第5話 新たな被害者

「大橋さんに関する話でしたら、あれ以上のことはお話できません」

 再度職場を訪れた刑事に、広田由美はハッキリと答えた。だが、二人の刑事は同時に首を横に振る。

「いいえ。今回は二十四年前、日本アルプスで起きた遭難事故に関してお聞きします。この事故で亡くなった広田光雄さんは、あなたの弟ですね?」

 予想外な質問に、広田由美は目を見開いた。

「確かに、広田光雄は私の弟です。でも、それと大橋さんの事件には関係があるのですか?」

「残念ながら、捜査上のことですのでお話できません」

 木原の冷たい発言に、広田由美は溜息を吐いた。

「あの遭難事故がなかったら、弟は婚約するはずだったんです」

「婚約?」

 神津が口を挟むと、広田は淡々と答えた。

「弟の婚約者は公務員です。確か名前は、本多みゆきさん。彼女とは三日前に弟の墓参りに行った時、バッタリ会いました。今は外務省に勤務しているそうです」


 広田由美に頭を下げた後、木原と神津は公安調査庁に向かい車を走らせた。その車内で助手席に座る神津が呟く。

「あの巨乳の事務員、さっきはいなかったな?」

「少し遅い昼休憩に出かけたそうですが、事件とは関係ないでしょう。巨乳フェチですか?」

 助手席の神津は鼻を掻く。

「それも事件とは関係ないだろう。兎に角、今度は外務省の本多みゆきか。榊原刑事局長たちとつるんでいる官僚……」

 神津が不意に窓の外の景色を見ると、マンションの屋上から、スーツを着た男が降ってきた。

「木原、車を停めろ。誰かがビルから落ちて来た」

 異常事態に木原は慌ててブレーキを踏んだ。そして、覆面パトカーを路上駐車して、現場に駆け付けた刑事は、顔を強張らせる。マンションから落ちて来たのは、遠藤昴だった。

 地面に叩きつけられた遠藤の脈を木原は測ってみるが、残念ながら止まっている。彼は遺体を目の当りにしながら、携帯電話を取り出した。

「即死か。おそらく犯人はマンションの屋上から遠藤を突き落したんだな。自殺の可能性もあるが」

 そう呟きながら、神津は屋上を見上げた。そこで彼は更なる謎に直面する。事件現場の屋上から白い煙が昇っているのだ。

 

 同じころ、合田と大野は留置所にいる大橋陽一を取調室に呼び、二回目の聴取を行った。

「大橋陽一。やっとあなたの犯行動機が分かった。あなたと小松原正一は二十四年前、日本アルプス登山ツアーで彼と遭難しているな。この遭難事故で広田光雄という大学生が亡くなっている。おそらくあなたは、広田光雄を見殺しにした小松原が許せなかった。だから殺したんだろう?」

 開始早々合田の口から推理が語られたが、大橋は平然とする。

「あのツアーについて調べたのですか? 仕事が早いですね。でも、彼を見捨てたのは小松原正一だけではありません。私達も見捨てました。あの事件で二人も亡くなっているんです。今でも心が痛みますよ。因みに、遭難事故で亡くなった広田光雄君とは、あのツアーで初めて出会いました」

「二人も亡くなっただと? あの遭難事故で亡くなったのは、広田光雄だけじゃなかったのか?」

 刑事に問われ、大橋は思わず口を滑らせたと自覚した。そんな彼は白を切る。

「兎に角、この話は事件とは関係ありません。犯行動機はそれで構いませんから、早く送検してくださいよ。そうしたらニュースで大々的に報道されるんでしょう?」

 何かを焦っている大橋に対して、合田は首を横に振った。

「それはできない。あなたは何かを隠しているな。誰かを庇っているんじゃないのか?」

 直後、合田警部の携帯電話が鳴り、木原からの報告が届いた。

「遠藤昴がマンションの屋上から転落した? 分かった。臨場する」

 刑事の口から事実を知った大橋は机を強く叩いた。

「ダメだったのか!」

 大橋は悔しそうな顔になり、何度も机を叩く。この時の顔を大野は忘れることができなかった。

 二回目の聴取は、事件発生により中断され、合田と大野は現場に向かう。

 

 遠藤昴が転落したマンションの屋上に合田と大野は臨場した。現場には既に第一発見者の木原と神津がいる。

 警部が到着したのを視認した木原は、早速現場の状況を説明する。

「遠藤昴は、このマンションの屋上から転落しました。現在鑑識が現場のゲソ痕を採取しています。遺留品はアタッシュケースと一枚の犯行声明らしき手紙。この手紙は屋上の床にセロハンテープで貼られていました」

 説明の後、木原は手紙を警部に渡す。

『二十四年前、三人の命を奪った者に復讐します。許せないのは、あと一人』

「遠藤を突き落した奴は、連続殺人をやるつもりらしい。何とか阻止しないといけないな」

 合田は犯人検挙に全力を誓う。すると神津が右手を挙げた。

「合田警部。この事件には一つ奇妙なことがあります。現場で紙が燃えているんですよ。燃やされていたのは、手紙と写真。鑑識に渡して手紙を修復してもらうが、どうしてこんなことをしたのかが分からない。現場に犯行声明を残したら、次の犯行ができにくくなるだろう」

「そうですね。問題は誰が犯人なのかということです。動機は二十四年前、遭難事故で見殺しにされた広田光雄さんの復讐。だとしたら、犯人は姉の広田由美さんが怪しいです」

 大野が推測を口にすると、木原は首を横に振った。

「残念ながら広田由美にはアリバイがあります。僕は遠藤昴が突き落される五分前まで、彼女に話を聞いていました。この現場から介護施設まで五分もあれば到着しますが、階段やエレベーターを使って屋上に行ったとなると、どうしても時間が足りないんです。一応近道で現場に駆けつけて、被害者を突き落したとも考えられますので、聞き込みは続けます」

 神津は木原の話を引き継ぎ、警部に報告する。

「広田光雄絡みの復讐だとしたら、外務省の本多みゆきが怪しい。彼女は広田光雄の婚約者だったらしい。動機もピッタリだろう」

「だが、三人の命を奪ったという文言はどう説明する? 二十四年前に亡くなったのは、広田光雄と小松原正一。一人足りないんだ。大橋が遭難事故絡みでもう一人亡くなったと漏らしたから、そいつのことなんだろう。ということで、俺と大野は本多みゆきを捜査する。木原と神津は、遭難事故に関して洗い直せ」

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