異世界転生地獄巡り変態累ヶ淵
人骨椅子
第1話地獄なんて嫌だっ!
急いでいたせいで気を取られ、地面から突き出た木の根に足を引っ掛けて、転んでしまった。
必死で立ち上がると、ユウトは背後を何度も振り返りながら再び走った。
怨霊達がすぐそこまで迫っている。
捕まるわけには行かない。
暗黒に包まれた森の中で、こだまするのはユウトに対する怨霊達の呪詛と怨嗟の声だ。
呪われろ、ユウト、お前を地獄に引きずり込んでやる……
良くも私と娘を殺したな……
絶対に許さないぞ……
わしらはただ、静かに暮らしていただけじゃ……
面白半分で妻と息子を嬲り殺しにし、濡れ衣を着せて我らの一族を根絶やしにした貴様は決して逃がさぬ……
死ね、死ね、死ね、ユウト、苦しみ抜いて死ね、八つ裂きにしてやる……
お前の臓物を引きずり出して、串刺しにしてやる……
たっぷりと拷問を、責め苦を負わせてやる……
それは無数の怨霊の集合体だった。
ユウトに虐げられ、嬲られ、そして無念の内に殺されていった者達の魂の集合体だ。
その集合体はユウトに向けて、強烈な憎悪の感情を発している。
ユウトは転生者だ。
それもある種の異能を与えられた。
異世界で新しい生を受けたユウトは、しかしその力を他人ではなく、自己の欲望の為だけに使い続けた。
どれほど惨たらしい行いをしてきただろう。
ある時は興味本位で幼気な少年少女を兵士達に輪姦させ、それにも飽きたら耳と鼻を削ぎ落とし、両目を潰して四肢を切断してから、便所壺の中に放り込み、糞尿を食わせて死ぬまで飼った。
これは前の世界で読んだ戚夫人が人豚にされたエピソードからヒントを得たものだ。
また、ある時は無辜の村人たちを集め、生きたまま巨大な石臼の中に突き落とすと次々に引き殺し、そのミンチになった肉を親や子供に食わせてやった。
こちらはアンゴラのジンガ女王を模したものだ。
そうやってユウトはこの世界で、非道を働きながら日々を送った。
ある程度の倫理観や道徳心があれば、いくらなんでもこんな残虐な真似はできないだろう。
だが、ユウトにはこの異世界が、どこか非現実的に感じられたのだ。
そうだ、恐ろしくリアルな仮想現実の世界。
だからゲーム感覚で、人々を出来るだけ惨たらしく殺してやった。
罪悪感なんてどこにもない。
そんなものはむしろ邪魔でしかなかった。
誰もユウトに反抗できる者はいなかった。
ユウトに授けられた異能は催眠術であり、それを使ってこの男は権力者達を次々に取り込んでは操っていったのだ。
影に隠れ、有力貴族や王族を操るのは快感だった。
肥大化する自己愛とエゴイズム、そして狂気。
そして目を覆うばかりの残虐無道な行いを繰り返していった末にユウトは、怨霊達から追われる立場に陥った。
だが、怨霊から付け狙われるのは、ユウトの自業自得でしかない。
本来であれば、罪を精算する為に地獄の劫罰を受けるのが筋とも言えるだろう。
それでもユウトは必死で怨霊から逃げ惑った。
単純に復讐に取り憑かれた怨霊達からの責め苦を受けるのが恐ろしかった。
好き勝手に振る舞い、他人を苦しめてきたこの男は、自分が苦しむのだけはひどく恐れた。
流石のユウトの催眠術も怨霊達の前では全くの無力であり、それならばと怨霊を追い払うために雇った神官僧侶達も次々に倒されていくだけに終わった。
それほどまでに怨霊の恨みは深く、その力は凄まじいものだった。
それでも、ああ、それでも──。
(あの怨霊どもに捕まるのだけは嫌だっ)
あと少しだ。ああ、もう寺院の石門が目の前に広がって見える。
(あそこに逃げ込めば……ッ!)
ユウトは渾身の力を振り絞ると、アーチ型の門の中へと飛び込んだ。
***********
打ち付けた石畳から上体を起こし、ユウトは後ろを振り向いた。
怨霊達は追ってこない。
ただ、門の前でウロつきながら、ユウトを無念そうに睨みつけているだけだ。
聞いた噂通り、どうやらあの恐ろしい怨霊達も結界の張られたこの寺院までは流石に入り込めないらしい。
相手が自分に手出しできないことを悟ると、ユウトはほっと胸をなで下ろした。
そして、怨霊達に向かって罵倒した。
「この腐れ亡者どもめっ、悔しかったらこの中まで追ってきてみろってんだっ」
相手が手も足も出せないとわかれば、途端に居丈高になる。
ユウトはそういう人間性の持ち主だ。
「そこで何をやってるんじゃ、お前?」
その時、ユウトは不意に背後から声をかけられた。
(この寺院に住んでる奴か。丁度いい、それなら俺の催眠で操るとするか)
身体の向きを変えると同時にユウトが、催眠念波を相手に飛ばす。
「……なるほど、催眠術か。それがお前に与えられた異能じゃな」
(なっ、効いてないのかっ)
焦りが生じたその瞬間、鳩尾に重苦しい衝撃が走った。
強烈なボディーブロー、腹肉を内蔵ごと削り取られるような感覚、そのまま地面に崩れ落ちるユウト。
呼吸困難に陥ったのか、必死で酸素を吸い込もうと地面でもがく。
「大方、お前も悪事を働きすぎて、シャバにおられんようになった犬畜生の類じゃろう。とりあえず住職殿に報告せんとな」
薄れゆく意識の中で、ユウトは相手の顔を初めて覗き見た。
美しい容貌だ。絶世、あるいは傾国の美女という言葉が陳腐に感じられるほどの。
秀麗な美貌とはまさにこの事だ。
朧げな意識が霧散し、ユウトはそのまま気を失った。
***********
次に目が覚めると、ユウトは毛布の上に横たわっていた。
「おや、ようやくお目覚めですか」
見上げると、黒いフードを目深に被った男の姿があった。
「あの、ここは?」
「ここは庫裏にある休憩所です。今、お茶を淹れますので飲みませんか。喉が渇いておいででしょう」
そういうと男が、沸かした湯を茶葉の入った急須に注ぎ込んでいった。
それから少し間を置いてから、男は湯呑に注いだ茶をユウトの前に置いた。
「さあ、どうぞ。遠慮せずお飲みください」
男に進められるがままにユウトが茶を口に運ぶ。
熱すぎず、だが、温くもないちょうどいい温度の茶だ。
ユウトに茶葉の良し悪しはわからないが、それでも甘みのあるうまい茶だなと思った。
「それで貴方が当寺院に訪れた目的はなんですか」
男に尋ねられ、板の間に座り直すとユウトは答えた。
「わ、私は怨霊達から狙われているのです……それでこの寺院の話を聞き及びまして、ご助力を乞おうと……」
「あの門の前にいた怨霊達ですね。今はもうすっかり立ち去って、姿を消しておりますが」
男が茶を口に含み、ゴクリと喉を鳴らしてみせる。
(そうか、あの怨霊ども、諦めて消えたか、とりあえずこれで一安心できるな……)
安堵感にユウトは思わず口元を歪めた。
それを見透かすように男は聞いた。
「それで貴方はこれまでにどんなに非道で、残虐な行いを人々に繰り返してきたのですか」
「あ、それは……」
「ああ、心配はいりません。貴方に限らず、この寺院に駆け込んでくる者たちは俗世で悪逆非道な振る舞いをし、そのせいで恨まれて、地獄に引き込まれそうな者ばかりですので」
男の口調はどこまでも落ち着いていた。恐ろしく不気味なまでに。
「そうなんですか。ええ、そちらの仰る通りです。僕はこれまで自分の力を使って随分と好き勝手に生きてきました」
「なるほど、先ほど、我々にご助力をとおっしゃいましたが、具体的にはどのような、ああ、そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。私はリュウセン、この寺院の住職を務めております」
「僕はユウトと申します。リュウセンさん、僕は地獄に落ちるのは嫌なんです。あの怨霊達からどうやって解放されるか、調伏するなり追い払うなり、あるいは自分に怨霊達が手出ししてこないようにしていただきたいのです」
「結論から申し上げれば、それは無理です。ユウトさんの背負ったカルマは重すぎるし、あの怨霊達の抱いている怨讐の念は深すぎるのです。よしんば、怨霊達を追い払うことに成功しても貴方自身がそのカルマを背負い続け、罪を重ねていけば、そこには何の意味もありません。むしろ、貴方はより罪深い存在となり、死後は地獄で一層苛烈な責め苦を受ける事になる」
「ええ、わかっています。今では十分に反省しているし、後悔もしています。罪を償いたいという気持ちもあります。ですから、どうか、助けていただけませんか」
「それならばユウトさん、あの怨霊達に自身を差し出すといい。反省し、罪を償いたいと真摯に考えているなら、そうやって怨霊達の恨みを晴らさせてやるのも一つの道なのですよ」
だが、ユウトは両手の拳を強く握り締め、視線を落とすと、何度も首を横に振って地獄に落ちるのだけは嫌だと叫んだ。
「ですが、罪を償うとはそういうことなのですよ、ユウトさん。反省しました。謝罪します。それで許されるほど甘くはありません。仮にユウトさんが本当に悔い改めたとしても相手の恨みつらみが晴れない限りは狙われ続けます」
「……もしも怨霊達に捕まった場合、僕はどのような地獄に落ちるのですか?」
「ふむ、それなら少しだけ見てみますか、地獄の光景を。ついでに触りの部分だけでも体験してみるといい。何事も経験ですからね」
そう言うとリュウセンがユウトの双眼を覗き込み、何かを唱えた。
***********
「やめろっ、やめてくれっ」
灰色の肌をした筋骨隆々たる獄卒に首根っこを捕まれ、宙吊りにされたユウトが手足をばたつかせる。
だが、いくら暴れてもビクともしない。
恐ろしく強い膂力だ。
そうしている内にもうひとりの獄卒がやって来て、ユウトの右腕を掴むとノコギリで切り始めた。
激しい激痛が襲いかかる。
ギザギザした刃が腕の肉に食い込み、血飛沫を飛ばした。
ゴリゴリと骨を切断する振動音が、体内を通して鼓膜にまで伝わって来る。
「うわあああああああァァァッッ」
それは痛いというよりも焼けるように熱いという感覚に近かった。
切り落とされた右腕が地面に転がり落ちていく。
鮮血で赤く濡れたノコギリを持ち直し、獄卒がユウトの左腕に刃を当てる。
その調子で四肢を切断されると、最後は煮えたぎる糞便の海に放り込まれた。
手足がないので泳ぐこともできない。
激しいアンモニア臭に目が沁みる。
口腔内に流れ込む糞小便の味の酷さ。
ユウトは糞尿の海に溺れ、苦しみながら沈んでいった。
***********
その次は串刺しの刑だ。
一人の獄卒がユウトを無理やりうつ伏せにする。
ユウトも必死で抵抗するが、獄卒の凄まじい剛力の前には蟷螂の斧でしかない。
「ヒィッ、や、やめてくれ……」
長い杭を構えたもうひとりの獄卒が、その尖った先端を勢い良く突き出した。
杭がユウトの大腸、十二指腸、胃袋、食道を突き破りながら進んでいく。
脳天を貫く灼熱の激痛、気が狂いそうだ。
ユウトは口腔内からどす黒い血泡と汚穢を垂れ流しながら、苦痛に塗れて絶命した。
***********
「とまあ、少しだけ地獄を味わっていただきましたが、どうでしたか?」
「……ひ、ひゃあああっッ!」
ユウトは思わず後ずさった。
「今のはほんの触りの部分です。それに時間だって一時間も経ってはいません」
「あ……あれが地獄なんですか?」
「正確には地獄のほんの一部ですね。そしてユウトさん、貴方が見た獄卒、鬼や悪魔とも呼ばれていますが、あの者達の正体がわかりますか?」
「い、いえ……」
「あれは殺されていった者達が抱えていた無念や恨みの思いが具現化した存在なのですよ。だから地獄の獄卒は罪人に対して情け容赦がありません」
「僕も死んだらああなるのですか……」
「少なくとも現状ではそうでしょうね。ただ、永劫の罰や責め苦などはありませんので、そこはご心配なく。キチンと罪を精算すれば、地獄からは抜け出せますので」
「死後に地獄に落ちないようにするにはどうすればいいのでしょうか?」
「現世で罪を贖うという方法もございますが、しかし、並大抵のことではありませんよ」
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