交換する〝島〟(1)
青空など隙間も見えない暗雲の下を、一台の
前方に二つある車輪と、後方にある一つの車輪が、ガリガリと珪素と重金属でできた赤い大地を刻んで進む。
軟柔化タングステンは、半永久的な走行性を保証していた。
この、二輪車よりも幅をとるが、安定性と走破性の高い三輪車を、ヘレネーは愛好していた。
彼女の手腕をもってすれば、どのような乗り物であっても乗りこなすことはたやすい。
だが、気まぐれや思い付きの類でホイホイと乗り換えていった結果、現在の自動三輪に落ち着いている。
この時代では、それらの乗り物がどれほど入手しづらいのだとしても、彼女にとっては些細なことに過ぎなかった。
ピッチリとしたボディースーツに、編み上げのブーツ。
手を覆う金属の
むき出しの長い黒髪は、風にバサバサとなびいていた。
「風を切って走るのは、やっぱり病みつきの感覚ね、カンファエット! こればっかりは、生身じゃないと味わえないわ!」
運転席の彼女は、その言葉通り楽しそうな口ぶりで、後部の増設マウントに固定された機械へと話しかけた。
美しい女性をモチーフにした石膏像。
そこに入力用の感圧板と、各種端末が備え付けられたオートマトン〝カンファエット〟は、無感動な合成音声で答える。
つい先日追加されたばかりの感情プロトコルは、いまだ定着していないのである。
『SI──マスター。風を切るとは、どのような感覚ですか』
「びゅーっと来たのを、ざばーっと受ける感じ」
『……具体的にお願いします──SI』
「めんどくさいわね……それでも
『SI──トライクの操縦は、操縦者に快楽を供与する。快いという感情。カンファエット、記憶しました』
「……自分でいうのもなんだけど、作り方を間違えたわね。
『SI──素直に同意します』
オートマトンの返答に、ヘレネーはさかしい子供を見たときのような表情になって、大きくため息をついた。
『SI──見えてきました、マスター』
そうこうしているうちに、前方に影が見えてきた。
巨大な珪素の樹木──エメト。
その下に、〝
エメトが供給する資源と、放射能や毒素から人体を守る胞子の領域がなければ、現生人類は生存することができない。
なので、ごく少ない例外を除いて、必然的に人のコミュニティーはエメトの周囲に出来上がる。
ただ、少しだけそこは、ほかのセクタとは様相を異なるものにしていた。
「……ふーん、3つのエメトからなる三層構造のセクタね……おもしろそう!」
歓声をあげて、ヘレネーはトライクのスロットをひらいた。
車体が、一気に加速する。
『SI──安全運転』
「しーらない」
ひとりとひとつを乗せた三輪車は、はやてのような速度でセクタの門へと突っ込んでいく……
◎◎
そのセクターは、採掘資源を営みの基幹に据えていた。
地中深くまで根を張ってエメトの、その末端に生じる生成物を掘り出し、ほかのセクタへと売りさばいていたのである。
ここでいうほかのセクタとは、別の地域にあるものを指すわけではない。
上下に隣り合っているセクタのうち、上層が、取引先だった。
「仕組みはわからないけど、神樹木の根っこと土が混ざることで、こういう金属ができるんだ。これがね、ひとつ上の〝島〟──〝上島〟では重宝されている。なんでも、オートマトンを作る材料になるんだってよ」
つるはしを担いだ禿頭の男は、布切れで汗をぬぐいながら、そう言った。
男の鼻息は荒い。
目は血走っており、目前の女性──ヘレネーのボディースーツで覆われた豊満な胸に釘付けになっている。
「な、なぁ、よかったら、俺これで仕事が終わりなんだが……一杯のみに行かねーか? 俺はよぉ、あんたみたいな美人を見るのは初めてなんだ!」
「あら、お上手ね。奢ってくれるの?」
「もちろんもちろん! 好きなだけ飲ましてやるぜ!」
「気前のいい男は嫌いじゃないわ、労働している男もね。じゃあ、酒場に案内してちょうだい。たくさん飲んであげる」
「……よ、よし! まかせとけ!」
フンスと鼻から息を吹き出すと、男は荷物を取りに鉱山の詰め所へと走っていった。
『SI──これが性悪、カンファエットは記憶しました』
「いますぐ忘れなさい駄作」
男に向けていた艶やかな笑みを引きつらせ、ヘレネーはカンファエットの頭をたたいた。
「俺たちは〝上島〟の奴らに、鉱物を掘り出して届けるのが仕事だ。代わりにオートマトンと、それや採掘の機械を動かすための情報流体をもらう。食料もそうだ」
汗のすえた臭いと、合成アルコールの嗅ぐだけで悪酔いを誘発する揮発成分が飛び交う酒場の中で、カウンター席に着いた男は、調子よく語り始める。
簡易蒸留水に分量も考えず、次々に神樹木の種子と蜜を投げ込んでいく様子を、ヘレネーは愛おしそうに眺めている。
二つを蒸留水に混ぜれば、この時代では一般的な発泡酒が完成する。
正確に言えば、シードは珪素でできており、蜜は情報流体が溶け込んでいるもので、どちらも食用ではない。
それでも人類は、なんとかしてアルコールだけは産み出してしまうのだ、どんな時代、どんな所属でも。
タバコも、また同じだった。
男がくわえている円筒形の物体は、エメトの根の一部である。
無数の合成物が含有されるそれは、火をつけるとくすぶり、成分を揮発させる。
それによって生じた煙は、神経に作用して、軽度のリラックス状態を作り出すのだ。
「まあ、シンナーなんかよりよっぽど脳みそは溶けるけど、必要なことよね」
「あん? 美人さん、なんか言ったか?」
すでに判断能力を喪失しつつある禿頭の男へ、ヘレネーは「いいえ、なんでもないわ」と笑顔を向けた。
彼女の瞳には、心底からくる慈愛のまなざしがあった。
ヘレネーは彼に寄りかかると、話の続きを催促した。
「それで? 上の住人とはそういう関係だとして、下の住人とは、どんな関係なの?」
「あそこはゴミ捨て場だ」
「ゴミ捨て場」
「そうだ、採掘の途中で出てきた無駄な岩盤とか、屑とか──それに使用済みのオートマトンとか、そんなのを捨てる掃きだめさ。ここの神樹木は食料もろくに作れねぇが、あそこはもっとひどい。おおっと、間違っても行こうとかと思うなよ、その屑なんかには毒を出すものだってあるからな!」
「へー、毒が出るものを掘り出しているのに、あんたたちは元気なのね。いいわ、タフな男って好きよ」
どうせなら、不治の病にかかっているくせに強がるぐらいの現生人類が好きだとは、さすがのヘレネーも口には出さない。
かわりに、男へとさらにしなだれかかり、その口元へと合成食糧のインゴットを持っていく。
男は一瞬目を丸くしたが、意図を悟ってか豪気に笑うと、それをガリガリとかみ砕いて見せた。
ヘレネーは手をたたいて喜ぶ。
水に浸せばパンや肉になるそれを、わざわざ生でかみ砕く阿呆はいない。
いるとすれば、死ぬほどモノを知らない底なしのバカか。
あるいは、とてもワイルドな男ということになる。
彼は自分が後者であると示したのだ。
ヘレネーは男のコップに、次のアルコールを注いだ。
「美人のあんたも飲みな、俺のおごりだからよ」
「じゃあ、遠慮なく」
言って彼女は、エメトの蜜液自体を一息にあおる。
小指の先ほどの小さなショットグラスであったが、大の男が昏倒するレベルの摂取量だった。
男が唖然と眼を見開いて、次の瞬間、声を出して大笑した。
「なんだ、イケる口かよ! おおう、店主! ジャンジャン持ってきてくれ! 今日は飲み比べだ!」
そうして、酒盛りは始まり、やがて終わった。
ヘレネーはそのあと28杯飲み、男はその半分で倒れ、ピクリとも動かなくなった。
『SI──心拍停止』
「蘇生処置。殺しちゃだめよ、けっこう頑張ってたから」
『SI──性悪を、あらためて学習しました』
「だから……そーゆーのは覚えなくっていいの!」
ヘレネーは叫び、カンファエットの頭部をたたき。
カンファエットは男の心臓に電気ショックをくわえ、再起動させる。
彼女たちは次に、上層の〝島〟へと向かった。
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