チューナーの役目

調律者は夢の中 ‐インナー・ドリーム‐

 神樹木がエラーを吐き出したのは、その〝島〟では初めてのことでした。

 めちゃくちゃな資材の増産が行われ、情報流体が床面に飛び散って。

 至るところがデミオートマトン化し、荒れ狂ったのです。

 無制限に生産を続けるからでしょう、神樹木は日に日に衰え、その胞子の色を蛍光色から黄色、赤へと変えていきました。

 それに伴って、〝島〟を覆っていた胞子の領域が狭まり、そこに住まう住民たちは、次第に生活の範囲を縮小していったのです。


「どこかの〝島〟に、救援を求めてはどうか」


 〝島〟一番の偉丈夫がそう提案し、旅に出ました。

 ですが、どれほど長い時間が経過しても、帰ってはきませんでした。


「過去のデータを読み解けば、対処の仕様があるかもしれない」


 〝島〟一番の賢者がそう提案し、神樹木へと潜りました。

 だけど、どれほど待っても、戻ってくることはありませんでした。


「この〝島〟は棄てるしかない……もはや、出ていくしかないのだ……」


 〝島〟一番の長老は、悲しげにそう告げました。

 多くのものがそれに賛同して、彼らは翌日、〝島〟を出るつもりでいたのです。

 しかし、その日の終わろうかとしたときです。

 ひとりの旅人が、そのセクタを訪れたのです。

 不思議な光沢を帯びた、ぴったりと肌に張り付く銀色の服を着て、同じく銀色の髪を衣服の中に押し込んだ美丈夫。

 彼は自らを〝チューナー〟と名乗りました。


「調律師……それが自分の仕事だ。このエメトを復元するために来た」


 青年の言うことが、〝島〟の住民たちにはさっぱりわかりませんでしたが、いまある危機的状況をなんとかしてくれるのではないかという、甘い期待はありました。

 なので、人々は青年にお願いすることにしたのです。


「いまから36時間──この機械の短い針が3周するまでに戻ってくる。それまでに戻らなかったら、あきらめてこのセクタから脱出しろ」


 男に言われたとおり、住民たちは待機することにしました。

 しかし、だんだんと男を信じていいのかわからなくなって、やがて一人の少女が、様子を見てくると言い始めたのです。

 それを止める者は、だれ一人いませんでした。

 少女は、エメトへと向かって走り出します。

 道すがら眺めた風景は、少女が知るものとは一変していました。

 それまで、壁や床が変化して生まれたオートマトンたちが、ぎゅうぎゅうに押し合っていた広場は、まるで葬儀場のようになっていたからです。

 1体、1体、丁寧に、機能停止したオートマトンが横にされて並べられているのでした。

 整然と。

 きっちりと。

 さらに先へと進むと、そこは少女の知らない世界でした。

 珪素でできた建造物のすべてがいびつにネジくれて、ゆがみ、奇妙なオブジェへと変化していたのです。

 彼女の家だったものもありました。

 母親が、布と布を結合させる圧着裁縫をして、いまの自分の服を作ってくれたことを、その懐かしい日々を思い出し、少女は涙ぐんでしまいました。

 彼女がうつむいた瞬間。

 停止していたはずのオートマトンが1体跳ね起き、彼女へと襲い掛かりました。

 突然のことに目を見開き、恐怖で身動きが取れない少女。

 その眼前を、波打つ銀光が過ぎりました。

 ほそい、恐ろしいほど細い、それは〝フェムト・ファイバー〟でした。

 〝糸〟はオートマトンの首筋に絡みつくと、パチリと火花を発しました。

 すると、ばたりとオートマトンは倒れ、もう動きません。

 少女が視線を上げると、神樹木の方角に、人影がありました。銀色の衣服を身につけた、調律師の青年でした。

 彼はなんとも言えない顔をして、少女を見つめています。

 少女の目の前まで歩み寄ってきた彼は、なにも言わず、少女の右手を取りました。

 そうして、その手首に、細い細い糸を編んだものを、結んでくれたのです。


「これで、しばらくはエメトによる観測不安定状態に己を固定できる。わずかな可能性だが、いずれ、もとの領域帯に戻れるだろう」


 男の言うことはちんぷんかんぷんだったので、少女は「ついていかせてください」と、自分の思うことを言いました。

 男は困ったように頬を掻き──ただし表情はちっとも変わりません──離れてはいけないよと、やさしく言いました。

 少女が頷くと、男はセクタの奥へと歩き出します。

 エメトへと進む道は、とても大変なものでした。

 いろんなものが、見たこともないなにかに変異して、少女たちに襲い掛かってくるのです。

 巨大な20本足の猫。

 大きな空に浮かぶ島。

 巨人。

 乱杭歯が生えたトカゲの大きなもの。

 ふるふると震える水たまりの塊。

 四角いペラペラの身体に頭と手足が付いたもの。

 機械の羽をもつ美しすぎる笑顔の女性と、それについていくむすっとした表情の銀髪の少女に、大きな大きな棺桶を背負った困ったような笑みを浮かべた男性。

 たくさん、たくさんの不思議なものが少女の前を横切りました。

 ですが、男の人の手が振られるたび、その指先が輝いて、細い糸が伸びるのです。

 そうすると、不思議なことにすべての異変が、停止してしまうのでした。

 少女には男が、魔法使いのように思えました。

 どれだけ歩いたでしょうか、気が付くと彼らはエメトの中心へとたどり着いていました。

 さざ波を浮かべたまま凍り付いたような床と、その真ん中にある巨大な湖。

 その中央で、黄色と赤に点滅する、小さな苗木がありました。


「あれがエメトのコアだ。根源現実へと根を張り、現在を縫い留める役割を帯びているが、ここは認識領域の乖離があまりにひどい。だから、それができなくなっている。自分は、その乖離を調律するために来た」


 男がそう言ったときでした。

 急に苗木の背後がざわめき、そこから巨大な蛇のアギトのようなものが飛び出してきたのです。

 それは少女を一飲みにしようとしました。

 ドン、と。

 しかし、少女は突き飛ばされて、床に倒れました。

 服が床のささくれに引っ掛かり、びりびりと破けます。

 少女が見上げると、チューナーの身体に、蛇の無数の牙が、深々と突き刺さっておりました。

 男は、蛇に食べられてしまいそうになっていたのです。

 ですが、その表情に焦りや苦痛といったものは見られません。

 ただ──


「乖離が乖離の原因を取り込もうとするとは、質が悪いにもほどがある」


 男はゆっくりと両手を広げました。

 その指先から──いいえ、全身から、たくさんの、たくさんの銀色の糸が放たれました。

 彼の着ていた服から、どんどん輝きが失われ、それは黒く変色していきます。

 やがて服が完全に真っ黒になったとき、少女は糸の正体を知りました。

 それは、青年の髪の毛だったのです。

 髪の毛は蛇に絡みつき、苗木に絡みつき、エメト全体を繭のように覆いつくし、そして少女を包みました。

 男は、小さく口の端をあげて、


「さあ、未成熟な眠り姫バーンアリスのなりそこない


 柔らかく微笑むと、こう、言いました。


「夢から覚める、時間だよ──」


◎◎


 気が付くと、少女は自分の家の中で、母親の料理の手伝いをしていました。

 といっても、熱くなっている蒸気の配管に鍋を置いて、蒸留水を中に満たし、スティック状の料理の種を入れるだけです。

 それは当たり前の日常で、昨日となにも変わらないことのように思えました。事実、着ている服は同じもので、どこにもほつれなんて見当たりません。

 隣にいたお母さんが、言いました。


「おまえ、なんで泣いているんだい?」


 少女はそこで、自分が涙を流していることに気がつきました。

 彼女にはなにもわかりませんでしたが、涙は止まってくれません。

 少女は必死に涙を拭いますが、それはあとからあとからこぼれて、やっぱりとまらないのです。

 やがて少女は顔を上げて、お母さんに、こういいました。


「あのね、わからないの。でも……すごく大切な夢を──みていた気がするわ」


 少女の右手首には、銀色の糸で編まれたブレスレットがはまっていました。

 彼女は人間のまま、元の世界へと戻ったのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る