最終話 ラヴァ・ラ


 ――突き抜けるような晴天であった。

 鬱蒼と茂る森の中を、ひとりの少年が走っている。日に焼けた肌や、土仕事で厚く逞しくなった手とは裏腹に、真新しく小綺麗な服に身を包んでいる。

 彼は秘密の場所に向かっていた。周囲の大人が存在も忘れてしまった、洞窟の入口である。

 入口前の開けた場所にたどり着くと、そこにはいつものように『彼女』がいた。少年より一回り上、十五、六歳ほどの少女。腰までの黒髪は艶やかで、どんなに日差しが強くてもシミひとつできない白い肌の持ち主で、人間離れした美しさと気品を感じさせる。少年にとっては、生まれたときから一緒にいる姉のような存在であった。時折少年の家に顔を見せる以外は、ずっと洞窟で暮らしている変わり者であった。

 少年はいったん息を整えた。今日は大事な報告がある。だからこそ、自分の口で、努めて明るく告げたいと彼は思っていた。

「姉ちゃん! 俺、明日から街に出るんだ。だから、その。お別れを言いに来たんだ」

『ええ。知っていますよ。あなたのお父様やお母様からもお別れのご挨拶をいただきました』

「な、何だ。父ちゃんたち、それならそうと言ってくれればいいのに」

 愚痴をこぼす少年の傍らに立ち、少女は手を握った。

『これまでありがとう。とても楽しく、充実した時間でした』

「姉ちゃんは相変わらずな喋り方だなあ」

 少年は鼻をすすりながら笑った。目尻から流れた涙を、少女は細い指先で拭う。

 少女が目を閉じ、祈りの言葉をつぶやく。繋いだ手がほのかに白い輝きを放つ。少年が手を開くと、掌に白く透き通った柱石があった。

『これは御守りです。上に行っても、私たちはあなたがたを見守っています』

「ねえ。姉ちゃんは、やっぱり行かないの」

『ええ。私たちの役目はこの地を見守ることですから』

「でも。でも、俺がいなくなったら、もうここには誰もいなくなるんだよ。集落なんて、ずっと昔になくなってて」

『ありがとう。心配してくれて。でも大丈夫です』

 少女は静かに笑いかけた。少年はなおも説得しようとしたが、自分がどういう決意でここに来たかを思い出し、目元を何度も拭って、そして満面の笑みを浮かべた。

「俺、いつかまた帰ってくるよ。それまで待っててね。ルテル姉ちゃん」

『はい』

「きっとだよ。絶対だからね。じゃあ、またね!」

 少年は何度も手を振り、踵を返した。途中で振り返り、「御守り、大切にするから」と大声で言い残して、茂みの向こうに消えていった。

 しとやかに手を振り返していた少女――ルテルはつぶやいた。

『ついに、誰もいなくなってしまいましたね。スティマス』

 背中に二対の羽根を生やした彼女は振り返る。洞窟の入口脇にひとりの青年が座っていた。頭部以外は白い鉱石の身体を持った彼は、ルテルの言葉に静かにうなずいた。

「これでようやく、一区切りだな」

 傍らを見る。入口横には、綺麗に整えられた墓石が並んでいた。

「キクノ。エザフォス。皆。お前たちもあの一家を見守ってやってくれ」

『これからどうなさいますか』

 ルテルに問いかけられ、青年――ジェンドは空を見上げた。

 かつてエナトスと呼ばれた土地の上空には、二つの浮遊大陸が浮かんでいた。発達した紋章術は、ネペイア・アトミスを二つに分けたのだ。あの家族は、浮遊大陸のどちらかに移り住む。それは、ジェンドが永い間守り続けたエナトスという町が姿を消すことを意味した。

 ラヴァ・ラ――魂を導く者としてできることはなにか。

「あの子は、いつかまた帰ってくる、と言っていた」

『はい』

「まだ俺の使命は終わらないな。ルテル。おいで」

 使い魔を側に呼ぶ。ひざまずいた彼女の手を握る。二人の身体が白い光に包まれる。

「人の魂がある限り、ラヴァは消えず、紋章術ラヴァンは在り続ける。これからは大地の中からあの子を支えていこう。白柱石が俺たちとあの子を繋いでくれる」

『はい。スティマス』

「あの子は、お前にずいぶん懐いていたからな。また姿を見せてやれ」

『あなたは最後まで姿を見せませんでしたね』

「怖がらせたくなかったんだよ。けど、あの子が帰ってきたら、お礼を言おうと思う」

 ジェンドは笑った。

 彼の手には、美しい鉱石が握られていた。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラヴァ・ラ 和成ソウイチ@書籍発売中 @wanari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ