、突飛で信じがたい内容だが何を言っているかはよくわかった。怪しい内容を最もらしく言い切る姿に半信半疑となり、率直にオカルトの分野のことではないのかと聞いてみた。

「オカルトって、UFOとか、未確認生命体とか、怪しい話ですよね?それとは違いますよ。天文学は地学や物理学の分野ですから、実際の現象をもとに仮説を進めます。オカルト文化についてを掘り下げる研究なら、伝承神話の民俗学とかでしょうか。あるいは自分にとって都合の良いことだけを繋げて、最もらしく信じてしまうバイアスの心理ついては、心理学の範疇でしょうね」

 ――なるほど。この人は本気らしい。本気で、宇宙人の論文を書いて大学院を卒業したようだ。

 私たちが入会している結婚相談所は、入会時に卒業証書などの学歴証明書を求められる。そのため学歴偽装はできないし、この旧帝大は論文提出が厳しいことは世間的にも知られている。そういった頭のいい人たちにとって、どうやら宇宙人は当たり前の存在で、シミュレーションをするくらいには身近らしい。そういえばニュースでもしょっちゅうNASAが生命のいる星かなにかを見つけたって言ってるし、ロクに新聞も読まない私が知らないだけなんだろう。これ以上掘り下げて聞くと、こちらの教養のなさがばれそうだ。気を取り直して、卒業後の話に切り替えよう。


「今は、天文学とは全然別の仕事をしています。相談所のプロフィールには専門技術職と書きましたが、わかりやすく一般的に言うとSEですね。開発プログラムの動作シミュレーションを担当しています。学生時代に星のシミュレーションをして論文を書いていたので、その応用です」

 SEとは、さすが頭が良いインテリ系だと感心する。たしか小学生のなりたい職業第1位だったはずだ。しかし、普段はネット検索と文章作成程度しかパソコンを使わない私にとって、ぴんと来ない。仕事内容に踏み込み過ぎてもボロが出るかもしれないと懸念し、話題を生活スタイルに切り替えた。

「……えぇ、まぁおっしゃる通り、スーツを着て出勤して、エアコンのある部屋で仕事をして、夜になったら帰る職業ですね。土日祝が休みで、盆暮れ正月も休みです」ちょっと笑いながら、彼は答えた。こんな具体的な質問は変だっただろうが、重要な情報だ。私の父は現場のブルーカラー職員系で、ネクタイの結び方もわからないような男だったし、担当現場によっては休日も不定期で夜勤になることだってあった。それに付き合って生活する家族は大変で、だからスーツで出勤して夜なると帰ってくる、お隣のアヤちゃんのお父さんがうらやましかった。安定した生活リズムへの羨望は、持たざる者にしかわからないものだ。


 収入については、お互いもうすでに結婚相談所の資料で知っていた。資料によると彼は平均以上の年収を得ているようだった。平均以上であれば、結婚後も働きたい私にとってはじゅぶんであるし、学歴と同じように収入証明も提出しているので偽りようがない。だからあえて聞く必要もないのだが、一応お見合いの定番ネタなので聞いてみた。

「年収は結婚相談所の資料にしっかり載ってますから。その内訳を初対面で掘り下げるのは、ちょっと気後れしますので、まぁ、資料を参考になさってください。貯蓄はそこそこですが、借金は一切ありませんよ」

 アイスコーヒーをストローでくるくるかき混ぜながら、困ったように答え、そして彼は一拍置いて内緒話を打ち明けるように小声で付け加えた。

「ボーナスは、あります」

 よし。


 重要なポイントを押さえてから、私は思い付くままに様々な質問をした。

「好きなお酒ですか?ウォッカです。ロシアにいた時に覚えてしまって。あぁ、ロシアには学術調査で滞在していたんです。……語学力ですか?ロシア語は買い物とかの日常会話程度しか話せませんよ。調査チームでの公用語は英語だったので」

 なんと、3か国語も話せるとは。そんな人が旦那さんだったら自慢できるし、海外旅行にだって行きやすそうではないか。好きなお酒がまた洒落ている。

「いずれプラネタリウムを作るのが夢なんです。田舎育ちだったので、近くに科学館もプラネタリウムもなくて、憧れてたんです」

 郷里の子供たちのためにプラネタリウムを建てるのが夢だなんて、なんて素晴らしく慈愛に満ちた人なんだろうか。

「最近運動不足を実感して、サイクリングを始めました。時々、望遠鏡を背負って星空観察に行ったりしますよ。昔流行った歌詞みたいだって?男一人だし、そんな洒落た雰囲気ではありませんけどね」

 星空観察なんてロマンティックなこと、ドラマか映画の世界のようだ。毛布にくるまって流れ星を見るなんて、ドラマチックで素敵ではないか。サイクリングだってスポーティーでかっこいいし、一緒にツーリングに行ってくれたりするんだろうか。


 聞けば聞くほど、欠点のない理想的な人物像だった。彼はやはり自分から話すのが苦手のようだったが、私の質問攻めに疲れる様子もなく、ずっと笑顔で答えてくれていた。気づけばもうお見合い終了の時刻が近づいている。

 最後に、本当は聞いてはいけないであろう質問をした。

 貴方は一般的にすごく理想的な人なのに、どうして、結婚相手が見つけられないんですか、何か理由があるのでしょうか、と。

「それは、僕も知りたいです。今までも何人かとお見合いをしましたが、すべて失敗しています。自分から話すのが苦手で、話をうまく盛り上げられないからいけないのかと悩んだりもしました。ただ、あまり人物像を作りこみすぎても良くないというので、女性からされる質問にはすべて素直に答えるようにしているのですが。要は平均的すぎて人として魅力がないのが、一番の原因なんでしょうね」

 彼はそう、自信無さげに背を丸めて言い、空になったグラスに視線を落とした。こんな自尊心を傷付けるような質問は、やはりするべきではなかったのだろう。質問をして、私は自分を恥じた。これほどの人物が婚活市場で売れ残っているのには、何か過去の黒歴史があるのではないかと疑ってしまったのだが、彼は素直だし、それ以上に本当に自分自身について悩んでいる。何でも答えてくれる人だからと、調子に乗りすぎてしまった。何て言葉を続ければ良いかわからず、私は口をつぐんでしまった。

 そろそろ時間ですね、と、彼はパッと顔をあげて笑顔になり、上着の襟を正してゆっくり立ち上がった。先程の私の無礼は何でもなかったかのように、私の後ろに立って椅子を引き、レディファーストでエスコートしてくれる。本当に理想的な人だった。

 最初に握手をしたホテルのロビーに戻ってきたところで、彼は立ち止まって言った。

「このホテルのロビーを待ち合わせ場所にしたのには理由があるんです。ほら、あの壁のところ。あの装飾が好きなんです。お見合いをして気が合った方には、ぜひあれを紹介しようと思っていたんです」

 そういって彼が指さしたのは、メインロビーの壁。そこにはめ込まれていたのは、陽の光を浴びたステンドグラスだった。鉄の枠取りに色鮮やかなガラスをはめ込み、どこかの山と花の風景を描いたものだった。

「素朴ですが、きれいな曲線や柔らかな風合いがとても好きなんです。気に入ってもらえたら嬉しいのですが」

 最初に見た、恥ずかしげな笑顔と同じ表情で彼は笑う。

 ステンドグラスを紹介してくれたということは、彼も私に対して好印象なのだろう。最後に無礼な質問をしたことも、まるで気にしていないかのような笑顔で話す。

 笑顔で微笑み、私はお礼を言って右手を差し出した。その手を彼はしっかりと両手で握った。

「また、近いうちにお会いしましょう。来月は流星群も来ますので、ぜひご一緒に」

 そういって、子供のように手を振って、見送ってくれた。

*

 星が見えないこの都会で、私は生まれ育った。七夕なんて、大したイベントだとは思ってもいなかった。今日は旧暦の七夕――今夜は星空を見上げてみよう。こちらからは見えなくても、天の川のどこかの星から、宇宙人が私たちを見ているのかもしれないと、遠く思いを馳せながら。

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