第2話 告発文
警視庁の隣に建つ警察庁の刑事局長室で、色黒の大男が電話を受けていた。
「どうやら小松原君を殺したっていう男が自首してきたらしい。どうしますか?」
『問題ないのよ。いつかは葬り去らないといけなかった。そうでしょう? 榊原刑事局長さん』
電話の相手である女性の声を聞き、榊原は頬を緩めた。
「そうですね。これから当時小松原の秘書だった
『対応が早いのね?』
「前から約束していたんです。食事会をやろうって。兎に角、二十四年前の真実が公になれば失脚です」
『そうね。それでは電話を切るわ』
通話は一方的に切られる。その後で
事情聴取から一時間後、合田警部と大野警部補は、自称殺人犯の大橋陽一の自宅を訪れる。二人の刑事の近くには、手錠で手首を拘束された大橋の姿もあった。十人程度の刑事と鑑識は、早速任意の家宅捜索を行う。
最初に行われたのは庭の捜索。供述通りならば、凶器と遺体が埋まっているはず。刑事達はスコップで土を掘り起こす。
「ありました!」
十分程で穴の中から錆び付いた包丁と誰かの骸骨が長い時を超えて姿を現した。
人骨を見つけた刑事は大声で周囲の仲間に報告する。それを聞きつけた合田と大野は大橋を連れて、穴を覗き込む。
大野警部補は手袋を付けた右手で埋もれた包丁を握る。それから警部補は、包丁を外に取り出し、観察を始めた。
「錆び付いていますが、血痕があります。凶器はこれで間違いなさそうですね」
そう呟き、合田警部の顔を見る。警部も同様の見解だったようで、頷いていた。
そして、警部は仲間の刑事に指示を出す。
「凶器が見つかった周囲を重点的に掘り起こせ。俺は凶器と人骨を鑑識に持っていく。遺体は劣化しているが、歯型から身元が分かるかもしれない」
合田警部は刑事部長に連絡した後で、大橋を連れて現場から離れた。その後に大野警部補が続く。
白骨化された遺体が大橋の自宅から発見されたという知らせを受け、千間刑事部長は唸った。
「どうする?」
「何を悩んでいるのでしょう?」
刑事部長の前に立つ喜田参事官は首を傾げた。
「彼が殺人犯ではないとしたら、留置署には置けない。動機を忘れたと言っていたらしいから、誰かを庇っている可能性も考えられる。無実の男を留置署に置いたことがマスコミにバレたら不祥事になることは間違いないからな」
「いずれにしても、会見の準備をしなければなりませんね。白骨遺体と錆び付いた凶器から身元を特定してから」
「そうだな。裏付け捜査が終わってからでも遅くはない」
参事官の意見に同意した刑事部長は、余裕そうに頷いた。
その頃、大橋の事情聴取を終わらせた木原と神津は、特別養護老人ホーム桜の里を訪れた。花壇に多くの花が咲く簡単な庭園を抜け、二人の刑事が木製のドアを開ける。
玄関の近くにある事務所の扉を開けた木原は、警察手帳を見せた。
「すみません。警視庁捜査一課の木原です。ここで働いていた大橋陽一さんについてお伺いしたいのですが」
要件を聞いたショートカットにピンクの淵の眼鏡を掛けた若い巨乳の女性は、慌てて立ち上がり、刑事と顔を合わせた。
「はい。その……大橋さんが何をしたのですか?」
突然の刑事の訪問に緊張した事務員らしい女が尋ねる。すると、木原は首を横に振る。
「詳しい話はお伝えできません。大橋さんがこの職場を辞めた理由などを知りたいのです」
ようやく意図を理解できた事務員の女は、首を縦に動かす。
「分かりました。そういうことでしたら、上司の広田さんから伺った方が良いと思います」
そう言いながら、事務員の女はにこやかに笑った。その顔に一瞬だけ見とれた神津は、彼女の首から下げられたネームプレートを見る。そこには、『事務員
二人の刑事は、巨乳な事務員によって会議室に通された。それから三分後、長い後ろ髪を紺色のヘアゴムで結んだ四十代前半くらいの小奇麗な女が、会議室に姿を現す。
事務員の女は、女に頭を下げてから持ち場に戻った。二人の刑事は席から立ち上がり、改めて警察手帳を見せる。
それを見た女は身分を明かした。
「介護主任の
「工藤さん?」
誰のことなのかが分からない木原は思わず首を傾げる。すると神津は彼に耳打ちした。
「あの事務員だ」
仲間の刑事の補足を受け、木原は納得することができた。そのまま木原は、大橋の上司に尋ねる。
「広田さん。あなたはなぜ彼が殺人をしたような発言をしたのですか?」
刑事として当然の疑問を聞き、広田由美は茶色い長封筒を机の上に置く。
「大橋さんが仕事を辞める日に受け取った手紙に書いてあったから。読んでも構いません。捜査に役立つのであればいつでも提出します」
そう促され、神津は封筒から辞表を取り出し、机の上に広げた。
『私は人殺しだ。彼を殺害した一部始終を思い出したくはない。思い出せば悪夢に魘される。こんどはアイツが私を殺す夢だ。やはり罪は償うべきだった。悪夢から解放されるため、私は仕事を辞めて自首をする。最後に浅野さんに手紙を渡して欲しい。その手紙は東都デパートのロッカーに入っている。同封した鍵で開けて欲しい』
木原と共の辞表に目を通した後、神津は封筒の中身を確認する。だが、そこには鍵は入っていなかった。
「この辞表に書いてあったデパートのロッカーの鍵が、この封筒の中に入っていなかった。どういうことだ?」
「
次に木原は広田に問う。
「それでは、この手紙にある浅野さんというのは誰でしょう?」
「
「燃え尽き症候群?」
手帳を開き『浅野房栄』という名前を記した木原の隣で、神津は聞き慣れない言葉を聞き返す。すると、広田は説明を始めた。
「介護を熱心に行う人に多いんです。介護が必要な人が亡くなったことが原因で、無気力になる。実際、彼は酷い介護をしていました。しかし、彼は何かが吹っ切れたような顔で私に言ったんです。やらないといけないことがあるって。それで彼の覚悟に負けて、辞表を受理。様々な退職の手続きを済ませて先週仕事を辞めました」
大橋が仕事を辞めた経緯を知った木原は右手を挙げた。
「最後に一つだけお聞きします。小松原正一という名前を聞いたことがありませんか?」
広田由美は記憶を手繰り寄せ、首を縦に動かす。
「はい。聞いたことがあります。浅野静子さんが何度も繰り返して言っていました。小松原正一に殴られたって。認知症で昔のことを言っているんだと思って、色々と調べてみたら、小松原正一さんは衆議院議員で二十年以上前に亡くなっていると分かりました。娘さんの話だと、同じ政治家だった母とは犬猿の仲だったそうです」
広田由美から話を聞いた木原と神津は駐車場に向かう。木原の隣を歩く神津は、腑に落ちないような顔になり、顎に手を置いた。
「木原。今のところ分かっている大橋と小松原の接点は、彼が熱心に介護していた浅野静子と小松原正一は犬猿の仲だったということだけ。浅野静子を介さないと繋がらない。もしかしたらこの事件には政界が関与しているかもな」
木原は飛躍し過ぎた神津の推理を鼻で笑う。
「接点が二人の元政治家だからって、拡大解釈ではありませんか?」
「そうとも言えない。浅野房栄。俺の記憶が正しかったら、公安調査庁長官と同じ名前だ。公安調査庁のトップということもあって、会うだけでも相当の苦労をすることになる」
「兎に角、このことを合田警部に連絡しましょう」
そう言いながら木原は携帯電話を取り出し、上司に報告した。判明した事実を一通り話し終わった後で、合田警部は衝撃的な事実を部下に伝える。
『詳しいことは捜査会議で話すが、この事件は一筋縄ではいかない。だから、今から捜査一課に帰ってこい』
合田警部の声は、少しばかり焦っているようだった。結局、二人の刑事はそのまま警視庁に戻る。
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