第6話

 次の日の朝、僕はひどく寝苦しくて恵さんが起こしに来る前に目が覚めた。


 リビングに降りると恵さんが朝ごはんを作っていた。

 父さんは新聞を読んでいた。

 そしてユウナはいなかった。


 僕はご飯を食べた後、練習に出かけた。

 練習ではエラーばかりをして監督に何度もどやされた。


 家に帰ってからは夕飯まで自分の部屋にいた。


 僕はきっと今日たくさん怒られるだろう。

 それは当然だと思った。僕はたくさん酷いことをしたのだから。


 でもユウナのいない夕飯のときも。その後も、父さんと恵さんは何も言ってこなかった。


 僕が自分の部屋で何で誰も怒らないのか考えていると、トントンとドアがノックされた。


 ドアを開けると恵さんが立っていた。

「祥太くん。ごめんね。ちょっといいかな?」


 僕は恵さんの顔をちゃんと見ることができなかった。

 すると恵さんはこういった。

「ユウナ、最近様子がおかしいの。今日も理由を聞いてもなにも話してくれないの……」

 僕は驚いた。ユウナは恵さんや父さんに昨日の事を言ってなかった。

「祥太くん、ユウナから何か聞いてないかな? もし聞いてたら教えて欲しいの」


 僕は正直に昨日の写真のことを恵さんに話した。でもなんで破ったのかは教えなかった。

 すると恵さんは僕に静かに話してくれた。


 ユウナのお父さんはユウナが幼稚園の頃、病気で死んでしまっていた事。

 当時、ユウナはひどく悲しんだけど、ある時から全くお父さんの話をしなくなった事。


 そしてユウナが恵さんの前で昔の写真を見ることがなくなった事。

 恵さんはユウナがたまに、こっそりとお父さんの写真を見ていたのを知っていた事。


「でもね、ユウナはお父さんの事が大好きだったの」恵さんは小さな涙を流した。


 ……ユウナは僕と同じだったんだ。


 大事な人を悲しませたくないから。

 だからずっと我慢していたんだ。


 僕はみっともないくらい大声で泣いてしまった。

 自分が恥ずかしくなって泣いた。

 自分のした事が許せなくて泣いた。

 ユウナの事が可哀想で泣いた。


 大泣きしている僕の横に座って、恵さんは何も言わずに僕の背中を優しく叩いてくれていた。

 どれくらい泣いたのかわからない。


 でも、ぐちゃぐちゃだった頭の中は不思議とスッキリしていた。

 僕は泣いてちゃダメなんだ。しないといけない事があるんだから。


「恵さん。ユウナに酷いことをして本当にごめんなさい」

 恵さんは優しい笑顔で「家族だから」と言ってくれた。


 僕は恵さんにひとつお願いをした。

 どうしても欲しいものができたから。



 次の日、僕は父さんにショッピングセンターに連れてきてもらい、あるものを買った。

 急いで家に帰ると、僕は机の上に買ってきたものを開けて作業に取り掛かった。


「ユウナ。ちょっと待ってて。すぐ行くから」



 今日の夕飯にもユウナは降りてこなかった。

 僕は父さんと恵さんに、このあとユウナの部屋に行くからと言っておいた。


 僕は紙の包みを手に持って、ユウナの部屋をノックした。

 返事はなかった。

「ユウナ……。祥太だけど、入っていいかな?」

 遠慮がちに聞いてみたけど返事はなかった。

「ユウナ……?」

 きっと昨日の事を酷く怒っているんだろう。僕は怒られるだけの事をしてしまった。

 僕がひとしきり反省していると、突然ドアがゆっくりと開いた。

「……」

「ユウナ、ありがとう。ここでいいから少しだけ話を聞いて」

 僕は部屋の前に正座した。

 「ユウナ、ごめんなさい!」

 僕はギュッと目をつぶって床にぶつかりそうな勢いで頭を下げた。


 僕は目をつぶって頭を下げていたからユウナがどんな顔をしているかはわからない。

 それでも伝えることをちゃんと話さなきゃ駄目なんだ。

「ユウナ……。写真の事、ほんとうにごめんなさい。僕はものすごく酷いことをした」僕は頭を下げたまま続けた。

「恵さんから少しだけ聞いたんだ。ユウナのお父さんの事……」

 ユウナは何も言わなかった。

「ユウナはすごいよ。僕なんかたった三年でもいつも泣いていたのに、ユウナはそれを五年も続けている」

 僕はユウナに僕がこれまで思ってきた事を話した。写真を全部はずした事。お母さんの話はしないようにした事。お母さんと一緒に表札を作った事。そして、お母さんが大好きだった事。

「ユウナ。僕たちは似てると思う」

 ユウナが小さく息を吸う音が聞こえた。

「ひとつだけ、ユウナにお願いがあるんだ。これから一緒に頑張るために」

 そう言って僕は紙包から作ったばかりの作品を取り出して床を見ながらユウナに差し出した。


「これに、絵を描いてほしいんだ。ユウナに」


 差し出した作品をユウナはなかなか受け取ってくれなかった。

 僕は祈るような気持ちで「お願い!」と付け加えた。

 するとユウナはそっと、それを受け取って言った。

「……手伝って、くれるなら」

 ユウナの声が聞こえた。それはいつもどおりに小さな声だったけど、僕にはハッキリと聞こえたんだ。

「僕はヘタッピーだぞ?」

 僕はようやく顔を上げて表札を受け取ってくれたユウナを見上げた。

 するとユウナは表札を大事そうに胸に抱きながら、恵さんにそっくりな優しい顔をして少し笑ってくれていた。


 僕とユウナは表札に一緒に絵を描いた。

 やっぱりユウナはとても絵が上手かった。

 鮮やかなペンを使って可愛らしい動物達をどんどん描いている。

 僕は申し訳ないので隅っこの方にカエルの絵を描いた。

 するとユウナはもっと真ん中でもいいなんて言ってくれた。


 ユウナはとても上手だし絵を書くのが早かった。

 僕はユウナにお礼を言って仕上がった表札を自分の部屋に持ち帰った。


 僕はこの可愛らしい表札に、ひとつ工夫を付け加えた。



 次の日の朝、僕は誰よりも早く起きて玄関の表札を入れ替えた。

 昔の表札は僕の机の鍵付きの引き出しに仕舞っておいた。


 僕は「朝だよ! 起きて!!」と騒ぎ立ててみんなを起こして回った。


 そしてゾロゾロとリビングに集まった皆の手を引いて、玄関前に連れ出した。


「見て! これが新しい、大友家の表札だよ」


『大友 清次郎』

『恵』

『祥太』

『ユウナ』


 前作と比べて漢字になっている分、大人っぽい出来だ。

 でも相変わらず字はヘタッピーだった。

 それでも表札の中を駆け回る可愛い動物達のイラストは、それすらも楽しげに彩どっていた。


「どうかな? イラストはユウナが描いてくれたんだよ」

「……祥太。ユウナちゃん。ありがとう」

 父さんは少しうわずった声だった。

「ありがとう。ユウナ。祥太くん。とっても素敵だと思う」

 恵さんは僕とユウナの頭にそっと手を乗せてくれた。

 ユウナは笑顔だった。

 僕はそんな風に笑うユウナを初めて見た。

 僕の妹は結構可愛いのかもしれないな。


 僕たちはしばらく表札を見ながら笑いあっていた。


 そして父さんが、じゃあ朝ごはんにしようと言って家に入っていった。恵さんも父さんに続いた。


 ユウナも家に入ろうとしたので「ユウナ、ちょっと待って」と引き止めた。


「いいか、ユウナ。これは僕達だけの秘密なんだけど、ちゃんと守れる? 守れるならいいことを教えてあげる」

 僕はちょっと真剣な顔をしてユウナに確認した。

 ユウナは少しだけ考えると「大丈夫」と返事をしてくれた。


「よし。約束だぞ。秘密っていうのはこれ」

 僕は表札の下側の出っ張りを外して表札の表面を持ち上げた。

 するとめくった表札の下から二枚目の表札が顔を出した。

 その表札には家族の名前やイラストは書かれていない。

 そこには二枚の写真が貼ってあるだけだ。


 僕と父さんとお母さんの写真。

 そして僕が破ってしまったユウナとお父さんと恵さんの写真。


「ユウナ。写真、ごめんな。もっとちゃんと、キレイに直したかったんだけど、これで精一杯だったんだ……」

 ユウナは目を大きく開いて表札に飾られた写真を見ている。


「どうしても寂しくなったとき。どうしても我慢ができなくなった時だけ。その時はここにきて、こっそりと写真を見ような」


 ほんの15センチほどの小さな四角い表札。

 でもこれは僕達にとって秘密の、大事な表札なんだ。


「ありがとう。……お兄ちゃん」

 ユウナが僕をお兄ちゃんと呼んだ。

 なんだかとっても恥ずかしかったので「おう」とだけ返事した。


 二人で暫く写真を見つめた後、表札を元に戻した。


 そして家に入ろうとしたユウナをもう一度引き止めた。

「ユウナ、大事な事、もうひとつあった」

「?」

 ユウナは不思議そうな顔をして僕を見る。

「いいか、出かけるときと帰ってきたときには、表札にも挨拶するんだぞ。これは大友家のシキタリなんだ」


 ユウナはいつもよりも少しだけ大きな声で「うん」と答えてくれた。



 僕に一緒に頑張る兄弟が出来た。絵のとても上手な妹だ。

 僕はユウナの嬉しそうな顔をみていると、お兄ちゃんとして何をしたらいいのか少し不安になった。

 とりあえず、この可愛い妹が転入で虐められたりしないようにケンケンあたりにしっかりと見張らせようと思った。


 明日から新学期だ。

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マジカル ピクチャー (短編版) なるせ悠 @narisi_naruse

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