黒の鼓動③
――死んだ。
名も無き少女。少年と、ただただ、ずっと一緒にいただけ少女が、その少年の腕の中で、そっと息を引き取った。
―― 『幸せになってください』 ――
少年に向かって、そう言って彼女は死んでいった。
なぜ彼女が死ななければならないのか?
彼女は名も与えられず、この灰礼院という地獄から出る事も許されず、ただ奉仕することのみに生かされた。
もう十分だったのではないだろうか? もう彼女は十分苦しんだのではないだろうか?
散々苦しめられ、苦しめられただけの見返りを味わう事すら出来ず、彼女は死んだ。彼女は殺された。
彼女の“外の世界を見たい”というちっぽけな願いすらこの世界は……拒んだ。
「――さぁ、時間だ。君には“境界線”を飛び越えてもらわなくてはならない」
不意に背後から聞こえた声。語りかけてきたのは七十に程近い老人。全てを圧砕した衝撃波の中、どこに潜んでいたのか? 一瞬そんな疑問を抱くも、その疑問は直ぐに吹き飛んだ。
少年はその老人の声に聞き覚えがあった。
“学園の支配人(オーナー)”。
この地獄を作った張本人。命を弄び、あの少女が死んだ原因を作った男。
そこから、少年の中から思考力が消え失せた。振り向いたその先に佇むその男を殺す為だけに少年は力を使う。
切断。世界を断ち切る力。
刹那の瞬間に全てを両断する力。
だが、そこに老人の死骸は無い。代わりにあったのは二人の少女の姿。同じ顔をした二人の少女。
そう、“1st・Replica”だ。
『無駄だよ。その程度で私を捉えようなどとはおこがましいことだ』
姿を消した老人の、“学園の支配人(オーナー)”の声のみが一人でに響き渡る。
「………出てこい………ふざけるな………俺は今すぐ………お前を八つ裂きにしないと気が済まない」
『君は“吊り上げ”なければならない』
「………御託いいから早く来い。今すぐ俺に殺されろ」
『“吊り上げて”君は漸く“境界線”に到達する』
“吊り上げる”、“境界線”。男はその言葉を強調して述べる。その言葉にどんな意味が含まれているのか、少年には到底理解する事は出来ない。しかし、少年にとってそれは瑣末な事に外ならなかった。
「これは最後通告だ。今すぐ出てこい」
しかし、老人からの返答は無い。代わりにあったのは老人と代わる代わる現れた二人の“1st・Replica”の嗤う声。
「無駄ですよ。“学園の支配人(オーナー)”には“1st”が付いています」
「“境界線”に到達しなければ“1st”に干渉することはできません」
「“吊り上げる”。私達を殺せば漸く貴方は“境界線”に到達するのです」
そう言って。彼女達はカタカタと笑い始めた。
あの狂気を孕んだ笑み。あの少女を殺した笑み。
「“学園の支配人(オーナー)”は言いました。“絶望せよ”と」
「私達魔王の落胤(システマギア)に希望はありません……」
「憎みなさい憎みなさい」
「私達を受け入れないこの世界を」
二人の“1st・Replica”はカタカタと笑いながら、少年を見下すように嘲笑する。
「そんなこと……ハナから知ってる。だけど、あいつはどうなる。あいつは俺達とは違った。人間だった……本当に、ただの人間だった!!」
「貴方が生まれたからですよ」
頭の芯から揺さ振るような言葉が少年の中で響いた。
「そもそも、私達のような存在がいなければ彼女のような“奴隷”は生まれなかった」
「なら、私達を生んだこの世界の所為になるでしょう?」
二人は言う。囁くように、狂気を振り撒きながら。
「私達を生んだのはこの世界――」
「彼女達を生んだのもこの世界――」
――「「彼女を殺したのもこの世界」」――
それは暗示の様だった。実際、そこには何等技術の介在してはいない。だがしかし、その言葉は少年の根幹の、一番深い層に刻み込んだ。
手の施しようの無い程に、深く深く……刻み込んだ。
「―――ハハハハハハ」
その言葉は毒となって彼という樹木に変化を起こし始めた。
刻み込まれた傷から思考という循環器によって隅々にまで毒は染み渡り、彼という存在を“変貌”させていく。
「最初から分かっていたじゃないか。世界が……優しくない事なんて」
少年は呟く。呟きながら自制心に働き掛ける。
だが、それよりも早く強く加速していく“憤怒”が自身の狂気を駆り立てる。
崩壊していく自身の中の何か。自分は世界にとって要らない、必要ない、邪魔でしかない異物に過ぎない。なら何故、世界は彼等を産み落とした?
「(魔王が残した遺産? 残留思念? 呪い? 落胤? だからなんだ? 俺達が絶対的な“負”? ……良いよ、それは認める。だけど――)」
“樹”が倒れた。
真ん中から、歪つな傷を見せながら。
「――だけど、あいつは……“負”なんかじゃなかっただろうがぁっ!!」
†
少年は駆け出した。“学園の支配人(オーナー)”が言っていた“境界線”に辿り着く為に。
“吊り上げる”という行為を開始する。
対する二人の“1st・Replica”もそれを見て笑みを深くして、唱える。自身の力を――
「「“加速(アクセル)”」」
二人の姿が一瞬にして消え失せる。
……否、消え失せたのではない。認識出来ぬスピードで動いているのだ。空を裂く音が鳴り、後から大気がうねる音が聞こえてくる。
少年は強引に空間を捩曲げ彼女達を捉えようとする。金属が轢るような音ともに歪む空間。それは加速する時間の中を生きる少女達が残す残像を食いつぶす。
一方的に少年が攻めている形となる。だがしかし、二人の“1st・Replica”も甘くはない。
自身の進行速度を加速させる彼女達は因果律を強引に捩曲げる。
過去から直接少年に干渉すれば中断、反撃される恐れがあるため。少年が“勝てない”と感じた力を現在に出力する。
因果律操作。通常の人間ならそんな事にも気付く事無く嬲り殺されるだろう。
しかし、少年は無意識にそれを察知する。向けられている力の流れが全く逆方向であるものの、自分の力に、余りにも酷似しているからだ。
彼は咄嗟に真横に跳んだ。次の瞬間、先程まで彼が立っていた位置に光の槍が落ちた。彼女達が過去から持って来た“2nd”の光の槍だった。槍は大地を刔り、爆風を巻き起こして少年と大地の残骸を吹き飛ばした。
光の槍。これの直撃を完全に回避した時点で彼は“進化”への階段を駆け上がり始めていた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッッ!!」
絶叫する。彼は身の毛もよだつような不気味な叫び声を世界に響かせ、自身の理解を超えたその先で次々と繰り出される因果律操作を中断させていく。
互いが互いに莫大な総量を以って喰らい合う二つの力。その二つの力は魔王の落胤(システマギア)の中でも異質中の異質であった。
そんな異質な力同士のぶつかり合いは確実に、この世界に変化を起こし始めていた。
異質過ぎる真逆の力。二つの力が起こすのは異なる物理法則が介在する“世界”の創造。
「“異界”……?」
そう呟いたのは二人の“1st・Replica”のうち、少年と距離を取っていた方の少女だった。
黒い黒い漆黒の球体。それが彼女の異界に対する印象である。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!?」
断末魔が響き渡った。
少年に接近しながら戦っていたもう一人の彼女が異界に放り込まれたらしい。
異界の中で蠢く驚異は一人の少女をあっさりと喰らい。何者にも届かぬ深淵の底へと引きずり込んでしまった。
異界はその少女を引きずり込み、更に助長していく。不気味な程に、巨大になっていく……。
「……ハハハッ」
その光景を目の当たりにした“1st・Replica”は……嗤った。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
少女は嗤っていた。口角を限界まで上げ、白い歯を見せながら、壮絶に。
“1st・Replica”。彼女が続いて行った事は因果律操作によって“一番目~五番目の力”を出力し、“数秒先の未来へ送り込む”こと。ふらつく少年、けれども彼女を睨み、突き進んで近付いて来る彼の未来に向かって。
光の槍、震災、ダウンバースト、津波。どれも破格の威力を持った力。それらが後数秒先の未来の少年へと撃ち込まれる。だが、少年は立ち止まらなかった。こんなものを突破出来ない様では今後“学園の支配人(オーナー)”の下へと辿り付けないと判断したからだ。
だから――彼は再び絶叫する。 悍ましい声を、世界に響かせる。
†
最早、彼に理解は無かった。あの少女を失った悲しみとそれに伴う怒り。それらによって生まれた“痛み”は彼を限界の向こう側に押し出した。
空間に走った衝撃波。それが迫り来る脅威に牙を剥き、喰い潰す。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッッ!!」
咆哮する彼の“進化”は止まらない。一足飛びで、“境界線”へと駆け上がって行く。
“1st・Replica”はその彼の咆哮する姿を見て、高く高く、狂ったように嗤う。少女は、けたたましく、ただ、ひたすら、嗤う。
魔王の落胤(システマギア)にとって七つの大罪と呼ばれる感情は能力強化の促進に繋がる。彼が“憤怒”という感情から進化への道筋を見据えているように、少女は“傲慢”という感情を胸に、力を加速させる。
依然として肥大化を続ける異界。
だが、それをも大きく凌駕する勢いで“1st・Replica”と少年の力は加速する。“進行と停止と逆行”かたや“座標と領域と質量”。異なる二つの力。莫大過ぎる総量。四次元と三次元からそれぞれ現出される力。最早、それは人の手――いや、魔王の落胤(システマギア)の介入すら許されぬ戦いとなっていた。
“境界線”へと駆け上がる少年。“境界線”として有り続ける少女。
二人は内に燃える“憤怒”と“傲慢”を炸裂させる。
切断。世界を断ち切る刃。
その残酷なまでに色濃い怒りを孕んだ狂気の刃を彼は“1st・Replica”に向かって振り下ろす。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
しかし、けたたましく嗤い続ける彼女は因果律操作で移動させたのか、“異界”を盾にその一撃から身を守る。
異界は真っ二つに切断され、耳を劈く怪音を立て、最後に烈風を生んで消え失せる。
――そこで“1st・Replica”は動いた。“進行”の力をフルスロットルで行使、恐るべき速度にて彼女は大気蠢く烈風を貫いて少年の下へと到達する。
その手には握り拳。“停止”の力を用いて鋼よりも硬くなった拳を“進行”の力で音速すら易々と超える速度で彼の腹部を撃ち抜く。
分厚いガラスの板を強引に砕いたような音が世界に鳴り響くとともに、少年の体が15~20M程後方に吹き飛んだ。
「―――っぅ!!」
寸出のところで圧縮した異空間を盾にその一撃を防ぐも、威力を殺し切れずに彼は地面を転がる。
「アハハ、分厚いですね……」
少女はカタカタと笑いながらゆっくりと近付いてくる。“境界線”という名の強さを誇示する、圧倒的な“傲慢”を背に。
地面に腹ばいになった少年は反撃すべく腕を振り下ろす。切断。ありとあらゆるものを切り捨てる無慈悲な刃。
しかし、“切断”は少女を両断する直前で掻き消えてしまう。
その光景に少年は息を呑み、「なん、で……?」と呟く。その疑問に“1st・Replica”は笑みを深くして答える。
「貴方に出来て、私に出来ない筈が無いでしょう?」
そう、詰まり、キャンセル(中断)だ。
先程少年は無意識の内に“1st・Replica”の因果律操作をキャンセルしていたが彼女はそれを意識的にやってのけた。ただ、それだけの話だ。
「クソ………っ」
二人の力は同じ基盤を用いて全く逆の方向から電流を流しているような感覚に近い。それ故、対象が使おうとする力に見合うだけの力をその対象に向かって使う事が出来れば相殺出来てしまう。尤もかなり強引な手法な為、恐ろしく困難なものではあるが。
「キャハハハハハッ。これじゃ“境界線”を超えられませんよ~? それともさっきみたいに死ぬ準備でもしてんですかぁ~? まぁ、貴方がどうしてもそうしたいならそこで無様に這蹲ってくださいな」
彼女は歌うように、天を仰ぎながら壮大に告げる。
「今すぐ愛しの彼女の下に連れて行ってあげましょう。――重っ苦しい歪つな十字架背負って野垂れ死ね」
最後に高嗤いしながら彼女は両の細腕を天に掲げる。
四次元空間に歪みが生じる。絶対に有り得る事の無い――矛盾とも取れる歪みが。因果律操作によって過去から有りったけの力を呼び寄せるのだ。
「何か、言い残す事は?」
地に伏せる少年に彼女は傲慢を伴ったその言葉を投げ掛ける。死へと誘う銃口を向けながら。
「……死なない」
「は?」
「絶対に死なない」
少年は手を着いて、ふらふらになりながらも立ち上がる。そして、彼女の目を真っ直ぐに睨み付けながら、言う。
「あいつを殺したお前が憎い――」
一つずつ、一つずつ。
「お前等を作った“学園の支配人(オーナー)”が憎い――」
自分の心の中に沈降した怒りを言葉にしていく。
「そして、何よりも――」
―― “俺からあいつを奪ったこの世界が憎い” ――
少年は絶叫するように吠える。溜め込んだ悲しみと怒りを乗せて、彼は咆哮する。
「――だから、俺は死なない。死んでたまるか!! 俺はこの悪夢のような世界を変えるまで絶対に死なない!!」
かつてとある少女が望んだ願い、“外の世界を見る事”。それが願いや望みとしてではなく、全ての人間が当たり前に享受されるものとする為に。
この理不尽で、絶望しかない世界を破壊する為に。
――“空が堕ちた”。表現的にはそれが一番近かった。
少年の叫びを聞いた彼女は彼を殺す為の力を使う。纏めて圧砕する力を。
爆音が轟いた。地殻ごと震える衝撃が大地を揺れた。
爆風によろめく彼は狂気の笑みを浮かべる彼女を見つめる。
空が堕ちるまでにまだ猶予がある。少年は悪あがきするように彼女を狙う。無数の刃による“切断”を行使。
だが、彼女は“進行”の力を使い、狂気する全ての刃を避け切ってしまう。
彼女は楽しんでいた。空が堕ちてしまえば少年は確実に死ぬ。これは少年の総量を越える一撃。
彼女は嗤っていた、実に楽しそうに。“境界線”に到達出来なかった者の末路を想像しながら。
†
堕ちる空。あれが自らの力を超えたその先の地点に位置する力の産物であることはすぐに分かった。
だが、
「(死なない……絶対に死なない)」
彼は心を奮い立たせる。
「(あいつは死んだ。だからもう遅いのかもしれない。――だけど、俺はあいつの願いを叶える。それが、俺があいつに出来る唯一の償いなんだ。だから、死なない。――死んでたまるか!!)」
獰猛な怒り。野獣のような生のへの渇望。それが少年を更に加速させる。
有り得ない速度で空間を駆け抜ける“1st・Replica”。彼女の姿を彼はその目で捉える。その姿ではなく、その“軌道”を――。
そして、その軌道を読んで……“掴む”。
「―――――っぁ!?」
空間を歪ませ彼女を強引に捉える。腕がもげるような衝撃を少年を襲う。だが、そんなことは関係無かった。彼は搦め捕った“1st・Replica”を引き寄せ、その手に威圧するように少女に向かっておどろおどろしげに語りかける。
「“境界線”……飛び越えるだけでなんて済ませない。“取り払って”やる」
「ハハハハハハ!! 良いよ? 取り払いなさい。こちらは“境界線”の向こうにさえ行ってくれれば問題無いのですから」
目の前で再び狂気を帯びた笑みを少女は浮かべる。
彼女達は死ぬ為に生まれてきた。“学園の支配人(オーナー)”は彼女達を彼の踏み台として用意し、彼女達はそれに従うのみ。それ以外に生きる方法を知らなかった。だからこそ、彼女達は笑みを浮かべる。
そんな彼女の胸倉を掴んだ彼は“境界線”を突破すべく手を振り上げる。
ストン。
酷く軽い音を立てて彼女は両断された。
“切断ではなかった”。いつの間にか彼の手には歪つで、禍々しい程に真っ黒な刃が握られていた。どこから現れたのか、これが“1st・Replica”を斬り殺したものなのか? そういった疑問の解は分からなかった。
だが、漠然として理解できる事がある。これが“境界線”の向こうに存在するものなのだと。
足元で両断された“1st・Replica”は脳髄や内臓を曝しながら、口元はそれでも尚、不気味な笑みを浮かべていた。
犠牲者が、また増えた。その事実は少なからず少年の心を傷付けていた。だが、同時にその傷の痛みは少年の中で燃える“憤怒”という感情をより一層大きく燃え上がらせた。
やらなきゃやられる。そんな残酷な世界に彼は身を置いてきた。それでも“人を殺す”事は慣れなかった。慣れるべきではないと思った。人は殺すべきでも殺されるべき存在ではないと思った。
だから、彼は憤怒する。彼の踏み台として彼女達を作ったあの男を――そして、魔王の落胤(システマギア)という残酷な命を作り出したこの世界を。
故に少年は大量の返り血で頬を湿らせながら、呟く。
「“境界線”……越えたぞ」
何も無くなった島の中心で彼は呟く。
「だから、出てこい――」
もう彼を止める者はいない。怒れる彼を止められる者はいない。
「出て来ないならこちらから出向く」
彼の歩みを止める者はいない。
復讐者となった彼を止められる者はいない。
―― 生まれた事を後悔するような死をお前にくれてやる ――
絶叫した。絶望の咆哮。
この時、復讐者となった一人の魔王の、孤独な戦いが始まった。
短編その他諸々 蜂蜜 最中 @houzukisaku0216
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