34:どんな世界よりも素敵な

 舞踏会から一週間が経った今日は雲一つない晴天。

 洗濯日和だった。

 こんなに天気が良いと歌の一つも歌いたくなる。

「~♪」

 新菜は慣れ親しんだお仕着せを着て、森の傍の小さな家で鼻歌交じりに洗濯物を干していた。

 しかし悪人は新菜の機嫌や天気の良し悪しなどお構いなしにやってくる。


「見つけたぞ! ここが《月の使者》の家――」

「ああはいはい」

 新菜は慌てず騒がず、洗濯物から手を離した。

 丘を登って一直線に突撃してきた五人の男たちに向かい、手を翳す。


(人数多いし、一発ドカンとかましちゃうか)

 この世界に来たばかりのときは魔法の法則に縛られ、RPGのキャラになりきって呪文を唱えても全く効果がなかったが、トウカと契約したいまならどんな呪文でも望む事象を起こすことができる。


 新菜は右手を空に突き上げ、ポーズとともに叫んだ。

「降り注げ極光! 大地を穿ち悪を討て、アルティメットレイ!!」 

 高らかな叫びに呼応し、ぴかりと天が金色に輝く。

 直後、激しい稲妻が空を流れて落ちた。

 稲妻は落下途中で五つに分裂し、狙い違わずそれぞれが男たちの身体を打ち据える。


「ひぎゃああああ!?」

 雷の直撃を受け、男たちは一斉に倒れ伏した。

 煤けた身体からぷすぷすと煙が上がり、手足が痙攣している。


「はい、いっちょあがり」

 ぱんぱん、と両手を叩き、埃を落とす真似をする。

「う……噂はマジだった……この家には《月の使者》がいて……」

「恐ろしく強ぇメイドが《月の使者》を守ってるって……!」

「あら、わたしったら有名人」

 新菜は棒読みで言って屈んだ。


「でもさ、わかってるならなんで来るの? ハクア様が国王の庇護下にあるって知らないの? 死んでも文句言えないのよ、あんたら」

 拾った小枝で最も近くに転がる男の額をつつく。

「うう……わかってる……わかってるが……《月光宝珠》は一億……両目合わせりゃ二億だぞ……」

「うわ。この前聞いたときより値段が上がってる。道理であんたらみたいな命知らずが襲ってくるわけだ」

 家に帰って来てからというもの、襲撃されたのはこれで三回目である。

「ふ……俺たちだけじゃねえぞ」

 小枝で額を刺されたまま、男は口の端を歪めた。


「俺たちは囮さ。今頃はゼネスたちが《月の使者》をぶっ!?」

 新菜は男の後頭部を踏みつけ、走り出した。

 頭からずり落ちそうになったメイドキャップを捨て去り、エプロンドレスの裾をはためかせ、疾風の如く駆ける。

 ハクアは母屋の向こうで本格的な夏の到来に備え、庭の草抜きをしているはずだ。


「ハクア様!!」

 母屋の周囲を半周し、現場に飛び込み、新菜は目を丸くした。


 放射状に倒れた男たちの中心でハクアが佇んでいた。

 その右手は竜の前脚へと変化している。


「お怪我は!?」

「大丈夫だ。返り討ちにしてやった」

 駆け寄ると、ハクアは手を人のそれに戻し、どこか得意げに笑んだ。

「良かった。でも……よく倒せましたね、この人数」

 倒れている男の数は五。新菜が倒した数と同じだ。


「一応おれも竜だからな。本気になればこれくらいはできる」

「ふふ」

「何で笑うんだ?」

「いえ。以前、冒険者に襲われたときは抵抗しようとしなかったのに、いまは違うから。ちゃんと約束通り、生きようとしてくれてる。それが凄く嬉しくて」

「ああ」

 ハクアは目を細めた。

「もう自虐するのは止めた。人間がおれを狩るというなら戦う。何があっても生き延びてやる……と言いたいところだが、正直、勝てたのはこいつらが魔法を使ってこなかったからだな」

 ハクアは足元に転がる男たちを見下ろした。

 厄介なことに、魔法を使われたらどうやってもハクアは人間に勝てない。


「多分、声を出してわたしに気取られまいとしたんでしょうね。むー。すぐ近くにいれば大丈夫と思ったんですが甘かったです。どうも《月光宝珠》の価値が上がっているみたいですし、これからはハクア様を常に視界に入れるようにしましょう。イグニス様に頼まれた森での狩りも一緒に行きます。わたしが家事をこなしてる間は座って本でも読んでてください」

「四六時中一緒、というわけか」

「……嫌ですか?」

「いや。望むところだ」

 ハクアはかぶりを振って、新菜の額にキスを落とした。


「! ひ、人前でっ」

 両手で額を押さえ、抗議する。

「みんな気絶してるんだからいいだろう?」

 ハクアはなんだか楽しそうだ。

 近頃はかなり感情表現が豊かになった。

 とても嬉しい変化だ。

 でも、やっぱり照れるものは照れる。

「……もう」

 新菜は頬を赤くしたまま、ぷいっと顔を背けた。




 慰謝料として全員から金を巻き上げ、次は容赦しないと脅し、襲撃事件は一応の解決をみせた。

 ロープで縛ってギルドに突き出すこともできるが、そんな手間をかけるくらいなら昼食の準備に手間をかけたい。メイドは忙しいのである。


「昼食できましたよー」

 新菜は私室にこもっていたハクアを呼んだ。

 今日の昼食は菜園で摘んだ野菜と芋のスープ、鳥のソテー。

 鳥は朝の時点で考えた献立にはなかったのだが、ハクアが庭いじり中に飛んでいたものを撃ち落としてくれた。


 食卓を囲むのは新菜とハクアだけ。

 トウカはフィーネと離れるのを惜しみ、仮面舞踏会が終わった後も侯爵邸に残ることを選択した。

 空席の子ども椅子を見るとやっぱり寂しい。

 トウカと別れる前、新菜は存分にもふもふさせてもらったが、白い狐耳や尻尾、あどけない笑顔を思い浮かべてはしんみりしてしまう。


「……トウカがいなくて寂しいか?」

「はい。寂しいです。でも、イグニス様たちと一緒に遊びに来てくれるでしょう」

 侯爵夫妻は一、二週間に一度の割合でこの家を訪れる。

 また近いうちに会えるはずだ。


「トウカと離れるのが嫌なら、無理にこの家で暮らすことは……」

 恐らくハクアはこう続けようとしたのだろう。

 身辺警護なら傭兵たちがしてくれる。

 だから新菜の自由にしていいんだと。


 新菜は不満をたっぷり視線に込めてハクアを見つめた。

 すると、ハクアは途中で台詞を打ち切り、言い直した。

「……いや、たとえトウカがこのまま帰ってこなくても、ここにいてくれ。ずっと、おれの傍に」

「はい」

 新菜は微笑んで頷いた。

 それこそが一番聞きたかった言葉だ。

 ハクアの隣が、新菜の生きる場所なのだから。

 

「あ、そうだ。今日はいい天気ですし、夜になったらわたしを乗せて飛んでくれませんか?」

 鳥肉を切り分けながら言う。

 この前の満月はハクアが背中を怪我していたため、飛ぶ約束は延期になったのだ。

「ああ、構わない。もう誰に見られても平気だしな。お前が望むならいつだって飛んでやる」

「やった。楽しみにしています」

 上機嫌で笑うと、ハクアはふと思いついたように言った。

「ああ、でも、その前に。連れて行きたいところがある」





 夕食を終えた夜、ハクアが新菜を連れて行ったのは森の中の青い花畑だった。

 ちなみにここに来るまでに魔物に二度遭遇したが、いずれも新菜が瞬殺した。

 もうどんな魔物も新菜の脅威にはならない。

 傍にハクアがいれば魔法の威力だって跳ね上がるのだから、ほとんど無敵である。


「うわー……」

 新菜は幻想的に美しい花畑の真ん中に立ち、感嘆の声をあげた。

 群生する青い花は桔梗に似ていた。

 花の中心部分が淡く光っているため、光を抱いているように見える。


 木立の傍では小さな妖精が踊っていた。

 仲間と手を取り合い、楽しそうにダンスしている。

 透き通った背中の羽根が羽ばたくたび、光の鱗粉がまき散らされていた。


「素敵。綺麗……!」

 胸の前で両手を組む。

 どんなイルミネーションだってこの光景には敵わないだろう。

 なんといっても、これは作り物ではない、天然の美だ。

 夜にダンスする妖精を見た。

 日本でこんなことを力説したら頭のおかしい人だと思われるだろうが、新菜は童話の中の世界を目の当たりにしている。


「ありがとうございますハクア様、こんな素敵な場所を教えてくれて。この光景を見せてくれて」

 屈んで花を一輪摘む。

 茎が切れた瞬間、花の中で灯っていた光が消えた。

「あれ。摘んだら光が消えちゃうんですね」

「地中に流れるパルスを吸って光っているらしいからな。この花は摘むのではなく、見て楽しむものだ」

「そうなんですね。ちょっと残念。でも自然保護の観点から考えれば良いのかも?」

 言いながら花を手放す。

「寝転がってみればいい。今夜は星が綺麗だ」

 促されて、新菜は寝転んだ。


「わあ。本当に綺麗」

 雲一つない夜空には月が浮かび、無数の星々が煌めいている。

 妖精たちの笑い声が風に乗って届いた。


 光を戴く花々に囲まれ、胸いっぱいに草木の香りを吸い込む。

 隣を見れば、寝転んだハクアがこちらを見ていた。


 目が合うと笑う。

 ただそれだけのことが、こんなにも嬉しく、新菜の心を震わせる。

 手を伸ばすと、ハクアは手を繋いでくれた。


「わたし、本当にこの世界に来て良かったです」

「おれも。いまお前がここにいる奇跡に感謝する」

「……どうしましょう。幸せすぎて怖いです」

「馬鹿だな。幸せになるのはこれからだろう?」

「そうですね」

 しばらく、新菜とハクアは手を繋いだまま、無言で夜空を眺めた。


 十分ほどして、起き上がる。

「花畑は満喫したので、そろそろ竜になってもらっていいですか?」

「変な言葉だな。おれは元から竜なのに。いまじゃすっかり人間の姿が当たり前みたいになってる」

 ハクアは笑って、人の形態から竜へと姿を変えた。

 妖精が舞う花畑。そこに出現した銀色の大きな竜。

 やっぱり童話の世界だと思う。

 もしくは、憧れていたRPGの世界。


(ううん、それよりももっと素敵な世界だ)

 何しろこの虹色の瞳を持つ美しい竜は、新菜の恋人なのだから。


《……どうしたんだ、おれの目をじっと見て。乗らないのか?》

 テレパシーで語り掛けてきたハクアは不思議そうだった。

「……ハクア様の目って、ハクア様が亡くなったら国王のものになっちゃうんですよね。やっぱりちょっと嫌だなぁって」

 新菜は竜の頭に触れた。

《ああ……でも、国王は約束してくれたんだ。単なる宝石としてではなく増幅器ブースター、王都の守護結界の要である魔導具の核として有効利用すると。おれの目が国の礎になり、おれが死んだ後もイグニスやおれたちの子孫を守り続けると思えば悪くないだろう?》

 ハクアは頭を下げ、新菜に擦りつけた。甘えるように。

「……そうですね」

 新菜は白銀の鱗を撫でて微笑んだ。


《さあ、わかったら乗れ》

「はい」

 ぺたんと腹ばいになったハクアの背中によじ登る。


《落ちるなよ》

「大丈夫です。万が一落ちても魔法で衝撃を緩和しますから、死にはしません。安心して飛んでください」

 ハクアの背中の上で、ぐっと拳を握る。

《……本当に逞しくなったな。魔物に襲われて死にかけていた頃のお前とは、もう完全に別人だ》

「はい。全てはハクア様への愛が成せる業です」

 胸を張った気配が伝わったらしく、ハクアは笑った。

 そして、夜空に向かって力強く、その白銀の翼を羽ばたかせた。



《END.》

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異世界で竜のメイドになりました 星名柚花 @yuzuriha

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