第四章

 異変はハプワイアにもすぐに察知できた。


「何だ!? いったい何だこの光は!?」


 直視するのが難しいほどの光が迸っていた。

 彼は慌ててミュー・ベータを後退させた。

 光の奔流は収まるどころか、その勢いをますます激しくさせていった。


「おいオペレーター! この光はなんだ!?」


 ハプワイアは叫んだが、オペレーターから返ってきた答えは簡潔だった。


《解析不能です》

「解析不能――だと?」


 予想だにしない答えだった。なぜなら、オペレーターが答えを返さないなどいうことは、これまで一度もなかったからだ。

 システム・オペレーターに解析できないもの、未知のものなどこの世界には存在しない。


 なぜなら玄学者には〝完全無欠の理論〟があるし、この世の全ての情報が保存されているというアカシック・ストレージもある。それに加えて、ラプラスという万能のギガスケール・チューリングマシンだって存在する。それだけのものがあって、オペレーターに答えられない〝解〟など存在するわけがないのである。


 だというのに、解析不能。

 そんなふざけた〝解〟があっていいわけがなかった。


「ふざけるなッ! 我々に知りえない現象などこの世界に存在するわけがないだろう!?」

《申し訳ありません。解析不能です》


 ハプワイアの声はほとんど悲鳴に近いものだったが、やはり返答するオペレーターの合成音声は妙に落ち着き払っていた。

 もちろん、その光はチヒロの視界も覆い尽していた。


 光の奔流はまるで嵐みたいになって吹き荒れていた。だが、不思議とチヒロはこの光を眩しいとは感じなかった。ただ温かいと、そう思った。


 光の中心にいるのはローレンシアである。

 その光の中で、彼女は光を纏っていた。

 形を持たぬ粒子たちが、まるで彼女の意思に呼応するかのように形を獲得していくさまを、チヒロはまるで夢の中にいるような思いで見ていた。


 ローレンシアの手足、身体、その全てに光が寄り集まり、巻き付いて、眩い装束へと形を変えていく。

 やがて光の全てが、彼女の纏う〝正装イデア〟になった。


「……へ、変身した?」


 チヒロにはそうとしか見えなかった。

 ローレンシアは確かに『変身』していたのだ。

 彼女が纏っているのは、これまで一度も見たことがないほどに鮮やかな装束だった。


 とにかく、ただ――綺麗としか言いようがない。

 あれだけ負っていたはずの傷も残っていない。

 それは確かに『変身』としか形容のできない現象だった。


「――これは」


 しかし、この状況でもっとも驚いていたのは、ローレンシア本人だった。

 その光り輝く装束こそ、魔法使いの証である〝正装イデア〟に他ならない。

 これまでどれだけ欲しても決して手に入らなかったものが、突如として自分の身に与えられたことは、むしろ歓喜よりも困惑のほうが強い。


 しかも、この白銀の正装はカサンドラが身の纏っていたものと、とてもよく似ていた。

 自分ではない何者かの力が、自分の中にあるのをローレンシアは感じていた。


 ――魔法とは、守るための力。


 ローレンシアははっとなった。

 眩い光のその向こうに、おぼろげながら姉の姿が見えたような気がしたからだ。

 いや、それは姉一人ではなかった。姉のような気配もあったし、そうではない気配も無数にあった。


 それが歴代の王たちだと、ローレンシアは不思議と理解していた。そして、最も輝かしい気配を持つ何かこそが、恐らくは〝始祖〟なのだろう。


 ――お前が王となって、みなを守るのだ。


 カサンドラが言った。

 もちろん、それは幻覚である。この世界にカサンドラの姿はない。いま自分がいる世界と、かつて自分がいた世界は、時間の壁というとてつもなく大きな壁によって隔たれてしまっている。

 それでも声が聞こえた。確かに聞こえたのだ。


 ――〝魔法〟とは、守るための力。


「……姉上、そういうことだったんですね」


 いま、ローレンシアはようやくあの言葉の意味を理解していた。

 理解と後悔は同時だった。

 だが、ローレンシアはすぐに後悔を打ち消した。

 今は、そんなことに時間を使っている場合ではない。

 しかるべきために与えられた力を、しかるべきために使う。

 ローレンシアは新たな決意と力を宿して、再びミュー・ベータと対峙した。


『きさま、いったい何だそれは!? なにをしたというのだ、貴様は!?』


 ハプワイアの喚き散らす声が響いた。

 彼は未知の現象を目の前に狼狽えていた。

 そして、それ以上にローレンシアから発せられるエネルギーの量にも困惑しきっていた。彼女から発せられている未知の形態のエネルギーは、まるで保存則を無視するかのように、ローレンシアを中心として次から次へと湧いて出てくるのである。まともな考え方に縛られた玄学者にとっては発狂しかねない現象だった。


「――さぁ、本当の本番はこれからです」


 ローレンシアが一歩踏み出すと、ミュー・ベータの巨体は一歩後退していた。

 それが自分の意思によるものだと、ハプワイアはすぐには気づかなかった。その後退は、彼の心に生じた何かが無意識にもたらしたものなのだ。


 そのことを自覚した瞬間、ハプワイアの中に凄まじい怒りが湧きあがってきた。


『――ふざけるなッ! ふざけるではないッ! なにがパンタシアグラマーだッ! なにがノーライフ・キングだッ! いまさらそんなものを出してきたところで、我らが知の力に敵うわけがないのだ! 身の程を知るがいい――ッ!』


 ありったけのエネルギーが右腕の巨大な武装に収束されていく。それは先ほどの一撃など比べものにならないくらいほど高密度のエネルギーで、そんなものを至近距離でぶっ放せばいくらミュー・ベータとはいえ無傷ではすまないだろうし、下手をするとシティを半壊させかねないほどの破壊を生み出すほどのエネルギー量であった。


 こんなバカなことがあっていいわけがない――既知の概念の中でのみ生きてきた男の中には、現状の理不尽に対する燃え上がるような怒りしか存在していなかった。

 もうすぐ、自分は然るべき地位に手が届く。


 魔法使いはそのための道具でしかなかった。己の叡智に相応しいだけの知の力を以てして、それは確定した『未来』へと繋がっているはずのことだった。


 玄学者に知りえないことなどない。未来ですら彼らにとっては既知なのだ。あの遠く彼方に聳え立つニュートンズ・クロックが定める〝絶対時間〟の中では、未来も過去もその区別を失う。ラプラスの演算能力とアカシック・ストレージにある全情報を以てすれば、後はただ予定通りに全ての物ごとを片付ければいいだけなのだ。


 解析ができないものなどない。

 あってはならない。

 そんなものがもし存在するのならば――今すぐに目の前から消し去ってしまわなければならない。


『消えろこの化け物め――ッ! 時間の彼方に還るがいいッ!』


 凄まじいエネルギーが放たれる――その瞬間、ローレンシアは動いていた。

 今度はミュー・ベータにさえ知覚不可能な速度で移動すると、彼女はいつの間にか巨人の足元にいて、下から思い切り相手の右腕を蹴り上げた。


 跳ね上げられた右腕からエネルギーが放たれる。コヒーレントな光の束になったエネルギーの収束体はシティの上空へ発射され、高高度で爆炎に変わった。


 シティの直上で生じた凄まじい爆発によって、雨が一瞬だけ止んだ。爆風で全て吹き飛ばされてしまったのだ。代わりにシティを襲ったのは凄まじい閃光と衝撃波だった。


 叩きつけるような風圧がシティ全土を襲い、あちこちで構造物が破損した。市街地では大騒ぎになったが、もしあれが大地に向かって照射されていれば、被害はそんなものでは済まなかっただろう。


 禍々しい紅蓮の業火を、シティにいる全ての人間が見上げたに違いない。その中にはセドリックも、ルーシーもマリーも、出会った全ての人たちが含まれている。彼らのような優しい人々を、自分は守りたい。どうしても守りたいのだ。


 数十秒遅れて雨が再び降り始めた。

 ローレンシアはさらに右腕に力を籠めた。


「――みんなは、わたしが絶対に守ります」


 ローレンシアが右腕に力を籠める。指の一つ一つに思いと力を込めて拳を握り、それでもまだまだ、さらに力を籠めていく。


 完全に隙だらけになったミュー・ベータは即座に対応ができない。

 ハプワイアは叫んでいた。


『やめろッ! 何をするつもりだッ!? おいオペレーター!? 教えろ、やつはいったい、何をするつもりなんだ!?』


 しかし、答えは何も返ってこなかった。

 男の目の前に映し出されたのは、


 ――ネットワーク異常。通信途絶。


 その一言だけだった。

 ネットワークから切り離されてしまったハプワイアは、もはや自分の思考だけで物事を判断するしかなかった。


 だが、できない。目の前で発生しているエネルギーの歪みが、ソフィストの抱いていた世界を丸ごと歪めていってしまう。


『ばかな、ありえん、そんなこと、あり得るはずが――』


 もはや正常な思考能力を失ったハプワイアだったが、そこにやけにはっきりと魔法使いの――ローレンシアの声が聞こえてきた。


「――あなたたちの『王』に伝えなさい」


 そう、これは復讐ではない。

 守るべきものを守る。

 チヒロを、セドリックやルーシー、マリー、出会ってきた全ての人たち。あるいは、これから出会うかもしれない人たち。

 そして、かつて姉が守ろうとしたもの。

 その全てを。


 ――今度は、わたしがみんなを守る。守って見せる。


 決意が力に変わる。

 もう守られてばかりでは嫌だった。

 ずっと、誰かに守られながら生きてきた。

 今度は、自分が誰かを、みんなを守る番だった。


 ――お前が王となって、みなを守るのだ。


 ローレンシアはその覚悟を背負う決意をした。

 今はもう、その名を名乗ることに躊躇いはなかった。

「〝魔法使いの王マジェスティック・サイクロン〟が、時の向こう側から還ってきたことを――ッ!」


 それは百年ぶりとなる『宣戦布告』だった。

 エネルギーの収束が、極限にまで達した。

 ローレンシアは右腕に全てを籠めて、解き放った。



「――烈風撃衝ヴォルテック・エアバーストッ!!」



 敵を容赦なく切り裂く烈風が吹き荒れ、それはやがて大きな嵐となった。

 ローレンシアはまるで自身が敵を穿つ嵐となり、それによって生じた爆発的なエネルギーはミュー・ベータの巨体をいともたやすく宙へと浮かび上がらせてしまった。


『やめろ! やめろぉぉぉぉぉッ――ッ!』


 ハプワイアはもはや悲鳴に近い声を上げていたが、襲い掛かるエネルギーの奔流はどうすることもできず、彼はマクスウェルごとそれに飲み込まれていくしかなかった。


 どこで何をどう間違ったのか、ハプワイアには最後まで分からなかった。

 自分はこれからしかるべき地位に就いて、己に相応しい権力を手に入れるはずだったのだ。


 それがいったい、どこで何を間違ってしまったというのだろうか?

 凄まじいエネルギーの奔流の中で、ノイズまみれになったネットワークが一瞬だけ通信を回復した。


【――ハプワイア殿、あなたの功労は、しかとわたしが見届けました】


 ゲンベルスの声が聞こえて、ハプワイアは頭の中でその声に応じた。


【ゲンベルス卿!?】


 ハプワイアはてっきり援軍が来てくれたのだと思ったが、そうではなかった。

 ゲンベルスの声は嗤っていたのだ。


【あなたの収集したデータは、これから大いに役立つでしょう。ですが、あなたもう不要だ。ですので、データだけ回収させてもらいますよ】

【な、なにを――】


 突如、ハプワイアの意識領域に、ネットワークから凄まじい情報の塊が押し寄せてきた。

 それが『クラッキング』だと気づいた時には、すでにハプワイアの自我境界線は破られ、クラッカーの攻撃は〝魂(ψ)〟にまで達していた。


【それでは、ごくろうさまでした、ハプワイア殿。〝知は力なりスキエンティア・エスト・ポテンティア〟】


 その言葉が最後だった。

 やめろ、と叫ぶ暇もない。

 〝魂〟を破壊されたハプワイアの意識は、その時点で完全に消滅してしまったのだった。


 その瞬間、マクスウェルの形を嵐の中でかろうじで保っていたフィールドが消失し、万能の絶対兵器は魔法の嵐の中へ飲み込まれて、その身を巨大な炎に変えて跡形もなく消え失せてしまった。


 それでもなお、嵐はその勢いを衰えさせることはなかった。

 吹き荒ぶ嵐はやがて空にも達し、シティを覆っていた暗雲に大きな孔を穿っていた。


「――」


 孔の空いた空から突如として降り注いできた光があましにも眩しくて、チヒロは思わず手をかざして目を細めていた。


 そして、彼女はかざした手の向こうに見た。


 その姿は、きっと他のみんなにも見えていただろう。


 彼らは見たのだ。


 降り注ぐ光よりもまばゆ想いイデアを纏った、気高き〝魔法使いの王マジェスティック・サイクロン〟の姿を――




μβψ




 予言にあった魔法使いの復活は、すぐさまソロモンの館へ伝わった。

 誰もが恐れていたことが、とうとう現実のものになってしまったのだ。


 ――〝呪われし王(ノーライフ・キング)〟、魔法(パンタシアグラム)の力と共に復活せり。


 静謐であるべき叡智の中枢――中央最高議会は、突如として嵐のような様相を呈し始めた。


 会議は踊るばかりで、一向になにも進展しなかった。


 彼らはその情報をすぐには公表しなかった。玄学者たちがまず初めに裁可の拠り所としようとしたのはラプラスによる新たな予言であったが、演算結果はやはり『解析不能』で、そうなると彼らはこの事態をどのように収集していいのかがまるで分からなくなってしまい、結果的に『判断保留』として公表を行わなかったのである。誰もが自分に責任が降りかかることを恐れたのだ。


 百年ぶりという魔法使いの出現は、これまで狂いなく動いてきたニューアトランティスという巨大なマシンの回路リレーに、異物として入り込んだバグに等しかった。


 〝呪われし王ノーライフ・キング〟の名は忌まわしき名としてニューアトランティスに深く刻まれた。


 彼らにとって既知であったはずの未来はあやふやになって、蓋を開けてみるまで誰にもわからない状態になってしまったのだ。


 誰がその箱を開けるのか、それはまだ誰にも分からなかった。

 だが、玄学者たちが右往左往、上を下への大騒ぎをしている間に、マクスウェル・シティからは一台のオート・モービルが砂漠に向かって走り去ってしまっていた。

 そのオート・モービルがどこへ向かったのかは誰にも分からなかった。


 恐らく、走り出した本人たちも分かっていなかっただろう。


 ヴォイドと呼ばれる何もない砂漠は、果てのない彼方までずっと続いている。

 それは確かに絶望の地平のようにも見えたが――しかし、ここではない希望(どこか)へ繋がっているようにも見えた。


 まだ見ぬ新しい世界に向かって、オート・モービルは止まることなく走り続けた。

 誰もいない砂漠でそれを見ていたのは――やはり、はるか遠くにそびえ立つニュートンズ・クロックだけだった。

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烈風魔法少女マジェスティック・サイクロン 遊川率 @r-yukawa

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