黒の鼓動②

 学園全体に突如響いた声。そして、校庭の中心で映し出された立体映像(ホログラフィー)。それらが告げたのはこれから始まるであろう虐殺と“2nd”と呼ばれた男の死に様。

 このことにより学園中はパニックに陥っていた。

 “2nd”とは文字通り二番目という意味。この学園で二番目に強い力を持つ“2nd”があっさりと惨殺されたのであれば“その上”を除く全ての人間達では歯が立たないという事に外ならない。

 故にパニックに陥っていた。

 悲鳴、怒声、罵声。皆が自分だけはなんとしてでも生き残りたいという怨念が込められたものばかりだ。



「貴方様は何も思われないのですか?」

 そんな喧騒の中、西洋のお仕着せを纏う少女が傍らに立つ少年を見ながら言う。

 だが少年は何も言わなかった。“2nd”よりも強い個体が三人も解き放たれたのに、だ。

 恐怖心が無い訳ではない。寒気などない筈なのに指先が微かに震え、歯をガチガチと鳴らしている。死が恐い人間などいない。眼前に迫る死の恐怖を目の当たりにして平静としていられる人間のほうが余程おかしい。


 だが、彼は何も言わなかった。それは同時にこうも思ったからだ。


 “もし、世界に拒絶されたズレた人間である俺達がいなくなれば世界にとって良いことなのではないか?”と。


 この世界に魔王の落胤(システマギア)の安息の地は無い。あるのはこの灰礼院だけ。実験動物(モルモット)としての役割が、あるだけ。

 そんな役割を押し付けられるくらいならいっそ世間様の為に惨たらしい死を迎えた方が良いのではないか? 彼はそう考える。

「貴方様は死ぬ事がお望みなのでございますか?」

 少女の質問に少年は微かに小首を傾げる。珍しく自分の言葉に反応した少年を見て、彼女は続けざまに更に問い掛ける。

「確かにこの世界は魔王の落胤(システマギア)には生き辛い世界なのかもしれません」

 彼女は微かに視線を落としながら、続けて「ですが」と付け加える。

「いずれ、この世界は変わってくれます」

 彼女は真っすぐに少年の瞳を見つめながら述べる。いつもながらの生気の無い“無”の表情で。

 少女は純粋だった。いや、汚れ過ぎて純粋を求めていた。この世界の汚泥とも言える地で彼女は救いを求めていた。彼が幸せになれる様にと願いながら。

 だが、少年にとって少女のその想いが苦しかった。世界は、そこまで優しくは無い。彼も願うだけ願った。この世界が少しでも自分達に優しくなってくれないかと。だけど、その全ては徒労に終わった。

 ズレが、そう簡単に正される訳がない。世界は徹底的に彼等を拒絶する。

 これが変わる事はない。

 少年は俯き、背を丸めてうずくまる。

 少年は改めて思う。この世界には絶望しか存在しないという事を。




「私は……外の世界を見てみたいです」



 ――不意に少女がそんな事を呟いた。

「酷く、馬鹿馬鹿しくて、拙く、どうしようもない願いです。ですが、その御蔭でこの学園に生かされている筈の私は“死にたくない”と思う事が出来ている気がします。貴方様にはほんの小さな願いも無いのでございましょうか?」

 少女は問い掛ける。全てを諦めようとしている少年を救いたくて――ただただ、生きる事を諦めて欲しくなくて……。




 ――“望み”、“願い”。そんなもので生きることへの活力を得る事が出来るのか? 少年には分からなかった。それにそもそも、例え生きる活力を得たところで世界が彼等を認める事はない。そんな世界で生きることを選んだとして、その先に望んだ未来があるとは彼にはどうしても思えなかった。



 生きること。



 必ずしもそれが正であり、善であるとは限らない。

 少年は魔王の落胤(システマギア)という“負”で、それが生きる事が正や善である筈がない。死して初めて“正”に為ることができる。

 彼はそういう考えの下、日々を生きてきた。

 生きることで罪悪感を感じる。常に十字架の重圧を感じながら、生き続ける。

 苦しみながら生きながらえ、周りを不幸にしながら生きながらえる。そうした上で生を保ち続ける事に何の意味があるというのだろうか。

 かつて世界を滅ぼさんとした“魔王”という存在が残した残滓、残留思念。

 魔王がいずれ復讐すると意志の表れ。

 世界を滅ぼすためのシステム(呪い)。


 故に“魔王の落胤(システマギア)”。


 “魔王の秘術によって世界に掛けられた呪い”


 それが魔王の落胤(システマギア)の意味。



 そんな絶対的な“負”の望みや願いが成就されるなどという事がありえる筈がない。

 “負”は、いずれ駆逐されるのだから。 そして、彼の“その時”は、近い。


 ただ、それだけ……。





       †





 回る、回る、


 触れれば壊れてしまいそうな程に儚く淡い幻想の中で――。


 少女は震える。“進行”と“停止”と“逆行”の狭間で少女は震える。全てを拒絶する彼女をそこから引きずり出すには、それと全く“逆の方向性の力”が必要があった。



「“座標”、“領域”、“質量”。後は吊り上げるだけ……。それだけで私の望みは果たされる」



 呟くように、昏々と眠り続ける少女を見ながら、男は言う。深く刻み込まれた無数のしわが樹木の年輪の様に男の生きてきた時間を語っている。

 男は科学者だ。あらゆる分野の謎を解き明かし、その全てを超越してきた科学者。世界最高の科学者とも言える存在。

 だが、彼には超越する事が出来ないものがあった。それが、人の死。

 若返ることや延命する事で時間の経過という名の老いすらも超越したが……死だけは超越することが出来なかった。


 死の超越こそが彼の念願であり悲願であったのに。科学者となった理由そのものなのに。


 だから、彼はその少女を求めた。少女の力で……死を超越しようとした。だが、少女は男の行動を読んでいたかのように狭間の中に逃げ込んだ。

 全てを拒絶する少女。彼が持つ知識や技術を以ってしても、少女をそこから引きずり出す事は出来なかった。だから、彼は欲した。それと全く逆の方向性の力を。


 そして、彼はそれを手に入れた。


 大きな遠回りだった。だが、それもこれで終わる。



「――もうすぐだ。もう少しだけ待っていておくれ。もうすぐ……全てが終わるから……」





       †






 虐殺が始まった。


 象が蟻を踏み潰すように、同じ顔をした三人の少女達が全てを蹂躙する。“2nd”という男の死から始まったそれは余すことなくあらゆる人間を食い尽くしていく。そこには魔王の落胤(システマギア)と奴隷に壁は無く、平等に嬲り殺されていく。

 地は血を啜り、血に塗れていく。響き渡るのは断末魔と少女の高笑いのみ。

 そこには正気などというものが一切存在しない狂気の坩堝と化していた。



「――死ね!!」

 瞬間的に巻き起こる暴風。上空から吹きおろすダウンバースト。それはまさに風神の槌といえる威力で意図も簡単に大地を割り、砕いた。

 その少女は学園で四番目。その番号に恥じぬ威力であった。


 それなのに――


 ゆらり、ゆらりと重心が定まらぬ動きでゆっくりと、この虐殺を敢行する少女が近付いてくる。

 死と狂気と絶望を連れてゆっくりと、確実に、近付いて来る。

 生身の人間なら一撃でその身体をただの肉塊にしてしまう。原形すら残さぬ威力だったのに……。


 なのに。


 その少女は近付いてくる。体に傷一つ付けず、それどころか汚れの存在すらも許さず、少女は近付いてくる。

「嫌だ……なんで………なんでなの? なんで私の力が効かないの!?」

「シラネェヨ」



 悪魔のような笑みと共に少女の身体が弾け飛んだ。

 少女は“4th”と呼ばれる程の力を持った魔王の落胤(システマギア)だった。だが、その“4th”の力を以ってしても、突如現れた殺戮者に一矢報いる事も、断末魔を上げる事すら許されず、瞬きする間もなく、圧殺された。

 膨大な量の血液を撒き散らし、真っ赤に染まった校庭に新たな染みを作った。

「――“4th”消去(デリート)~」

 悪魔のような笑みを顔に貼付けたまま、顔中には夥しい量の血液を付着させて、彼女は歌うように述べる。

「これでめぼしいのは全部狩りましたよねー。後はー……後はー……くひひひっ」

 少女は動き出す。笑みを浮かべながら、主の命じるままに――。





 赤く、黒い。ただ、ひたすら、不気味で、狂気が渦巻いている。


 この地では死が、蔓延していた。



 一方的に虐殺されていく生徒達。その数は当初の十分の一以下にまで迫っていた。

「寮も、随分静かになりましたね」

 お仕着せを纏う少女は淡々と抑揚の無い声で呟いた。

 ほんの数時間前までは嬌声や怒声、罵声が目まぐるしい程に飛び交っていたのに、今ではそれも見る影も無い。

 寮に初めて訪れた静寂。それは現れてしまった脅威によって齎された。

 その脅威が“1st・Replica”――“1st”の模造品であるという情報を彼等が得たのは虐殺が始まってからすぐのことだった。

 二番目から五番目。数万といるこの学園のなかでも最強に程近い彼等でさえ手も足も出ず一方的に殺害された。

 少年はこの学園の中でも上位に部類される強さではあるが、それでもやはり“2nd”達のような強者と見比べればかなり劣る。

 “頃合いなのかもしれない”。少年は純粋にそう思った。


 その時――



「――はぁ~ぃ♪」



 一人の少女が不躾な調子で部屋を訪ねてきた。立体映像(ホログラフィー)で喋っていた少女と同じ顔をした少女――“1st・Replica”だ。

 調度良い、このまま殺されればこの世界から排除される。排除されて漸く“正”になれる。“1st・Replica”を前に少年はそう思った。

 そう思うことでしか死を受け入れられそうになかったから。

「なんですか? 抵抗しないんだ? ひょっとして死ぬ準備出来てますよー的な人ですか?」

 少年は何も言わなかった。何も言わず、ただ無言で、最強の複製に視線を向ける。

「なんですか? それ。意味がわかりません。殺意どころか命乞いも無しですか。詰まりません非常に詰まりません。もっと過激になって私を喘がせてごらんなさいな」

 それでも少年は動かない。死ぬ事を受け入れようとスッと目を閉じるだけ。

 だが、少女は“それ”が気に入らなかった。“それ”を彼が行うということは少女達の存在概念を否定されてしまうことと同じだから。

「ふざけないでくれませんか?」

 “1st・Replica”は、怒りに塗れた言葉を呟いた。呟きながら部屋の水道のバルブを粘土のようにちぎり、

「テメェみたいなマグロ野郎犯してもツマンネェんだよぉ!!」

 怒りの感情を絶叫しながら力任せに投げ付けた。

 バルブは見た目十歳かそこらの少女が投げ付けたのにも関わらず、常人の認知速度を遥かに越えた速度で少年に着弾した。

 少年の腹部に赤い染みが広がる。バルブは超音速にて、軌道上で弾丸という名の鋭い槍と化して少年の腹部を貫通した。

 少年の幼く、小さな体はトスンと酷く軽い音を立てて壁に縫い付けられた。悲鳴も絶叫も、断末魔も無かった。痛みはあった。だが、声は上がらなかった。

 ただただ、彼は目を閉じて死を受け入れる。この世に化け物の居場所は無い。だから、少年は目を閉じる。抵抗はしない。どうせ殺されるのだから。

 その様子を眺める“1st・Replica”は狂気に塗れた笑みを零しながら、更にドアノブを引きちぎる。

「ヒハハハ……、なに? 君、マジ抵抗しないんだ? 君、あれなの? 死にたがりなの?」

 そして、言いながら先程と同じように力任せに投げ付ける。

 音は無い。音は後からやってくるのだから。

 槍が少年を貫いてから音が響く。



 その筈だった。




 …………音がした。金属がひしゃげる音と、肉を強引に潰したような音が。

 少年は顔中に生暖かい液体が付着するのを感じた。続けて顔面の真横の壁に、何かが突き刺さったのも直ぐに察知する。

 痛みは先程腹部を貫かれたものしか感じない。少年はそれで槍の軌道が逸れた事。そして、自分がまだ生きている事を理解する。

 なにがあったのだろう? そんな疑問を胸に抱きながら少年はゆっくりと目を開ける。



 ――そこには少年と共に日々を過ごしてきた少女の背中があった。でも、その背中はいつもと様子が違っていた。

 少女の背中……調度少年の目線の位置から、見える筈の無い“1st・Replica”の狂気に満ちた笑みが見えた。

 少女の影になって見える筈の無い凶悪な笑みがそこにある。




 ――風穴。前に立つその少女の体に大きな穴が開けられていた。その穴から、“1st・Replica”が覗いている。




「っ……」

 微かに少年の口から吐息が漏れた。同時に、少女の体がくず折れる。

 少女が盾にしようとしたフライパンの残骸が床に音けたたましく、落ちた。

 目の前に佇む現実に頭の理解が追い付かない。ただ、粘性の物質を胃へと流し込むような感覚が少年の中で渦巻く。そして、砂礫や泥濘のように、それは沈澱して、そして――

「―――――――――――――」



 叫んだ。声はない。声無き叫び。


 深い深い絶望。深い深い悲哀。それだけで満たされていた彼の心に“憤怒”という感情が生まれる。それは色で言えば黒。ありとあらゆる想いや感情といった色を塗り潰す黒。

 何故こんな感情が生まれたのか、少年には分からなかった。だけど、奮え上がる怒りは確実に“1st・Replica”へと向けられていた。

「それだよ、それ! それですよ私が求めていたのは!!」

 “1st・Replica”は歓喜に湧いた様に、更に笑みを深くした。

 そんな彼女に対し、少年は上から下向かって一直線に腕を振るう。同時に“1st・Replica”の右腕が切断され、間欠泉が噴き出すように血液が噴出する。

「あははははははははははははははははは!!」

 だが、“1st・Replica”は笑っていた。狂ったように激しく、ただ笑っていた。

「なんだこれ? なんだこれ!? 私の力、効きませんーよー?」

 片口から噴出する血液の噴水を目にしながら壮大に歌うように言う。

 疑問は無い。“1st・Replica”はその答えを知っているから。

 彼女は笑う。漸く自身の役割を全うできる、だから、笑っている。

 天を仰いで、壮絶に笑う。そんな彼女に少年は、切断。圧力。歪曲。転移。自身の能力が可能にする力をいっぺんにまとめて行使する。





 切断によって世界ごと断ち切り、


 圧力によって空間ごと圧壊し、


 歪曲によって場所ごと乱回転させ、


 転移によって領域ごと“狭間”に突き落とす。





 彼の力によって世界に異空間が焼き付けられた。力によって強引に焼き付けられたその異空間は酷く不安定で、膨張と収縮を何度も繰り返す。そして、最終的に極限まで収束する。

 続いて起こるのは――“リバウンド”。


 極限にまで収束された空間は内側からの圧力に耐え切れず、力の矛先は外側へと向けられる。

 瞬間。爆発を起こしたように蓄えられた力の塊を炸裂させた。

 炸裂する力は少年と少女を除く全てを吹き飛ばした。

 崩壊する寮と学園の校舎。薙ぎ倒される樹木。持ち上がる大地。後に残ったのは戦場の跡地のような光景のみ。目の前で壮絶に笑っていた“1st・Replica”の姿もない。

 だが、少年はそんな状況に目もくれずすぐに少女の下へと向かい、抱き寄せた。

 どうすれば良いのか? そんな事は分からない。ただ、少年は必死で彼女を抱き寄せた。それしか……出来なかった。

 胸に大きな穴を開けた少女は決して少なくない血液を流しながら、焦点の合わぬ目で錯乱する少年の目を見つめ、

「どう、なされたので、ございますか?」

 問い掛ける。

 右肺が消失し、ろくに呼吸も出来ないはずなのに、少女は問い掛ける。自分を抱き寄せる少年に対して……。

「…………して?」

「……?」

「……………なんで助けた。どうして、助けた……ッ!?」

 口の動かし方なんてとうに忘れていたと思っていた。少女との意思疎通など長い事やっていなかった……その筈なのに、少年の口からはすんなりとその言葉が出た。

「久々、で、ございますね。貴方様のお声を聞くの、は……」

「そんなこと……今は関係無い!!」

 少年は、少女を抱える両腕……そして、全身が微かに震えているのを感じながら、それでも声を張り上げた。

「外の世界が見たかったんじゃなかったのかよ……お前は、まだ望みがあったじゃないか!! お前は、俺と違って……普通の人間なんだから」

 次第に少年の声も震えていく。それでも、少年は彼女を真っすぐに見ながら言った。

 少女には“望み”と“願い”があった。――“外の世界を見てみたい”という純粋な願望が。

 だが、少女は、体を震わせる少年に向かって、

「私には……それは無理だったのです」

 そう言いながら彼女は白く柔らかな手でふわりと少年の頬を撫でる。

「私達“奴隷”は人体のコピー(クローン)ではなく、全て人の手で作られた人造人間。この学園の設備が無ければ生きることすら出来ない人間の模造品なんです」

 少女は目を伏せながら言う。そして、更に「それに」と続けて、

「例えその足枷が無くとも……私は多分、同じ事をしていました。だって、私にとっては……そんな願いよりも貴方様の方が大事でしたから」


 何故そんな事を言うんだろう? 少年はそう疑問する。

「お前にとってその“願い”がそんなにも小さなものな訳が無いだろ……生きる希望をくれる大きな存在だったんだろ?」

「私にとって……その願いは確かに、大事なもの。だけど……私に、とって……貴方様はそれよりも大きな存在だった。それだけなので、ございます」

 話し掛けられてもろくに返事などしたことが無かった。その筈なのに、どうして彼女はそんなにも“優しそうに”言えるのだろう? 少年には分からなかった。

「この、想いは、多分、今の貴方様には伝わらない。だけど、それで、良いのです。この想いは、きっと貴方様をより深く、傷付ける」

 少女は呟く。もう呟くようにしか喋る事が出来ない。

 元々、助かるような怪我じゃなかった。だが、それでも少女は呟く。

「貴方様には……生きていて欲しいのです」

 死。明確な、死。彼女にはそれが分かった。

 受け入れたくなんかない、いつまでも彼と一緒に居たい。そんな想いが彼女の中を駆け巡る。

 でも、死という絶対的な時からは逃れる事は出来ない。故に、彼女は言う。

「どうか、この世界に、絶望しないで……」

 伝えたいことを全て、言葉にして、

「貴方様は幸せになってください」

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