第4話 密偵
「ちょっと待ちな、行かせないよ。……へびいちごだってねぇ、そそる名じゃないか。」
シュルリと音を立てて、私の前に滑り込む。
「へ、へび……」
私は少したじろぐ。体ごと水平に倒し飛び込み直後の姿勢のように、耳の後ろから頭上に真っ直ぐ腕を伸ばしたポーズで頭を先頭に真横から視界に滑り込ませるなどという、水中でなければ人間には不可能な動きで登場したからだ。
「おっと、愛と慈悲の聖女様がそんな顔を向けるのかい?」
丁度お腹の高さから差し込まれた身体は、私を中心にとぐろを巻くように滑らかに一周し、長い胴体を見せながら、一人で私の全周を取り囲むという人間には不可能なポジションを取る。
周囲の様子が全く見えなくなる閉塞感に、恐怖を覚える。その前に、
「メロン?」
「気に入ったかい?果物好きと踏んでね。全身フルーツコーデさ。」
巨大な二つのメロン……の柄の胸当て。
形を活かしたのはそれだけで、後はよく見なければわからないサイズで果物の柄がライン状にあしらわれていた。
一瞬だけどはっきりと見えたメロンは、肩のブローチで止められた布に隠された。
どうやら急停止の慣性で意図せず捲れたようだ。
「真っ赤に頬でも染められりゃ、恥ずかしいのが伝わるんだろうが、あいにく血が冷たくてね。」
彼女の下半身は蛇だった。
腰のくびれから下が大きく膨らみ、そのまま滑らかに細まり下に伸びる尻尾。
「もふもふは無理だけど、こんなのはどうだい?」
観察していると、シュルリと距離を縮めて身体に巻き付いてくる。
「うひゃあ~、ひんやりして気持ちいい~……」
今の季節に持って来いである。
「あたし、明日には孤児院に戻されちゃうんだよね。良かったら買ってくれないかい?」
そう言って抱きしめてきた上半身は暖かくて柔らかく、違う気持ち良さがあった。
「お、なんやなんや、べっぴんさんやん。」
振り向くより先に、軽い足取りが屋台を跳び越えてくるのが分かった。
「おや、カイ。今日も元気そうだね。」
「いや、そこは他人のフリせな!せっかくナンパに協力したろ思ったのに。」
カイは肩をすくめ、空中にツッコミを入れる。
「バカだね。あたしがそんな姑息な手を使うと思ったのかい?あたしはあたしのやり方で正々堂々パクッと行くのさ。」
「まーせやな。おばちゃんトコおったらそーゆー育てられ方するわな。」
「あたしからも頼むよ。メレナはあたしの娘みたいなもんさ。不自由はさせたくない。引き取ってやっちゃくれないかい?」
孤児院を建てたとき、適応保護法というのを作った。こんな一等地に構えていても、こんな小さな店じゃ奴隷は持ち続けられなかったのかもしれない。
「おばちゃんも耳障りの良い言葉を並べ立ててくれちゃってるけどさ、騙されちゃあいけないよ、聖女様。おばちゃんは話好きだからさ、井戸端会議に出てしょっちゅう店を空けるもんだから、ご覧の通り閑古鳥。あたしを買い戻す金なんてありゃしないのさ。」
「こらこら、メレナや。そいつは言いっこなしだよ!」
売り込むつもりがあるのかないのか、メレナと呼ばれた獣人は、おばちゃんをとっても慕っているように見えた。それは、そっくりな口調が、2人の間に流れた時間を物語っているからだったのかもしれない。
「わかった。そういうことならウチにおいで。リオナの手伝いも欲しかったところだったんだよね。」
私たちはその足で近くの教会に赴き、1オリヴァルもの大金を寄付して帰った。
◆
屋敷内をぐるりと案内して自室に着くころ、メレナのメモ帳は2冊目に突入していた。軽快な会話を緩めることなく、サラサラと書き続けるその姿に、歩き方の違いによる上半身の安定についての比較検討、などと考察していた。
「捨てなさい。所有権を放棄しろとまでは言わないけど。」
部屋にいたリオナに、いろいろ手伝ってもらえると紹介すると、にべもなく切り捨てられる。
「だいたいどう見てもレンのとこの密偵じゃない。」
そう告げられている間も止めることのないペンの動きに、新聞記者を連想していた。
ただそこに書かれる文字は、へびがのたくったようだった。
「さっさと行きなさいメレナ。果物屋あたりに居場所があるでしょ。あそこなら屋敷からすぐなんだし、いつでも会えるわ。」
おや、ツンデレか?ツンデレなのか?おばちゃんの元に帰って幸せにおなりということなのか?そう思わせるような展開に、私はにやつきを抑えられず、メレナを手放したのだった。
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