第2話罪を自覚すること
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朝、目覚めてから寺院の掃除をし、作物に水をやる。
それが終わってから朝餉を取り、瞑想をし、経を読み、鎮魂の為の石像を彫り、殺した人々の菩提を弔う。
そして夕餉を食べ終えてから日が暮れた墓地を見回り、講堂で修行をこなす。
それが今のユウトの日課だ。
寺院の雑用を済ませると、ユウトは切り株の上に腰を下ろすとため息を漏らした。
(ここは退屈で仕方がないな……娯楽なんて何にもないしなあ)
空を見上げる。見えるのは風に流れていく白い雲だけだ。
(俺はもしかしたら夢を見てるんじゃないのか。あるいは新発売のVRゲームでもやってて、本当は自室のベッドで寝てるだけなんじゃ……)
「何を物思いに耽っておるんじゃ」
ユウトが黙って声のした方へと顔を向ける。
ユウトに声をかけてきたのはカルラだった。
寺院の門前で催眠術を使ってきたユウトの鳩尾を殴りつけ、昏倒させた相手、それがカルラだ。
もっとも、カルラに限らず、この寺院の者達には異能など全く通用しない様子だが。
「当ててやろうか。そうじゃな、これは自分が今見ている夢ではないのか、そうであろう?」
ズバリとカルラに言い当てられ、ユウトが表情を変えた。
「図星のようじゃな。それにお前、顔にも出やすいのう。ふふ、それでもし、この世界がお前の見ている夢だとして、それだったらお前はどうするんじゃ」
「どうにか目覚める方法を探す、そうすればこの悪夢からは解放される」
「じゃあ、この悪夢が目覚めない悪夢だとしたらどうする。あるいは悪夢から目覚めた場合、もっと酷い悪夢が待ち受けているとすれば?」
「……」
カルラの言葉にユウトは押し黙った。どう反論するべきか、逡巡する。だが、上手い返し文句が思いつかない。
ユウトは思わず、下唇を噛んだ。
「本当はこれまでお前が現実だと思っていた事柄が夢幻で、今ある世界が本当の現実かもしれないぞ。先ほどわっちが言い当てたのも前世の記憶を持った転生者の多くがお前と同じことを考えるからじゃ。パトナムという哲学者も人々が現実だと思っているこの世界は『水槽の中の脳が見ている夢』かもしれないと主張しておる。
もっと言えばカント、デカルトといった哲学者も同じことを考えておったな。お前にわかりやすく言えば、映画の『マトリックス』の世界じゃな」
「なんで俺のいた世界の知識を持ってるんだ……」
「わっちらもお前のいた世界のことは知っておるわい。それで仮にこの世界が夢幻として、それがどうかしたのか。お前の体験してきたこれまでの事柄は、それ自体は間違いなく経験しているのじゃ。
お前が齧った果物の甘さは、それが例え夢の中だとしても味わったという事実は紛れもなく存在する。と、これはフッサールという哲学者が言っておった話じゃがな。そして存在するということは、それは事実ということでもある」
「なんだ、結局は他人の言葉と借り物の知識で語ってるだけじゃないか」
「その通り、だがな、例え借り物の知識であっても、それが自分の知識だと思い込んで、思い上がっておる連中よりはマシじゃろ。お前の周りにもそういう連中はいたじゃろう。まともに反論できなくなるとそんなもの借り物の知識だ、少し調べれば出てくる知識だと負け惜しみを吐く奴が」
カルラに何も言い返せず、その晩、ユウトは腹立ち紛れにふて寝した。
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その日の仕事は草むしりだった。
鎌で刈り取った雑草を一箇所にまとめていく。
照りつける陽光に汗が吹き出した。
手拭いで額に浮かんだ汗を拭き取ると、ユウトは水筒に入った茶を飲んだ。
ユウトの隣では、黙々とリュウセンが作業を行っている。
他の者達は焚付に使う柴(小枝)や山菜を摘みに行ったり、寺院の掃除や修繕、あるいは難儀している人々に力を貸すために出張っている。
この寺院では、各々が分担して仕事をこなしていた。
「それにしてもこれだけ雑草が生えてると、見るのも嫌になりますね、和尚様」
「そう考えるのは私どもの傲慢というものですよ、ユウトさん。人の目を楽しませる花や病を癒す薬草と、この雑草との違いは一体何なのでしょうね」
「違い……ですか?」
怪訝そうな表情を浮かべ、ユウトがリュウセンに尋ねた。
「ええ、そうです。『花は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きけん)に生うるのみなり』と、これは道元禅師の言葉なのですがね。花は惜しまれつつも散ってしまうが、雑草は嫌われても生い茂る。どれだけ好ましいものでも、いつかは消えてしまう一方で、どれだけ嫌いなものでも勝手には生えてくる。
そこに人間の苦悩や煩悩が生じるわけです。もっとも、好まれようが嫌われようが草花からすれば、そんなものは人間の勝手な都合でしかありませんが。全ては見方一つです」
そう言うと、リュウセンが毟った草の一つをユウトに差し出す。
その草の葉を取ると、ユウトはマジマジと眺めた。
「これはドクダミですね……そうか、このドクダミはある人から見れば勝手に生い茂る嫌な雑草ですが、別の人からすれば有難い薬草だ」
「そういうことです。雑草だ、薬草だ、は所詮は人間が勝手に決めたこと。そして物事は個人の思い通りにはならない。そこに苦しみが生まれるのです。苦しみが生じるのは、物事の流れに逆らうからです。ですが、どれだけ好もうが嫌おうが、このドクダミは自然の摂理に従って生える」
それから少し休憩を取り、二人は茶を飲んで疲れを癒すと、再び草を刈っていった。
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ユウトがこの寺院の世話になってから、一年が過ぎようとしていた。
そうしている内にユウトの胸裏には、悔恨の情が芽生えていった。
(僕はどうしようもない馬鹿だった……この寺院に逃げ込んだのも自分勝手な理屈のためだ……)
このままあの怨霊にこの身を差し出してしまおうか、そう考える反面、やはり地獄は恐ろしい。
毎晩、毎晩、ユウトは揺れ動く狭間の中で、どうするべきか思い悩んだ。
そうしている内にリュウセンがユウトにとある話を切り出した。
『ユウトさん、世の為、人の為に働きませんか、それが貴方の罪滅ぼしになります』と。
ユウトはその申し出に涙を流しながら、ありがとうございますと礼を述べた。
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スーは目を覚ました。
(ここはどこなの、私は一体……)
スーは自分が転がされている部屋を見回した。石造りの殺風景な部屋で、調度品などは見当たらない。まるで監獄のようだ。
酷く喉が渇いていた。それに頭もズキズキと痛む。
(あれ、なんで私、手錠されてるの?)
手首に鈍い痛みを感じ、スーが気づく。少女の両腕は鉄の輪っかで拘束されていた。
それに衣類も剥ぎ取られている状態だ。
その時、部屋のドアが開いた。
「ようやく目覚めたんだねえ」
部屋に入ってきたのは小太りの男だ。
「……おじさんは誰?」
スーが怯えるように身をすくませる。
「やっぱり可愛いなあ、君は今日から俺の玩具で奴隷だよお」
「家に帰して……家族が待ってるの……」
スーをじっと見ながら、男が顔を近づけてくる。その時、スーは生臭い息を顔で感じた。
「あのな、奴隷が勝手に喋っちゃいけないんだよお」
突然、男がスーの横顔を殴りつける。切れた唇から血が飛び散った。
「まあ、いいか。それじゃあ、少しばかり楽しませてもらうよ」
男がスーを押さえつけ、のしかかっていく。
それからスーは何日もの間、男に嬲られ続けた。
その間に与えられた食事は、男の排泄物だけだ。
スーは暴行され、慰みものにされ続け、食事もろくに取ることができず、衰弱していった。
「やっぱりエロゲーやエロ同人の調教みたいに上手くいかないなあ、まあ、別にいいけどさあ。ああ、どっかに俺を心の底から愛してくれる少女はいないかなあ。どんなことでも受け入れてくれて、見返りを求めず、献身的に尽くしてくれるようなさあ。天使が欲しいよ、俺だけの天使がさあ」
前世で男は献身的に尽くし、決して逆らわない女性が欲しいと切に願っていた。
男はそれが愛だと妄想していた。男は愛とエゴイズムの区別がつかなかった。そして、男は転生前に秘めていた妄想をこの世界で実行したのだった。
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街道には強い風が吹いていた。
そのせいで黄粉のような砂塵が舞い、通行人の顔や目に降りかかった。
街道を往来する人々は、この砂塵に難儀している様子で、皆が顔を伏せてしかめている。
宿場を通り過ぎると、途端に街道からは人気が失せる。
皆が宿場に置かれた旅籠や木賃宿で骨休めをするからだ。
それでも全く人影が見当たらないわけではない。
中には宿場に寄らずに旅を続けるものもいるからだ。
道の脇に二つの人影が見える。
二つの人影の正体は黒い僧衣を羽織り、先を急ぐユウトと巫女装束姿のカルラだ。
カルラの濡れ羽色の黒髪が、風の中でたなびいた。
握り締めた錫杖を揺らし、ユウトが何かを唱えている。
色は匂えど散りぬるを
我が世誰れぞ常ならん
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔いもせず
ユウトが念仏のように唱えていたのは、いろは歌だ。
「住職殿からその歌の意味を自分なりに新しく考えろと言われておるのじゃろう。少しは何かわかったかえ?」
カルラの言葉にユウトが首を横に振る。
「いくら香りのよい酒を飲んでもいつかは酔いが覚める。自分の命だって永遠に続くわけではない。人間の行いの奥にあるもの、人の欲望や感情の山を越えること。
そうなれば浅き夢を見ても、もはや酔うこともない」
「そのまんまの解釈をしているだけの状態というわけじゃな」
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異世界転生地獄巡り変態累ヶ淵 人骨椅子 @itihatitougo
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