第三章
巨大な武装と化したミュー・ベータの右腕から光が生じた。
それは砂漠に向かって撃ちだされ、開発区域にある建造中の構造物をいくつも貫通して、シティから遠く離れた大地に着弾した。
閃光が生じた。
数秒遅れて衝撃波がやってくる。着弾地点からは見たこともない大きな爆炎と猛煙が生じ、それが天に向かって立ち上っていくさまがありありと見えた。
「……嘘でしょ」
チヒロは呆然とそれを見ていた。降りしきる雨の中だというのに、爆炎はそれをものともしないで天へ向かって生じているのだ。
「――」
ローレンシアも動揺を隠せなかった。
魔法使いをこの世界から消し去った〝知の力〟。
玄学がもたらした大いなる想像力の欠片は、厳然たる〝解〟となってそこにあった。
『――ふ、ふふはは、ふははははははッ!』
ミュー・ベータからハプワイアの哄笑が響き渡った。
『なんという力だ! これがミュー・ベータの本当の力か! なんと素晴らしいのだ! 我らの〝知〟は、こんなにも偉大なものだったのか!』
その声は歓喜に打ち震えていた。
稼働率が百パーセントに達したミュー・ベータの本当の力を見るのは、彼も初めてのことだった。
結果、もたらされた〝解〟はあまりにも素晴らしいものだった。
あの大地を大きく穿つ業火に畏怖を感じぬ人間などいないだろう。もちろん、それはこの男の中にも生じていたが、彼の中にはそれを大きく上回る万能感があった。
いまの破壊は、彼の意思一つでもたらされたものなのだ。己の意思だけで、世界を歪めることさえ可能。自分という存在が無限大に広がる感覚をハプワイアは味わっていた。
『――さて、パンタシアグラマー。いや、予言に従うのならばノーライフ・キングと呼ぶべきか? まぁどちらでもかまわんが……さぁ、本番といこうじゃないか』
ミュー・ベータ――マクスウェルがローレンシアを捉える。
「――ッ!」
ローレンシアはとっさに地を蹴って回避したが、その動きは相手に完全に読まれてしまっていた。
巨人は自らの質量など完全に無視して、物理的な法則の楔から解き放たれていた。その動きと速さはデタラメという他ない。
巨人の振りかぶった一撃はローレンシアをまともに捉え、それを食らったローレンシアは構造物に思い切り叩きつけられた。衝撃で構造物が倒壊し、その中へ彼女の小さな身体は埋もれて見えなくなってしまう。
「ローレンシア……ッ!」
チヒロは小さく悲鳴を上げた。
だが、すぐにローレンシアは瓦礫を吹き飛ばして姿を見せた。
「――はぁッ、はぁッ」
満身創痍だった。
額から流れ出た血が右目を使えなくしている。どうやら左の脇腹に相当な衝撃を食らったようで、そこを抑えながら息苦しそうにしている。
あまりにも痛々しい姿だった。
そこへミュー・ベータが立ちはだかる。
余裕を完全に取り戻したハプワイアは、愉悦に浸るような声で言った。
『どうしたのだ、パンタシアグラマー。貴様らは超越人類種のはずだろう? かつては人間の上位存在として君臨し、この世界を支配した種族なのだろう? それがこの程度の力だというのか? 貴様らはその程度の力で、人類種の頂点を名乗っていたというのか?』
「……ぐ」
苦しそうに顔を歪めたローレンシアを見て、ハプワイアの顔もますます愉悦に歪んだ。
『ああ、確かにそうだ。貴様らは常人には理解できぬ、不条理とも言える力を持っている。だがしかし、貴様らは最初から力を持っていたが故に、その先を見ようとはしなかった。故に、故に我らの〝知〟に敗北したのだ。世界と対話することをやめなかった我らにこそ、世界は真理を見せたのだ。おおかた貴様らは、己の右腕にある紋様――〝
「……だから、なんだというんですか」
『なに?』
ローレンシアは息も絶え絶えに、しかしはっきりとした口調で言った。
「あなたたちソフィストは、確かに叡智を手に入れたかもしれない。パンタシアグラムを超える力を手に入れたかもしれない。しかし、それがいったい何だというんですか。あなたたちの叡智があれば、大勢の人を幸せにできるはずです。みんなが笑って暮らせるような世界を造れるだけの力があるというのに、なぜそれをつまらないことだけに使おうとするんですか」
『……つまらないこと、だと?』
「ええ、そうです。文明の進歩だか何だか知りませんけど、あんなでっかい建物造って、いったい何の意味があるんですか。あれのせいで日当たりが悪くて、せっかく干したシーツだってろくに乾いてくれません。あなたたちは自分たちだけが明るい場所にいて、そのせいで暗い場所に追いやられてしまった人たちのことに、まるで気づいていない。いや、気づこうとすらしていない。あんなにも優しい人たちを『無能』などというあなたたちのほうが、よほど『無能』ですよ」
『――』
ハプワイアは一瞬、相手の言葉を理解できなかった。
『――貴様、いったい今、なんと言った? このわたしに向かって』
きっ、と顔を上げたローレンシアは大声で言った。
「何度だって言ってやります! 『無能』はあなたたちのほうです! 文明も国も、全部人が造り上げるものなんです! 人が人らしく生きていくために、自分たちの手で造っていくものなんです! だけど、あなたたちの造っているものは違う! あなたたちはただ、自分たちに都合のいい大きな『玩具』を造ってるだけで、それが動いているのを見てただ満足したいだけなんです。止まらないためだけに動く、意味のない大きな玩具――それがあなたたちの造っているものの本質です!」
『――貴様ッ!!』
ハプワイアの怒りが、瞬間的に頂点に達した。
それに呼応するかのように、マクスウェルが動いた。巨大な破壊をもたらす大きな右腕を、ローレンシアに向けたのだ。すると徐々に、その右腕に光の粒子が収束され始めた。
『貴様程度の低能な存在が、我らの〝知〟に、〝解〟に意見するなどあまりにも烏滸がましい! 身の程を知れッ! 我らの目指すべきものこそが人類の総意なのだ! 人類全ての恒久的存続とあえかなる進歩こそが我らに与えられた命題! それを理解できぬ愚物が、このわたしに向かって偉そうなことを吠えるではないわッ!』
怒り狂ったハプワイアは本来の『捕獲』のことさえ忘れて、今にもその右腕からエネルギーの塊を撃ちだしそうだった。
そんなことをすればこの区域はおろか、シティの市街地にさえ被害が及びかねない。オペレーターも再三警告を発しているのだが、頭に血が昇ったハプワイアの意識領域にその警告は届いていなかった。
(このままじゃまずい、せめてチヒロさんだけでも――)
ローレンシアは最後の力を使って、何とかチヒロだけでも逃がさねばならないと思った。
だが、いるはず場所にチヒロの姿がない。
ミュー・ベータの足元に巨大な重機が突っ込んできたのは、その時だった。
『ぬう!? なんだ!?』
ミュー・ベータの体勢が大きく崩れた。後ろから資材搬出用の巨大なオート・モービルが激突してきたのだ。
もちろんその程度では外装には傷一つつかないが、搭乗者の意表を衝くぐらいの衝撃はあったようで、ミュー・ベータの意識をローレンシアから外すことには成功していた。
オート・モービルを動かしたのはチヒロだった。
たまたま近くにあった大型のオート・モービルが視界に入って、気が付くと乗り込んでいたのだ。
「ちょっとだけ借りるわよッ!」
運転していた人間はエンジンを稼働させたまま逃げてしまったようで、チヒロがアクセルを踏み込むと、オート・モービルは凄まじい勢いで走り出した。
そのまま、車体をミュー・ベータの後ろへ突っ込ませたのだ。本人は直前にドアから飛び降りたが、無事というわけにはいかなかった。
雨で地面がぬかるんでいたおかげで多少はマシだったが、それでも地面を転がったチヒロは身体のあちこちに傷を負った。
状況を理解したハプワイアだったが、それは彼の怒りにさらに油を注いだ。
『貴様――ッ! よくもこのわたしに向かってッ! 死ね無能がッ!』
「――」
巨大な鉄塊のような腕が振り下ろされて、その瞬間にチヒロは死を覚悟した。
(せめて、この隙にローレンシアが逃げてくれれば――)
この期に及んで彼女が思ったのは、自分のことではなかった。
せめてローレンシアだけでも逃げ欲しかった。
もう同じことは二度としたくない――その思いだけがチヒロの中にあった。
あの時、何が何でも、無理やりにでもハルカを連れて逃げるべきだった。自分はそれをしなかった。そのことを後悔しなかった日は一度たりとてない。
(ごめんね、ハルカ、ローレンシア――)
ふと見上げた空からは、絶え間なく雨が降り続いている。あの子がいる場所はいま、ちゃんと晴れてくれているだろうか?
チヒロは目を閉じて、自分が死ぬべき定めであることを受け入れた。
あの大きな腕に潰されてしまえば、人の形など跡形も残らないだろう。それはむしろ、自分のような人間には相応しい死に方だと、彼女は素直にそのことを納得できた。
鉄塊が振り下ろされる。
すると、風が吹いた。
ミュー・ベータの腕が地面ごとチヒロを押しつぶすその直前、ローレンシアがぎりぎりのところでそれを止めたのだ。
凄まじい衝撃を両手で受け止めた彼女の足が地面にめり込む。脇腹に激痛が走って一度は膝を折りそうになったが、奥歯が砕けるほどに歯を食いしばって、それを何とか耐えた。
チヒロは叫んでいた。
「あんた何やってんのよ! あんただけでも逃げなさい!」
「……絶対に、嫌です」
絞り出すような声でローレンシアは言った。その声を聞いただけで、彼女が取り返しのつかない傷を負っているのが理解できた。
だが、それでも彼女はこう続けた。
「……もう、大切な人が目の前からいなくなるのは、嫌なんです。あんな思いをもう一度するくらいなら、わたしは、自分が死んだ方がよっぽどマシです……ッ!」
「バカ! あんただけなら逃げられる! わたしなんかに構うな! あんたは逃げろ! お願いだから逃げてくれよ!」
チヒロの怒声はもはや懇願に近かった。
「――絶対に、嫌です」
ローレンシアは頑なに拒否した。
そんなことできるわけがなかった。
チヒロのように誰かを心の底から思いやれるような人間が、死んでいいわけがない。
優しさが無駄であるはずがない。
優しい人が『無能』であるわけがない。
人に優しく出来る人間は、それだけで素晴らしい才能なのだ。
――守らなくてはならない。
ローレンシアは今、心の底からそれだけを思った。
目の前の敵を倒すにはどうすればいいのかなど考えられなかった。それほどの余裕も今の彼女にはなかった。
どうすればチヒロを――大切な人を守ることができるのか。
――守らなくては、ならない。
「チヒロさんは、わたしが絶対に、守ってみせるんですから――ッ!」
ローレンシアは叫んだ。
眩い光が彼女の右腕から放たれたのは、その時だった。
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