僕の魔女と生きている僕

大滝のぐれ

僕の魔女とおもちかえり肉塊

第1話 僕の魔女とおもちかえり肉塊①

 あるところに、みんなからすかれているおんなのこと、とりたたてめだつところもないじみなおとこのこがいました。

 おとこのこはそのおんなのこにすかれたいなー、とおもっていましたが、とくになにもどりょくしていませんでした。

 なにもせずともそのこがおとこのこによってくるひを、かれはまっているだけでした。とうぜん、ふたりがえいえんにめぐりあうことはありませんでした。めでたしめでたし。


 とは、なりませんでした。


 あるひ、おんなのこはおとこのこがしにそうになっているところにそうぐうします。かれのきずはふかく、このままではたすけがくるまえにしんでしまうほどでした。

 おんなのこは、じつはにんげんではなくまじょというそんざいで、まほうがつかえました。もちろん、にんげんをしのふちからすくいあげるまほうもつかえました。

 しにそうになっているおとこのこが、おなじがっこうのおなじきょうしつでいっしょにべんきょうしているおとこのこだときづいたおんなのこは、ただたんに、たんじゅんなぜんいでまほうをおとこのこにかけ、おとこのこをすくいました。そしてみんなしあわせになりました。めでたしめでたし。


 とも、なりませんでした。


 おんなのこはおなじくまじょであるおかあさんのいいつけをわすれていました。そのことにきがついたのは、おとこのこにまほうをかけてからでした。そしてそれは、とりかえしのつかないことだったのです。


 そうしておとこのことおんなのこは、ふたりそろって、じごくにおちてしまいましたとさ。いえい。


   ▲



 大学生は人間じゃないのではないかと思うときがたまにある。高校までのときとは違って授業に出なくても名指しで注意されることはないし、部活棟という、大学側から公認されているサークルの部室が集まっている棟の前では、夏になると一部の男子が半裸になって水浴びをしているし、飲み会では男子も女子も平気な顔をして淫語を口にしている。生徒間でテストの解答が丸ごと書かれたマスターノートが出回っていたり、一人の生徒が複数人の出席表を重ねて出したりすることもざらにある。大学に入るまでの、ある程度規則に基づいた一般的な生活をしていた頃の記憶は抜け落ちてしまったのか。そういう人間を見る度、僕はそう言いながらそいつらに高校時代の己の写真を見せつけてやりたくなる。お前は昔そんな平然と人前で半裸になったり、なんの後ろめたさもなく授業をサボるような人間じゃなかっただろう。


 ということを考えながら、僕は自室のベッドに寝転がった状態で授業をサボっていた。履修登録をしただけで一度も出席していない、初老の教授がひたすら文学について語る授業だ。本なんてくだらないあんなのただ自分の恥部をさらけ出しているようなものじゃん、というのが僕の持論だ。ただの単位合わせのために取ったに過ぎない、出席をとらない授業。だから僕の脳は行く必要なしと判断した。


「それに、今の僕には片付けなくてはならない問題が山積みナノダ」

 気持ちを軽くするために作った口調でひとりごちてから、大学進学を気に親元を離れ借りた、アパートの一室を見回す。ベッド、タンス、ガラス製のローテーブル、テレビしか置いていないリビング。その奥の右手側には洗い物が三日分溜まっているキッチンがある。そして廊下を挟んで向かい側に、お風呂場がある。それを見ると自然に、ため息が漏れてしまう。


「う、うーん……。あれ? 今起きたの」

 視界の端に動くものがあったので視線をベッドの上の方にむけてみると、僕の隣に寝転がっていた唯一の同居人の女が、目をこすりながら、ゆっくりと体を起こし始めていたところだった。

 彼女を見た人間は、まず頭に目が行くだろう。南国の海を思わせる鮮やかな水色をしている髪の毛は、背中の真ん中辺りまでの長さで、ゆるくうねっている。しかし服装はそれにあまり合っていない、「いぶりがっこ」とゴシック体で印刷された半袖のTシャツに、「ぬかづけ」と筆文字風の書体で右足にプリントされているスウェットだった。


 そんなへんてこな姿をしている彼女の名前は、千宮せんぐうリリという。僕の住む部屋に一緒に住んでいる同居人であり、そして、昔鉄骨に体を貫かれ、生死の境を彷徨った僕の命を魔法で救ってくれた魔女である。あの事件があった小学生の頃から、僕たちはずっと、一緒にいる。形は、どうあれ。


「いいや、今起きたところ。リリは昨日の夜遅くに帰ってきてから、ずっと寝てたけど、大丈夫」

「だいじょうぶー。そんなことよりさ、昨日言ってたこと早くやろうよ。わたし待ちきれなくてー」

 ハワイアンブルーの髪の毛が、リリの頭の動きに合わせてベッドの白いシーツの上で蠢く。僕はそれを見ながら、小さくため息をついた。現実逃避がしたくなって、まだおやつの時間だったが構わず冷蔵庫から缶ビールを取り出し、テレビの電源をつける。映画を放送している局にチャンネルが合っていたらしく、筋肉隆々の男がアンコウと人間をくっつけたような不気味なデザインのエイリアンにマシンガンを向けていた。リモコンを操作してチャンネルを変える。ひき肉を使ったお手軽レシピ、という名目でエプロンをつけたおばさんが説明をしながら料理を作っている。再びボタンを押す。ワイドショーにチャンネルが合い、明るい照明に照らされたスタジオに、何人ものスーツやフォーマルドレスに身を包んだ有識者らしき人々が顔をつきあわせ難しい顔をしている。画面右上には飛沫の飛んだ筆文字フォントで見出しが書かれている。しかしその文字を読もうとした瞬間、急に画面が消灯して黒くなり、自分の顔が映りこんだ。握っていたリモコンの電源ボタンに細い指が重なっている。


「ほら、つまんないよこんなの。それよりも遊ぼうよ、あれで」

 指を離し、リリが笑う。端正な顔立ちが際限なく崩れ、どこかの国の原住民が作る仮面のようになった。彼女の口から笑い声が壊れた玩具のように漏れ続ける。きひひひひ。ははははは。ちょっと外の空気を吸ってくる。僕は一言そう口にすると、玄関にあるスニーカーを潰し履きしてアパートの廊下に出た。そのまま階段のある突き当たりまで歩くが、リリが追ってくる気配はない。額に浮かんだ汗を拭いながら、僕はポケットから携帯を取り出し、サボっている授業へ僕の代わりに出席してくれている、針木圭介はりぎけいすけという男に電話をかけた。普段はよくメールでやり取りをしているが、誰でもいいから人間の生の声を聞きたい気がしていた。先ほどのリリの気味の悪い笑い声が脳裏に響く。これから処理をしなくてはいけないことが煙のように頭を覆う。縋るように携帯を耳に当てていると、数回呼び出し音が鳴った後、彼はいつも通りの快活な声で通話に応じた。


「もしもし。え、どうしたの。電話してくるなんて珍しいな。そんな心配しなくても、プリントは確保したしノートも後で見せてやるから安心しなよ」

「あ、ありがとう。いや、その、なんとなく電話を使いたくなるときってあるじゃん。圭介だってそういうときあるだろ」

「別にないけど」

「まあ、圭介になくても僕にはあるんだよ。それはそうと」


 大学、今どうなってる。僕は意を決してそう最後に付け加えた。どういう意味、と訝しげな声を圭介はあげたが、しばらくして合点がいったらしく少しだけ上擦った声で話し始めた。


「かなり話題になってる。なにせ起こったことが起こったことだしな。関係あるやつはもちろん関係ないやつも大騒ぎしてる。もう大々的にニュースにもなってるんだろ。いやはや大変なことになったな、こんな郊外のさして有名でもない我が学び舎」

「そうだな。本当に、大変だよ」


 本当に、困った。沼に突き落とされたような心地がした。


「ところで、お前の彼女……千宮、だっけ。今、一緒にいるのか」

「いるけど」

 正しくは彼女と言える関係ではないのだが、まあ外から見ればそう映るか。そう思いながら返事をすると、電話の向こうの圭介が口ごもった。そうか、と一言つぶやき、なにかを考え込んでいるかのように押し黙る。手汗で携帯が湿っていくのを感じる。心臓をがりがりと削られるような間の後、圭介が口を開く。

「いや、千宮を昨日の夜中、現場の近くで見たって言ってるやつがいてさ、ちょっとした話題になってるんだよ。ほら、彼氏のお前にいうのもあれかもしれないけど、ちょっと変だろ、あいつ。だから」


 千宮が、人を殺したのかもしれない、って。


 僕は携帯を電源ごと切り、走って部屋に戻った。大きな音を立てるのも構わず、勢いよくドアを開ける。玄関に座り込んだ状態でお風呂場の扉を開けようとしているリリと目が合った。

「あ、おかえり。さあ、観念してわたしと遊ぶのだ」

 彼女がそう言うが早いか、僕の両足がふわりとした感触に包まれる。やたら胴の長い緑色の毛並みのイタチが二匹、僕のくるぶしに巻きついたのだ。よく見ると三和土たたきにあったはずの緑のスニーカーが無くなっている。リリが魔法でイタチに変えてしまったらしい。身動きがとれないまま、強制的に彼らに足をぎこちなく動かされお風呂場の前まで連れてこられる。リリの満面の笑みが僕を出迎えた。彼女が擦りガラスの戸を開ける。


 バスタブの中に、湯船に浸かっているかのような脱力した状態で、女の人が寝そべっていた。


「リリ。もう一度聞くんだけど、これは」

 直面しなくてはいけない現実に、頭を抱える。僕にはリリ以外に、家にあげるような親密な関係の女性はいない。それに僕はこの人の知り合いではない。しかしそれと同じように、この人はリリの友人でもなかった。

「だから言ってるでしょー、昨日拾ったんだって。まー見事に」


 死んじゃってるけどね。


 彼女の腹ににょっきり生えているナイフを差して、リリはまた気味の悪い笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の魔女と生きている僕 大滝のぐれ @Itigootoufu427

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ