エピローグ

「まったく隊長はニートのことになると入れ込みすぎるんですっ! 少しはご自分の体のことを考えてくださいっ!」

 怒鳴りながらも、螢樹は俺の隣でリンゴの皮を剥いていく。その様子を、俺はベットの上から眺めていた。コミケでの怪我の治療のため、俺は現在入院中だ。

 ちなみにリンゴは教官からの差し入れだ。差し入れついでに、こんな一言もいただいていた。

『ビックサイトの事件後お前の部隊の空砲を数え直したのだが、お前が使った空砲の薬莢の数を入れれば全て申請されていた数と一致した。一発空砲が足りなかったというのは、私の勘違いだったようだな。すまない。ところであの時、インカムのボリュームが使う空砲の数を誤魔化すために意図的に絞られたように感じたのだが、そんなことはないよな? 無辺四曹』

 ……本当に、どうやったらあの人を出し抜くことが出来るんだろ。

「ちょっと隊長、聞いているんですか! 大体六月のあの時だって、私一人であの汚らわしい同人誌を買いに行かせてっ!」

「あぁ、そういえばそんなこともあったな」

 井上一樹を狩った時、あまりにも同人誌に執着していたので、一樹の部屋にあった同人誌からあの日彼が買う予定だった同人誌を割り出し、螢樹に買ってこさせたのだ。

 その同人誌は一樹がいる訓練施設に匿名で郵送済み。彼にとって、俺は自分を狩った憎悪の対象。わざわざ彼にとっての『悪』である、俺が名乗り出る必要はない。

 それでも、彼が今のところ何とかうまくやっているとは聞いていた。訓練施設にいる仲間も元々同じような趣味のニートたちが集まっているようで、訓練は互いに励まし合っているらしい。

「そういえばって! あの時、私がどれだけ大変だったのか、隊長分かってるんですか? 分かってませんよね? そうですよねっ!」

「そんなことより、アンリと不動はどうした? 螢樹(ほたるぎ)」

「そんなこっ……! それに、私の名前はっ!」

「いいから、早く報告しろ」

「うぅ~っ! 隊長のイジワル! 前は普通に名前で呼んでくれたのに! もうベットの上じゃないと、名前で呼んでくれないんですか……?」

「早く」

「んもうっ! アンリさんと不動さんは、コミケでの事後処理に奔走中です」

「お前は行かなくていいのか?」

「上官命令は、絶対なのです!」

「……アンリと不動に仕事押し付けてきたのか、お前」

 これは帰ったら、絶対に荒れるぞ……。

 退院した後のことを考えると、それだけで憂鬱になる。俺の頭の中には、激怒したアンリと不動の姿が浮かんでいた。

「それもこれも、誰かさんがこんな状態になっちゃったのが原因なんですけど~っ!」

「おい、ナイフの切先をこっちに向けるな! 危ないだろ!」

「じゃあ~、こっちはどうですか?」

 そう言って、螢樹は皮を剥き終わったリンゴを俺に差し出してきた。食べやすいように、一口サイズに切ってある。

 差し出されたリンゴを口に含み、ひと噛み。熟れたリンゴの甘みが、口いっぱいに広がった。うまい。

「そういえば、俺と山本を救出するタイミングは絶妙だったな」

 螢樹に食べさせてもらったリンゴを咀嚼しながら、意識を失う直前のことを思い出していた。

「何をおっしゃっているんですか。ご自分でそのタイミングを指示されたのに」

「それでも、さ」

 俺は事前に、螢樹にインカム越しに伝えてあった。

『助けを求めるまで、全員俺に構わず参加者の非難を優先! 指揮は引き続き、お前に任せる!』

 そして山本との会話の中で、俺は助けを求めていた。インカムの調子が悪く、螢樹たちの声が聞こえないとはいえ、俺からの声は聞こえたはずだ。

『お前たちを利用しているんだ、俺はっ! だから、お前たちも俺を利用してくれ! 俺を利用して、お前がお前自身を救ってくれっ! 俺を、助けてくれっ!』

「どうせ隊長のことですから、狩ろうと思えば狩れたのに、ニートが前向き思考になるまで色々話してたんでしょう? 自分が死にそうなのに」

「よく分かったな」

「隊長のことですからっ!」

 ドヤ顔をする螢樹を若干うざい。

 俺は枕元に置いてあったタブレットを取り出し、あの後の経過報告に目を走らせた。

 まず、あの爆弾を置いた犯人だが、無事逮捕された。身元もNLFのメンバーということが判明しており、今後事情聴取を通してNLFの情報を引き出すことになっていた。

 また残念ながら、今年の年度末のコミケ、つまり冬コミは開催を見合わせることになった。理由は、次回のコミケ開催に安全性を確約できないからだ。警察と自衛隊がいながら、コミケに爆発物が持ち込まれた。次回も同じようなことが起こる可能性を、否定できない。つまり、俺たちの失態だ。

 だが、悪いニュースばかりではない。今回の騒動で負傷者は一人。死亡者はゼロだった。負傷したのは俺だけで、自衛隊と警察官はもちろん、コミケのスタッフや参加者にも怪我人は出なかった。不幸中の幸いだ。

 俺はタブレットを操作し、報告書をめくった。画面に表示されたのは報告書に添付されていた、WEBニュースの記事だった。

 そこに書かれている内容を見て、俺は眉をひそめた。

「どうしたんですか? 隊長」

 ニュースの見出しは、『特別国家自衛官、NLFの魔の手から一般人を救出』と書かれている。今回の事件の負傷者が特別国家自衛官であり、NLFの爆弾魔からコミケの参加者を救ったと書かれていた。

 一般人を守るために名誉の負傷を負った特別国家自衛官は、現在治療中。そして助けられた一般人は特別国家自衛官が狩る対象、脱走中のニートであり、ニート狩りという任務よりも、一般人の救護を優先した特別国家自衛官を賞賛する内容だった。

 つまり、俺と山本の記事だ。ニートを、弱者を話の種に飯を食う姿勢に、反吐が出そうになる。

「……あいつら、俺のことを公表したのか」

 あいつらとは、上層部の連中のことだ。相変わらず抜け目がない。今回の事件を元ニートがニートを救った英雄譚としてネット、テレビ問わずメディアに前面プッシュさせることで、批判の向き先を自衛隊や警察、そして特別国家公務員法からNLFに変えさせたようだ。

 だが、祭り上げられた俺はたまったものではない。

 単に広告塔として祭り上げられただけだ。これでまた、さらに上の連中は結果を俺たち第八特別国家公務員法周知・送迎隊に求めてくるようになる。

 失態を侵せば手のひらを返して、今度は英雄ではなく特別国家自衛官の問題児として、俺たちのことを切り捨てるつもりなのだ。あるいは、俺だけ切られるかもしれない。そして今度は螢樹に首をすげ替える。

 どこにでもいる代替品。替えが利くスケープゴート。それが俺たち、特別国家自衛官だ。

 それを再認識した瞬間、俺を、あの寒さが襲った。

 心臓が、耳の傍で動いていると錯覚するほど、自分の鼓動が聞こえすぎる。

一つ、二つと脈を打つ度、俺の悪寒は強くなる。

 寒い。

 寒いのに、嫌な汗が止まらない。

 俺は、俺たちは『悪』でい続けることを選んだ。それでも、不安なのだ。

 俺がしくじれば、俺だけでなく部隊の皆が、『仲間』がっ……!

「大丈夫です。隊長」

 その寒さの中、俺は螢樹の熱を感じる。螢樹に抱きしめられながら、俺は自分の震えが納まっていくのを感じた。

「隊長は、一人じゃありません。私たちがいますから。『仲間』が、いますから」

 ニートを辞めたのに、社会に復帰したのに、今のように、どうしようもない孤独と寒さを感じる時がある。

 不安に押しつぶされて、狂ってしまいそうになる時がある。

 だが、それでも俺は、一歩を踏み出した。

 初めは寒さに震え、一人で歩いていた。

 でも、俺には今、『仲間』がいる。一緒に歩いてくれる、熱を感じることが出来る人がいる。

 俺は、まだ歩いていられるのだ。

 だから、まだ続けよう。

 これからも、歩き続けよう。

 そして、ニートを狩り続けよう。

 凍えるほどのこの寒さから、一緒に逃げ出すために。

 病室の窓から差し込んでくる夏の光は、痛いほど暑くて。

 凍りついた脊髄を溶かしそうなほど、熱かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ニート狩り メグリくくる @megurikukuru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ