後編

 最新刊に一歩足を踏み入れたサトシ君は、そこで戸惑うように動きを止めた。


 ――なかなか勘の鋭いやつだな。


 私は思わず感心した。

 彼の勘は正しい。シリーズ最新刊は、私が技巧の限りを尽くして彼専用の世界を構築したのだから、冒頭から嫌な予感しかしないだろう。

 サトシ君はいつもと違う物語の雰囲気に警戒しながら、前作の明るい学園生活という日常風景から離れて、荒涼とした廃墟はいきょつらなる非日常世界へと姿を現した。

 私が想定した通り、主人公という立場上、彼はどんなに無理な設定でも出てこないわけにはいかないのだ。


 おそおそる足を踏み出すサトシ君の後ろで、物音がする。


 驚いて振り返った彼の目に飛び込んできたのは――前三作ですっかり彼のとりこになっていたヒロインだった。

 それが体中から腐臭を漂わせつつ、サトシ君に迫ってくる。

 背景説明は一切ない。

 突然のアンデット設定に戸惑いつつも、特殊能力を使ってヒロインを葬り去るサトシ君。

 臓物ぞうもつを周囲にぶちまけながら事切れるヒロイン。

 しかし、それで終わりというわけではない。

 サトシ君の気配に気がついた者が、次から次へと彼にむらがる。

 大人しくて晩生おくての学級委員長は、ボンテージファッションを身につけた女王様となって、鞭を振り振り襲い掛かってくる。

 運動神経抜群で天真爛漫てんしんらんまんだった褐色の肌の少女は、冷たい眼をした冷酷な女性騎士として、さやから剣を抜き放つ。

 穏やかでいつも優しかった茨城弁の女教師は、河内弁で差別用語を連呼しながら柄杓ひしゃくで水をまいていた。

 サトシ君は、特殊能力を使って次々と彼女達の息の根を止めていった。


 飛び散る肉片。

 砕け散る人骨。


 息をもつかせぬハードな展開の中、サトシ君は必死になって主人公のつとめを果たしていたが、物語の中盤でとうとう動きを止めてしまった。

「……ああ、こんなの僕が望んだ世界じゃないよ……」

 彼はそうつぶくと、静かに涙を流し始める。

 少しだけ良心が痛んだが、元はといえば彼が勝手に私の作品の中に入り込んだのが悪い。私は、サトシ君が魔獣化した本来の主人公に頭から食われるところを、冷たい眼で読んだ。

 案の定、この小説は嵐のような非難を巻き起こし――まったく売れなかった。

 折角のアニメ化企画がお流れになったほどに、人気がなかった。


 *


 で、話はこれで終わりかというと、そうでもない。


 しばらくすると、私の他の作品の冒頭に、

「今日から貴方の作品に住むことにしました」

 という文字が現れた。

 私が唖然あぜんとしつつ物語を読んでみると、どうやら今度はサトミという少女が入り込んだらしい。彼女の台詞せりふを読んでいたところで、

「実は、インターネットで物語に入り込む方法を見つけたの」

 という台詞セリフを発見した。

 どうやら、かのサトシ君は欝展開うつてんかいの腹いせに私の小説に入り込む方法をネットで広めているらしい。

 そうこうしているうちに、私の作品の冒頭には、

「今日から貴方の作品に住むことにしました」

 という文字が次々に現れた。

 それが、ある作品では小説本文よりも多くの分量を占めるほどになっている。

 私は大慌てでサトシ君の居所を探そうと試みた。

 彼のことだから、相変わらず私の作品のどこかで破壊工作にいそしんでいるはずである。

 そしてとうとう私は、彼の描写を作品中に発見した。


 彼は、私が別なペンネームで発表した歴史小説の中にいた。


 その作品は、私の祖先が織田信長の配下にいたという、先祖代々からの言い伝えを無理して作品にしたものである。

 どう考えても雑兵ぞうひょうでしかなかったはずの自分の祖先を、信長の腹心の部下で、影の部分をつかさどっていたが故に、知られることもなく歴史の闇に埋もれた英雄として持ち上げてみた。


 その作品の、どうやら織田信長がサトシ君らしい。

 彼はにやにや笑いながら、物語の中で私の祖先を火縄銃ひなわじゅうによって処刑しようとしていた。


 私は急にしらけてしまった。

 なんたる子供の浅知恵だろう。

 いくらなんでも、小説の中の祖先を殺されたからと言って、私がどうこうされるわけが


(以下、筆者消息不明につき、未完)

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「今日から貴方の作品に住むことにしました」 阿井上夫 @Aiueo

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