第5話 風に乗って

 育てた合唱団が、今日も元気に歌っている。

 理想の高さを出す子が揃って、響きに厚みが出た。胸の奥をくすぐる和音が、いつかの朝の冷たい空気まで連れ戻す。うん、上出来。


「ふぅ〜〜っ、や~り切った、やり切った!いやぁ〜感動したわ〜みんなに!」


 この子たちは、きっと歌を受け継いでくれる。ぼくのここでの役目は、ひと区切り。

 リオナとラヴィが旅立ってから、季節はいくつ巡ったっけ。遠い空の下にいる二人を思い、ぼくもまたガン・イシュを離れることにした。


 ◆


 森が深い。びっくりするくらい深い。

 人間ってどこでも切り拓いちゃうのに、この辺りは緑がのびのびしている。先端の尖った若木が、我先にと空を目指している。上昇気流をつかんで樹冠の縁をなでると、木々の隙間にイシュの民の気配がのぞく。まるで、森じゅうが内緒話をしているみたいだ。


「ほんとにこんなところに人間の街があるのかな~。」


 風が少しべたつく。潮の匂い。森は海岸の近くまで裾を広げてるっぽい。

 羽を傾けると、空気がふわっと軽くなった。いい風。


「なんかこっち、いい感じがする!」


 誘われるまま海側へ抜けると、視界の先に、海へ突き出した岬を起点に大きな円。

 円の周りはやわらかく拓け、藁を積んだような屋根がまばらに並ぶ。円から三本、陸へ丘へ遠くへと道がのびている。

 円の中には、雪上の足跡みたいな形が見えた。

 近付いてみれば、その円は石の壁。内側にすり鉢を描き、足跡は水の流れる路だった。


 壁と水路が接する辺りに、背の高い風車が三基。壁の外を見下ろすようにそびえ、羽根には力こぶを誇る笑顔のマーク。くるくる回るたび、顔も光も踊った。

 水路の上すれすれを滑るように飛んでみると、浮きも沈みもせず、真っ直ぐに敷かれていることがわかる。壁の三か所から落ちた水は、二本が広場外の池へ、中央だけが海へ抜けていた。広場にも池があり、いくつも水が噴き出しては、涼しげに人々の営みを彩っていた。どこを見ても水面が眩しくて、目が細まる。きれい。


 街中で見つけた上昇気流を捕まえて大きく旋回。足元には黄色い海。風が渡るたび、穂がさらさら裏返る。


「すごい!絶対ここが黄金の穀倉地だよ!」


 列を成して刈り込みを進めるイシュの民。息がぴたりと揃っていて、合唱してるみたい。


 荷車の列が三本の道を行き交い、海からは潮の匂い。街の赤い屋根がきれいに並び、白い壁が光に瞬いていた。

 石の段丘のような通路に人が集まり、中央の水路へ視線が吸い寄せられている。かつてぼくが子どもたちの息を揃えたように、ここでは水と人の時間が揃っている。水の音、ろくろの唸り、呼び声、笑い声、鉄を叩く軽い金属音――この街の歌は別の拍で鳴っていた。


 鳥たちが黄金の穀倉地の一角に集まっていた。どの子もまん丸。ここでは誰にも追われず、餌は尽きない。羽の間に風と麦の匂いを抱えて、ぼくはすぐにわかった。ここ、鳥の楽園だ。

 囀りが気持ちよくて、胸の中の拍がすぐ合った。気付けば群れの輪に混ざり、茎の柔らかいところを教わり、風の通り道を分け合い、巣を設けた。


 季節が変わるたび、穂の色が微妙に違う場所へ群れごと少しずつ移る。移るたびに、つい、もう一口、もう一眠り。

 食べて、うとうとして、また食べて。自称グラマーだったラインがどこかへ消える気配にも、最初はまるで気付かない。だって、みんな丸いのだ。丸いのは、ここではほめ言葉なのだ。

 ある朝、風が変わった。羽を広げようとして、ほんの少しだけ重さを感じる。いつもの畦道を越えるだけなのに、翼が先に休みたがる。

 あれ。移るのが、ちょっとだけ億劫。ぼく、飛ぶのが好きなはずなのに。


 風の止んだ野に、一条のそよぎ。草が順々にかしぎ、円が広がる。

 どうする、ぼく。

 胸の奥で合図が鳴る。よし。遠出してみよう。


 見上げると、外壁はとんでもなく高く見えた。前に眺めたときは、もっと近かったような気もするのに。北は風がぶつかって渦をつくる。高い。

 西に向けて助走。低く流して脚を畳む。肩を落として風を掴む。ふわり。疲れたら降り、茎の匂いで落ち着いて、もう一回。

 何度か繰り返すうち、壁の縁が少しずつ近付く感覚になっていく。うん、大丈夫。背中の羽束の動きも素直だ。


 練習を始めてから、どれくらい経ったろう。

 外壁の外へ滑り出た風に乗って、ぼくは翼をひと押しした。海の匂いが濃くなる。道が一本、白く陽を返して伸びている。荷車の列、茅葺きの屋根、犬の吠える声。

 その街道の近くに、見覚えのある人影があった。胸の拍が、ひとつ跳ねた。

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2025年12月6日 19:00
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転生、水の都の悪役令嬢——私、悪くないもん!—— 水川かずみ @kakuIDyomuID

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