父の日の過ごし方

板本悟

僕の場合

 六月の第三日曜日である今日は全国的に——全世界的に父の日だった。今日に至るまでの間に何回か父の日にまつわる広告なんかを目にしていたはずだけれど特に意識していなかった。世界中のあらゆる子供が父親に感謝する日で、親孝行の日で、家族団欒の日ではあるが、僕にはあまり関わりがなかった。僕もこの世に生まれてきている以上生物学的父親は必ずいるはずだ。もし父親がいないのだとしたら女性同士の交配による出産が可能になったという男性からするとあまりよろしくない技術の発展があったことになる。そうだとしたって父親代わりの立場の人間がいるはずだ。


 まあ、少なくとも僕が生まれた当時はまだそんな技術は確立されておらず、単純にうちは母子家庭で家に父親がいないというだけの話である。家に父親がいない理由も別に早くして亡くなったとかそんな深刻な理由ではない。離婚しただけだ。

 母曰く、どちらかが浮気をしたとか喧嘩とかそういうわけでもなく合わなかっただけ、らしい。円満にという言い方は適切ではないような気もするけれど、まあ、円満に離婚した。


 親同士が離婚したとはいえ、僕らが子供である事実は変わらないので数年に一回程度会うことがある。しかし、最近はほとんど会うことはない。僕は私立の高校に姉は私立の大学に通っているので、その学費の一部を負担してくれているようだ。あまり意識したこともないので学費を負担してもらっていることに対する感謝も特にない。


 産んでくれてありがとう、という言葉は母の日に母親に言ってしまって父親にいう在庫は残っていない。よって毎年、うちでは父の日だからといって特に何かをすることはない。

 ただ家でテレビをつけると確実にその話題に触れる番組が流れているので、なんとなく居心地が悪い日という印象である。


 そんな居心地の悪い日になぜか母親は仕事が休みにも関わらず朝早く——といっても十時過ぎくらいだが、に出かけてしまって。僕が起きた頃にはもう家にいなかった。姉も一緒に出かけてしまっている。僕はもうすぐ期末テストだから、と適当に理由をつけてついていかなかった。勉強なんてどうせテスト前日くらいしかまともにしないくせに、と自分で思う。


 結局、居心地の悪い空間にいつまでもいるなんてできるわけもなく、僕は適当に自転車を走らせた。サイクリングなんてそんな格好いいものではない。現実逃避ともいうべき残念なものである。


◆◆◆◆◆


 さて、もうすぐ夏になろうかというこの暑い中街に飛び出したはいいけれど特にすることもない。普段時間つぶしに使っている大型スーパーもきっと父の日セール中だろう。そういう場所はやっぱり居づらい。


 音はイヤホンで音楽を聴いて遮断することができるけれど視覚はそうはいかない。どうしても家族が楽しく買い物をしている風景が目に入るし、もしかしたらそのままじっと見てしまうかもしれない。そんな不審者にはなりたくなかった。


 公園にもやっぱり居づらかった。公園なんてまさに子供のテリトリーで、つまりは親子のテリトリーで。どうしても目についてしまう。


 信じてもらえないかもしれないが、別に僕は父親と過ごす時間が少なかったことに対して不満を抱いているわけではない。そんなことを思うくらいなら普段から率先して会えるようにスケジュールを管理するし、連絡も頻繁にとっている。だから現状に対する不満は、ない。


 そんな誰にしているのかもわからない言い訳をしながら信号待ちをしていると近くの公園のベンチに座っている一人の少女が目についた。


 少女というほど僕よりも年下なわけではない。というか、同い年だ。先ほど自分のことを少年といったのでただそれに合わせただけである。まあ、だから青年でもよかったし、もっと端的に女子高生でもよかった。


 その少女、女子高生は僕と同じ高校に通っている、見覚えのある人だった。だからというわけではない。ただなんとなく一人手持ち無沙汰にしている様子が僕と重なって見えた、というだけだ。そんなよくわからない仲間意識のようなものに突き動かされて僕は彼女に話しかけていた。


「こんな家族団欒日和に一人でいていいのか?」


 話しかけられた側の彼女は体をビクッと動かしこちらを向いたかと思うと、訝しげな視線をこちらに向けてくる。


 当たり前といえば当たり前か。こちらが知っていても向こうが知らない可能性だってある。むしろ高いだろう。自分が知っているからといって向こうも知っているだろうと思うのは単なる思い上がりでしかない。


「誰?」

「同じ高校の同じ学年の生徒だよ。二年D組六番」


 そういって僕は生徒証を彼女に見せた。それを見て多少警戒のレベルが下がるかと思ったがそんなに甘くはなかった。先ほどと変わらず訝しげな視線が僕を射抜いている。


「で?何の用?」

「いや、だから。今日は父の日だろ?ここにいていいのかよ」

「別に。あんたには関係ないでしょう」


 まあ、確かに。関係はない。全く何も。


「お前、父親いるよな?」

「当たり前でしょう?」


 当たり前だよな。


「じゃあなんで、ここにいるんだよ」

「別に。父の日だからって何かをしなきゃいけないわけじゃないでしょう?」


 随分と冷めた物言いだった。その言葉に安心しつつも怒りが湧く。なぜ安心したのかはわからない。


「そりゃあそうだけど。でも、何かできるんだからしてやりゃあいいじゃんか」

「なんでそんなムキになってるの?」


 あはっ、と嘲るように彼女は笑った。さっきまでの表情とは違う。嫌に口角が上がった笑顔だった。


「もしかしてあんた、父親がいないの?」

「いるよ。当たり前だろう?」


 へえ、と見透かすような嫌な目で僕を見る。訝しげな視線の方がまだマシだった。

 そっかそっか、と彼女は納得したようにいうとまた目の色を変えた。今度は哀れむような目だった。


「あんた、私に同情してほしくて声をかけたの?」

「は?」


 全く予想外の言葉だった。が、妙に腑に落ちてしまった。なるほど、確かに。僕は同情してほしかったのかもしれない。あるいは、共感してほしかったのかもしれない。境遇が違いすぎてどちらもしてもらえそうにないけれど。


「さて、じゃあ僕はこれで失礼させてもらおう」

「何しに来たの?」

「さあ?よくわからない」

「そう」


 興味ないなら聞くんじゃねえよ。

 ……ああ、そうだ。


「お前もそろそろここを動いた方がいいよ」

「は?まだ言うの?」

「いやいや、そうじゃなくて」


 別にもう、父の日なんてどうでもいい。


「六月も終盤になるともうだいぶ暑いからな。熱中症で倒れるかもしれないし、どっか涼しいところにでもいった方がいいぞ」

「余計なお世話よ」


 そう言って彼女は肩掛けカバンの紐に手をかけた。


「じゃあな」


 返事はなかった。


◆◆◆◆◆


 結局元来た道を引き返し、家に帰った。ちょうど昼飯時だったので、昨日の晩御飯の残り物で昼ごはんを済ませる。テレビはつけなかった。

 食器を片付け終えると玄関の開く音がして、その後にただいまと声がかかる。僕はおかえり、と返した。随分気の抜けた声になった。暑さにやられたのかもしれない。


「どこ行ってたの?」


 そう聞いてから母親がパン屋の袋を持っていることに気がついた。そのパン屋さんは母の生まれた地域にあるもので、つまりはその辺りに用があったことになる。


「んー?お墓まいりと買い物」


 だから、行き先の予想は質問した段階でついていた。でも、理由がわからない。なんで今日なのだろうか。母方の祖父の月命日だっただろうかあるいは、誕生日だったろうか。いや、違うか。父の日だからか。


 亡くなっていても父の日は祝われるのか。残念ながら僕には父親が死んだ後でも父の日を祝ってあげられそうにない。けれど、まあ、今ならいいか。せっかくの父の日で、せっかく生きているのだ。連絡もできる環境にあるのだ。それなら連絡の一本くらい入れるのが筋だろう。

 僕はスマートフォンを手に取った。

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父の日の過ごし方 板本悟 @occultscience1687

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