33:今宵は仮面舞踏会

 ルーネ村から侯爵邸へと帰って二日が過ぎた。

 今宵は待ちに待った仮面舞踏会。

 侯爵邸の離れ――社交用に建てられたドーム型の建物、その一階のダンスホールは様々な色彩で溢れていた。


 仮面をつけた男女が華やかな衣装を纏い、ワルツに乗って踊り、さざめく様は圧巻である。

 楽団が曲を奏でる中、メイドや使用人たちが飲食物片手に歩き回っている。


 広大なダンスホールを照らすのは水晶のシャンデリアに浮かぶ魔法の光。

 光は水晶を通してキラキラ輝く七色のプリズムを作り出していた。


 天井や柱に施された精緻な彫刻。

 床に敷き詰められているのは最高級の絨毯だ。


 隣室は休憩スペースとなっており、そこかしこで貴族たちが談笑している。

 さらに別室ではずらりと軽食や菓子、瑞々しい果物が並んでいた。


「凄い……侯爵家の財力半端ない……」

「何をいまさら」

 ダンスホールに入るや否や、煌びやかな空間に圧倒された新菜の隣でハクアが笑った。


 ハクアはその長身に銀と青をベースにした衣装を着ていた。

 上着に描かれた模様が高貴な印象を与える。

 まるで絵本から抜け出してきた王子様のようだ。

 ハクアの顔を半分隠す仮面、その目にあたる部分には色ガラスが嵌め込まれていた。

 ガラスが黒いおかげで、虹色の瞳も黒く見える。


「見づらくないですか、それ」

「少し。でも完全に見えないわけじゃないから大丈夫だ。今日のお前が一段と綺麗なのも、ちゃんとわかる」

 微笑まれ、丁寧に化粧を施した新菜の顔は茹蛸のように赤くなった。

 とっさに「イグニス様にそう言えとでも言われたんですか?」という照れ隠しが口をつきそうになり、新菜は急いでその言葉を飲み込んだ。

 もしも本心からハクアがそう言ってくれているのなら、随分と失礼だ。


「あ、あ、ありがとうございます」

 新菜の身体を包むのは真珠が散りばめられた青色のドレス。

 侯爵家お抱えの針子が精魂込めて縫い上げた渾身の一作は、ハクアと同じ青色の布地が使われている。

 互いの左手首に光る揃いのブレスレットといい、一目で恋人同士だとわかる格好だ。


(衣装の色やデザイン決めは侯爵邸に来て早々に終わらせたのに、イグニス様たちはこうなる未来を完全に予測してたのかな)

 視線を巡らせ、炎のような赤髪を探す。

 侯爵夫妻はダンスホールの奥、人垣の輪の中心にいた。

 口髭を蓄えた男性が積極的にイグニスに話しかけている。


 声をかけようかと思ったが止めた。社交の邪魔をするのは悪い。

 このドレスや招待のお礼は後で改めて言うことにしよう。


「コルセットの具合はどうだ? きつくないか?」

 聞かれて、新菜は視線をハクアに引き戻した。

「はい。再三にわたるお願いが功を奏したみたいで、多少上半身が締めつけられている感じはありますけど、全く問題なしです」

「じゃあ、そろそろ踊るか」

「はい」

 新菜はハクアの腕に手を絡めたまま、ダンスホールの中央へと進んでいった。


 驚くべきことに、ハクアのリードは完璧だった。

 新菜は曲に合わせ、周りで踊る貴婦人と同時にターンし、ヒールを履いた足でステップを踏んだ。

 気分が高揚しているせいか、練習時の何倍も身体が軽く感じる。

 ハクアは新菜の腰に手を添え、優しい目でこちらを見ている。

 嫌々付き合ってくれているのではないかと心配していたが、表情を見る限りそんなこともなさそうだ。


「舞踏会に出たことはあるんですか?」

 彼が楽しそうなことにほっとしながら聞く。

「いや。練習はさせられたが、こうして踊るのは初めてだ。初めての相手がお前で良かった」

「……はい。わたしもです」

 今日のことは一生の思い出になるだろう。

「こんなに楽しいダンスは初めて。まるで夢を見てるみたい」

 ハクアが繋いだ手を高くあげる。

 曲に合わせてくるりと回ると、ハクアが新菜の腰を引き寄せた。

(わ、近い)

 心臓がどきどき鳴る。

 それを見透かしたようにハクアが笑うものだから、新菜はどうしていいかわからず頬を赤くして俯いた。


「ニナ」

 不意に抱き寄せられて、心臓がさらに音を大きくした。

「お前に会えて良かった。生きていて良かった」

 耳元で囁かれたその言葉が大げさだとは微塵も思わなかった。

 いままさに新菜もそう思っていたところなのだから。

「……はい。わたしも」

 新菜ははにかみ、再びステップを踏んだ。


 この世界に来て良かった。

 ハクアと会えて本当に良かった。


 曲が終わると、新菜とハクアは互いに礼をした。

 新菜はドレスの裾を摘まんで。

 ハクアは胸に手を当てて頭を下げる。

 そして、顔を見合わせて笑った。


「ハクア様のダンス、完璧でしたね」

 新菜はダンスの輪から抜けながら、小声で賞賛した。

「それを言うならお前もだろう?」

「そりゃだって、ハクア様が相手なのにへまをするわけにはいきませんよ。踏んじゃったら悪いし」

「おれも同じだ。お前と踊るんだから、失敗するわけにはいかない」

 なんだかむずがゆい。

 ハクアはストレートに好意を言動に表すタイプだったようだ。

(て、照れる。でも。嬉しい)

 いまのハクアは片思いをしていたときよりも増して愛おしく感じる。

 こんなに幸せで良いのだろうか。


「あの、そこの。銀髪の方」

 穏やかな心地でダンスホールの端へ移動したとき、ハクアに声をかける者がいた。

 蝶の仮面をつけた金髪の貴婦人と、黒い仮面をつけた貴族の男。

 近くにいた貴族たちも、ちらちらとこちらの様子を窺っている。


 彼らの狙いは言わずともわかった。

 国王の宣言により、ハクアの存在は貴族の間に知れ渡っている。

 いかに仮面で顔を隠そうとも、白皙の美貌が常人に埋没することを許さない。


「侯爵様が庇護なされている《月の使者》様ですわよね? あの、図々しいとは思いますが、どうかわたくしにその目を見せていただけないでしょうか? わたくし、幼い頃に《月の使者》が出てくる物語を読んでからというもの、ずっと《月光宝珠》に憧れていたのです。一体どれほど美しいのだろうと」

「私も是非見たいですわ」

 新菜の横から別の貴婦人が現れた。


「あの、私も!」

「私もお願い致します」

「どうか一度だけその目を見せていただきたいの。世にも美しい宝石、神秘的な七色の光を放つ《月光宝珠》を」

 わらわらと貴族が群がる。

 囲まれて一歩退いたハクアに、大柄な壮年貴族の男が詰め寄った。


「なに、見るだけです。決して手出しは致しません。お約束しますとも。ですのでどうか――」

「いや……」

「お断りします」

 たじろぐハクアの台詞に被せ、新菜はきっぱりとそう言った。

 ハクアの手を引いて下がらせ、空いたスペースに自分の身体を割り込ませる。


「あなたがたは仮面舞踏会の趣旨をわかっておられないようですね。仮面は顔を隠し、名前と身分を隠すもの。仮面の前に全ての者は正体を失うのです。故にこそ、仮面舞踏会は楽しいのでしょう? それにも関わらず正体を暴こうとなさるとは、なんと無粋な。――このような振る舞いを侯爵様が許すとお思いか」

 敵意を叩きつけると、貴族たちはばつが悪そうな顔をした。

 さすがにイグニスの不興を買ってまで我を通したいと思う者はいなかったようだ。


「……申し訳ありませんでしたわ。どうぞお許しくださいませ」

「わたくしも。失礼致しました」

「どうぞお忘れになってくださいな」

 貴族たちは口々に謝罪し、そそくさと退散していった。


「……すまない。助かった」

 見ると、ハクアは叱られた子犬のような顔をしていた。

「囲まれるのはどうも苦手で……」

「気にしなくても大丈夫です。わたしが蹴散らしますから」

 新菜はハクアの手を取り、微笑んだ。

 ハクアはそれに、弱々しい笑みを返す。


「……情けないな。いつまでもお前に庇ってもらうわけにはいかないし、耐性をつける努力をしないと」

「はい。焦らずゆっくりいきましょう。あ、ほら、見てください。イグニス様たちが踊るみたいですよ」

 舞踏会の主催者である侯爵夫妻は仮面をつけず、その美しい顔を晒していた。

 アマーリエが着ているのは光沢のある真紅のドレス。

 耳元では大粒のガーネットが揺れていた。


 イグニスは真紅と黒の二色使いの衣装。

 房やちょっとした装飾の金が華を添えている。


 妻とともに歩きながら、イグニスは意味ありげな視線を送ってきた。

 どうやら彼もさきほどの騒動には気づいていたらしい。


 大丈夫です。

 その意思を込めて笑ってみせると、彼は笑い返してきた。

 これからもハクアをよろしく。そう言われた気がした。


 イグニスが進んでいくと、自然と周りの貴族たちが退き、道ができた。

 そして侯爵夫妻はダンスホールの中央で踊り出す。


 まさに彼らこそが今夜の主役。

 どんな貴族も引き立て役にしか過ぎなかった。

 情熱的な眼差しで互いを見つめ合い、優雅に踊る二人を見て、ほう、とどこかから感嘆の声が聞こえる。


「……全部持って行きましたねー、イグニス様たち」

 主催者なのに。と胸中で呟く。

「当然だろう。イグニスほど格好良い男なんてこの世界のどこにもいないし、アマーリエほど綺麗な女もいるわけがない」

 ハクアが「1+1は2である」とでもいうように、迷いなく断言するものだから、新菜の胸中に小さな嫉妬が芽生えた。


 ハクアがイグニスたちを敬愛しているのは知っている。

 過去の経緯を考えればそれが当たり前だとは思う……のだが。

「……ちなみにハクア様、わたしとアマーリエ様どっちが綺麗ですか?」

「え」

 ハクアはびっくりしたような顔でこちらを見た。


「ア……お前に決まってるだろう」

「いま言いかけましたよね思いっきり言いかけて言い直しましたよね!?」

「いや、でも、綺麗なのはと言われると」

「もおおおおわたし絶対にアマーリエ様を越えるいい女になってみせますから!」

「いや、お前は十分にいい女だぞ? この上なくいい女だ。でも、外見で比較するとなるとやっぱり」

「うわああああんハクア様の馬鹿ぁぁぁ! そこは嘘でもわたしっていうところなんですよおお!」

 半泣きでハクアの背中を叩く。

 どうやらこの竜には『正直であることが必ずしも良い結果を生むわけではない』ということを教える必要がありそうだ。

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