第21話 勇者の決意 魔王の決意
勇者ジュラの首はカンブリアの残党がいるカレドニア王都の古城に届けられた。
中庭の一際大きな巨木の下、朝露にブロンドの髪を濡らして、常であった厳めしい顔を崩さず眠るように目を閉じて、鏡のような曇りひとつない輝く銀の盆に乗せられて、それはあった。
銀の盆の片隅に赤黒い血で綴られた文字。――魔王より心を込めて。
カリドニア王都に着いてからハクアが目に見えて緊張するのが分かった。その緊張は、カンブリアの姫が滞在しているはずである城を前にして極限に達した。
止まりそうなる足が震えて、今にもこの場から逃げ出しそうである。
無理もない。ハクアはカンブリアの希望である勇者ジュラの訃報を携えてきたのだ。しかも自分にその責があると感じているその死の、である。
もっとも、中で待つカンブリアの残党たちはすでにその訃報を知っている。二三日の間にそれを知らせるものが届いたはずだ。
「――っハクア?! お前、三ヶ月もどこに行ってたんだ……?!」
カレドニアの兵士が立っていた門で待たされることしばらく、報せを受けて駆けつけたカンブリアの騎士は少年の姿を見るなり驚きに目を瞠って、次の瞬間には顔を歪めた。
「――……いいかハクア、心をしっかり持つんだぞ……――っジュラ様が……」
死んだのだと苦々しい顔になって告げて、騎士が苦しげにハクアから視線を逸らす。
ハクアは大きく目を見開いた。それはハクアの役割だったはずだからである。
ハクアが困惑を見せて魔王を振り返える。魔王が城のほうをじっと見据えてみせれば、そこに何かを感じ取ったのか、勇者ジュラの死を知る少年は城内に向かって駆け出した。
ハクアは幾つ目かの扉を開き、やっとそこにたどり着いた。
薄暗い部屋だった。
少年が扉を開けると中で影が動く。鋭い眼光をもって振り返ったのは三ヶ月前に少年に対し怒鳴っていた男だ。
癖のある髪に無精髭の残る顎をした猛者。勇者ジュラと親しそうに抱擁を交わしていたカンブリアの騎士デボンだった。
猛者は扉を開けた少年を見るなり怒りの形相で立ちはだかった。
「――逃げ出した奴が今更何の用だ?」
「違う、おれは師匠を……」
「ジュラを?」
ゆらりと猛者が動く。背後の闇の中でキラッと何かが光を反射した。
「――……どこに行っていたというのだ?」
「……師匠のもとに……」
瞬間、ハクアは猛者に胸倉を掴み上げられていた。そのままドンっと両開きの開いてない片方の扉に叩きつけられる。
衝撃と痛みにハクアが息を詰める。魔王は眉を跳ね上げた。
胸倉を掴む猛者の手が震えて、少年を締め上げる。
「……おかしい、と思っていたんだ……。ジュラが、あのジュラが容易く、殺されるなど……っ、――お前かッ! お前なんだな?! お前の所為でジュラは……ッ!」
その瞬間、痛みに眇められていた少年の緑の目が大きく見開かれた。
少年の視線は、薄暗い部屋の奥、卓の上、静かに置かれたそれに向けられていた。
少年が師匠と慕う男の慣れの果て。銀の盆に飾られた勇者の首。
魔王の、ハクアへの心からの贈り物。それをハクアは凝視していた。
その表情は皆無で、そこから魔王は何かを得ることができなかった。一抹の不安が胸を過ぎる。
「――っお前が死ねばよかったんだッ! お前が死ねば!!」
男にガクガクと揺さぶられるハクアはまるで人形のようで。
「どうしてジュラが……ッ! ジュラは勇者だったんだ! 人々の、俺たちの希望だったんだ!! お前一人の命では代えられない世界に掛け替えのない存在だったんだ!! お前は人々から勇者を奪ったんだッ!!」
床に叩きつけられるように投げ出され、倒れ込む。
「出て行け!! ――消えろ! 消えちまえ! 俺の前から消えろッ!!」
大声で浴びせ掛けて男がよろりと卓のほうに戻った。
銀の盆の上でどんな罵声にも動じない静かな表情を見せていたそれにすがるように腰を落とし、卓を叩いた。それが跳ねる。
「だから俺は反対だったんだ……ッ! 子どもを育てるなど、受け継ぐものができると生き延びる意志が弱くなると、俺は反対しただろッ? ジュラ……っ」
応えろ、とでも云うように呼びかけて男は、厳めしい顔の引き結ばれた口に苛立つようだ。
「――くそッ! くそぉぉッ! 魔王め! よくも、よくもジュラをッ、ジュラをこんな姿にッ」
倒れ込んでいたハクアの肩が動く。顔がゆっくりと上がって、それを見た。
その緑の瞳の奥、ゆらっと動く何か。
瞬間、眉が嫌悪に顰められて、つり目が鋭さを増した。
ハクアは弾かれたように立ち上がり部屋をあとにしていた。
名を呼ぶ声は怒声だった。
「トリアス! トリアスっ!」
「此処だ」
少年の背後から現われれば、少年が鋭い目つきで振り返り、ツカツカと目の前に迫る。
怒りの形相と分かるハクアを見守れば、目の前で腕をあげ、ぐっと魔王の胸倉を掴んでくる。抵抗する間もなくハクアの顔前まで引き寄せられていた。
怒れる少年の瞳が目の前。
「あんたは、魔王を殺す方法を知ってると言った」
「ああ、言った」
「どうすればいい」
声変わり前の声を低くしてのそれに、気圧されるほどの迫力がある。
睨み据えてくる緑の瞳にも威圧されるほどの迫力があった。
魔王は笑みを深めた。
「勇者に、なればいい。――魔王を殺せる、真の勇者に」
これこそが魔王の望んだ状況である。
真摯に少年の視線を受け止め、緑の深くにある瞳孔の奥、何かがゆらめくそこを、見詰めた。
不意に少年が離れる。うつむき、一歩、二歩と後退って、唐突にバッと顔をあげる。
涙はなかった。もう二度とその瞳から雫が落ちることはないと思わせる強さがあった。
雫が落ちる前にその瞳にゆれるそれが涙を蒸発させてしまうだろう。それほどの、燃える何か。
「おれは勇者になる」
ハクアのその宣言は、魔王の完全勝利の宣言でもあった。
「――勇者になって奴をっ、……魔王を殺してやるッ!」
瞳にゆれるのは確かな憎しみ。
向けられているのは他でもない魔王にである。
だが目の前の男にではない。
まだ見ぬ、だが確かに存在している憤ろしい、魔族たちの王へ。向けられた憎しみ。
魔王は震えた。
全身が痙攣するような衝撃が魔王の中を駆け抜けたのだ。
胸が締め付けられるような苦しさで体が躍動するかのような感覚は、期待だろうか。これがどんな存在に育つかという期待。
こんなにも血が滾るような想いははじめてだった。息を吐くのも煩わしいほどの苦しさがある。
――悪くない。
決して悪くない息苦しさだった。震えが止まらない。
――この魔王が、――この私が、ハクアを必ずや誰もが認める完璧な勇者に育ててくれよう。
今にも笑い出し、天に向かって高笑いしてやりたい衝動に襲われながら、魔王は決意をもって目の前に立つ少年を静かな面持ちで見詰めていた。
その魔王に退屈さはすでに遠い過去のものとなっていた。
勇者育成計画 来音 @lion-nyanko
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