虹の架かるその時まで
@haruaki02
第1話「消えぬ君」
春。
年長者の話が眠くなるというのはこの世の摂理のような気がした。
周りでは舟を漕いでいる人がちらほらいるのが見てとれた。
俺もそのうちの一人ではあるのだが、さすがに目を閉じてしまうのは壇上にあがっている先生に失礼ではないか、と思いどうにか目を開いて頑張っている。
「……それでは、新入生の皆様、入学おめでとうございます」
拍手が聞こえてきて、ようやく話が終わったのかとホッと息を吐いた。
まだ入学式は続くけれど、校長の話さえ乗り切れば後はもう流れるように終わりに近づく。
俺はそっと目を閉じて、窓の隙間から微かに流れてくる風を感じながら、これからの生活に思いを馳せた。
「じゃあ、今日は自己紹介をやって終わろうか」
眼鏡をかけたこのクラスの担任教師はそう言って、右側の席の子から自己紹介させた。
自分の番はまだ来ないことを良い事に俺は頬杖をついて時間が過ぎるのを待った。
クラスメイトの声はまだ全く耳に入ってこなかった。
それよりもアルバイトのことを考える方が俺にとっては重要だった。
「……部活はサッカー部に入ろうと思っています。これからよろしくお願いします」
いつの間にか俺の前に座っている子が立ち上がって自己紹介を終えていた。
男子では俺が最後のようで、俺はさっさと終わらせたかった。
「湯川虹希(ゆかわこうき)です。部活は考えていません。よろしくお願いします」
前の彼が少しだけ詳しく話していたからか、俺は短く感じられたらしく担任の先生が肩眉をあげていた。
しかし俺が着席すれば視線は次の人へと向けられる。
そうしてまた十数人を繰り返す。
俺はフッと息を吐き、携帯を片手にバスの時刻を確認する。
都会と比べれば物は少ないが、静かで過ごしやすいというのがこの辺りの特徴と言える。
俺の住んでいる家からはバスで一時間はかかるが、それでもここに進学したかった。
「……私は吹奏楽部に入部を考えています」
確かこの高校は運動部の成績が良いらしいが、俺には関係の無いことだったので詳しくは覚えていない。
俺がこの高校に決めたのは、この辺りに高校はここ一つしか無いという事と父の母校だったからだ。
何十年と前の話だが、今は亡き父の面影に少しでも触れたかったという思いが少なからず俺の中にあったのだろう。
今となってはそんな思いは心の奥に隠れてしまった。
「中学では写真部に所属していたので、高校でも写真部に入りたいと思っています。写真部に興味ある人は私に声かけて下さい」
小さく拍手が聞こえてきた。
どうやら今のでクラス全員の自己紹介が終わったようだ。
先生が明日からの連絡事項を伝える。
すぐに明日から授業が始まるらしい。
勉強だけはしっかりとやってこいと母に再三言われてきたので、しっかり取り組まねばならない。
「じゃあ、今日はこれで解散。お疲れ、また明日な〜」
その言葉を聞いた俺はクラスの誰よりも先に立ち上がった。
ガタッと音を立てて立ち上がった俺を皆が振り返った気がした。
立ち上がった瞬間、俺はもう扉に目を向けていたからクラスメイトがこちらを見ていたかどうかは定かではないのだ。
バスの時刻が迫っていたから一刻も早くバス停に着きたかった。
高校からバス停まではおよそ十分はかかる。
それを考慮してバスに間に合うかどうかは運次第だ。
教室を出てから校門に至るまで、生徒の誰一人ともすれ違うことはなかった。
俺は一人で廊下を闊歩していた。
なんだか孤独な気分を味わったが、そんな考えはすぐに去る。
バイトの時間に間に合うかどうかが今の俺にとっては大事なことだ。
「くそッ……」
ハッと息を吐き捨て、俺は校門が見えたあたりから走り出した。
間に合えと願いながら、バス停を目指した。
教室の中からはこの町を見渡すことができる。
中学の時、この高校の学校説明会で学校を案内された際にこの景色を見た。
それがずっと忘れられずに私はこの高校を必死の思いで受験し、そして合格を得た。
胸を踊らせながらこの席に座った。
先生の話なんて耳にも入ってこなくて、ずっと窓の向こうを見つめていた。
どのアングルから撮ればこの景色の良さが紙一枚に収まるか。
朝の光が良いか、昼の青空が良いか、紅色に染まる世界が良いか。
カメラのレンズを覗きこみどこに焦点を当てるか、この景色から私は何を伝えたいのか。
そうやって想像を巡らせていた私は、クラスメイトの自己紹介を右から左へと聞き流していた。
一人の世界を楽しみたい時もあるが、友達だってほしい。
写真のこととなると周りが見えなくなるのは私の悪いく癖だと自覚はしているのだが、なかなか治らない。
気が付いた時には私より二つ前の席の子が立ち上がっていた。
良かった、自分の番が来る前に気がついて。
ホッと息を吐いて私は何を言おうか考えた。
私が最後のようだし、これが終われば帰れるのだから手短に話した方がいいだろう。
名前と出身の中学校とあと、と考えている間に私の順番は迫っていた。
「夜久穂沙那(やくほさな)です。中学では写真部に所属していたので、高校でも写真部に入りたいと思っています。写真部に興味がある人は私に声をかけて下さい。よろしくお願いします」
緊張で思うように口が動かず、早口になってしまったかもしれないと着席してから慌てた。
誰も気にしていないのか、淡々と手を叩いて先生の声で鳴り止んだ。
私は少し不貞腐れながらもあと少しで帰れるのだからと自分に言い聞かせた。
「じゃあ、今日はこれで解散。お疲れ、また明日な〜」
先生の声が切れたと同時に椅子を引く音が聞こえた。
「……え?」
皆が注目する中、立ち上がった男子生徒は堂々と扉から出て行った。
シンと静まり返る教室に、しばらくしてからガヤガヤと音がしてくると帰り始める生徒が増えてきた。
前の席に座る女の子と少しだけお話をして、さて私も帰ろうとカバンを手に立ち上がった。
「ありゃ、あれは……」
その時に窓の外に見えたのが、さっきの男子生徒だった。
校門への道を走っている。
ついさっきの出来事で、同年代とは思えない程の落ち着きように、私は少しだけ興味を抱いた。
ちゃんと名前を聞いておけば良かった。
今となっては彼がどんな声をしていたのかさえ分からない。
少しだけ後悔を覚えた高校の入学式だった。
中学とは授業の進み具合が違ったが、どうにかついていける。
数学は少し眠たくなる。
「じゃあ〜この問題を……湯川ぁ」
一番後ろの席で前の子の背中に隠れているはずなのに、数学の教師は目敏く俺を見つける。
今日は頬杖をついて、xとyの関係性をより詳しく具体的に考えていた所だったのに。
「俺の話、聞いてたか?」
「xとyの関係性について」
「どこの昼ドラの女関係だ」
クラスの人にはクスクスと笑われ、先生には呆れられた。
そんな事を気にする俺ではなく、黒板から目をそらし自分のノートに目を向けた。
「佐野。湯川の代わりに答えを教えてくれ」
先生の目の前の席に座るサノという女子が次なる標的となった。
申し訳ないが、先生の興味が俺から外れたのでサノさんには感謝したい。
「お、そろそろ授業が終わるな。それじゃ、宿題のプリントを配るぞ〜」
毎回、授業の終わりに宿題のプリントが配られる。
授業の復習と応用問題のプリントだ。
小さくため息を吐いて、次の授業はなんだったかと考える。
「湯川、プリント」
ついつい考え事に集中していてプリントが回ってきていることに気が付かなかった。
声をかけてくれた矢吹に礼を言い、プリントを受け取った。
「さっきのなんだよ、めっちゃウケたんだけど」
矢吹の背中に隠れていたのに当てられた、とは言えずプリントをクリアファイルに収めつつ答えた。
「多分、半分寝てたわ」
「寝ぼけてたのかよ」
矢吹は一通り笑った後に前に向き直った。
彼は誰とでも仲良くなれる人種のようで、入学式の次の日には「おはよう」と挨拶をされた。
確かバスケ部に入部したと言っていて、朝練が大変らしく大抵寝ている。
それでも数学は好きな教科のようで、この時間だけは真面目に起きて授業を聞いている。
ちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、欠伸を噛み殺しきれずにこぼれてしまった。
「穂沙那。ねぇ、また見てるよ」
「……へ?あ、あかり」
肩を叩かれて前を向けば、可愛い顔が目の前にあった。
思わず惚れてしまいそうになったのに、可愛い顔はすぐに不機嫌な表情を作った。
「入学式の次の日からずっと見てる」
眉間にしわを寄せて私を見るあかりは可愛いなと思いつつ、指摘されたことに苦笑いを返した。
「自覚、は無いんだけどね〜……」
「周りが勘づいていって、最後には湯川に伝わっちゃうよ?」
「え、何が?」
より一層しわを寄せ、ついには深いため息を吐いたあかりに私は首を傾げた。
何故ため息を吐かれたのか分からない。
「好きなんじゃないの?」
「え?」
聞き返した私が悪かったのか、質問を理解できなかった私が悪いのか、どのみち私が悪いということになるのか。
あかりは私の額を小突いた。
「なんでアンタは自分の気持ちに疎いのかな」
「いった〜い……」
「それとも本当に気付いてないのかな……?」
何故か彼女の方が顎に手を当てて深く考え始めた。
そろそろ移動をしないと次の授業に間に合わない。
私と彼女は立ち上がり、教科書類を持って移動を始める。
「うーん……これは一目惚れ?でも自覚してないから違う……?」
歩きながらも彼女は私の最近の行動について考えている。
そんなあかりに私は苦笑いしか返すことが出来ない。
どうやら私はいつの間にか湯川くんを見ているらしい。
自覚はない。
「……あ」
「え、何?どうしたの穂沙那?」
彼を見たのは、入学式の日の帰る頃。
教室にいた時の大人びた雰囲気はなく、ただ必死に走る彼の姿が目に焼きついたのを覚えてる。
「……いや、前を歩いてるの、湯川くんだ」
「え、あ〜……」
「……こういう事か」
教室を出て廊下を歩いていた。
ふと目線を上げてみると、私の視界には彼の後ろ姿が入ってきた。
廊下には少なくない生徒がいるのに、私の目は確かに湯川くんの背中を捉えていた。
私はここで漸く自覚をした。
あかりが再三言っていた、私が湯川くんを見ていること。
私は思わず頭を抱えたのだ。
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