不良に恩返し
亜子は翌日の学校で移動教室に向かう途中、理久が一人でいるところを見かける。
――これは二度も助けられた礼を言う絶好のチャンス!
いつでも礼を言えるように、ポケットに缶コーラを忍ばせている。温くなっているのは後で自分で冷やしてもらいたい。
――確認、取り巻きの姿ナシ!
亜子はこの隙を逃すまいと、ダッシュをかける。
「川野くんあのね……!」
こちらに気付いた理久が立ち止まるが、しかしこの大事な場面で、亜子の足はもつれてしまう。
「うおっ!?」
転びそうになるのをなんとか踏みとどまり、数歩たたらを踏む。ヨロヨロした先に、運の悪いことに階段がある。
「……っおい!?」
「あーりーがーとー……」
お礼を言いながら階段落ちをした亜子は、そのまま気を失った。
次に気が付いて目を開けると、白いカーテンと知らない天井があった。
「ここはどこ? 私は亜子」
どうやら記憶喪失ではないことを確認して、寝ていたベッドから起きる。
――あ、保健室かここ。
基本健康体な亜子なので、保健室には縁がない。知らない天井なのも当然だった。
「あのー」
起きたことを保険医に知らせようと閉じられたカーテンを開けると、結構な近距離に雑誌を読んでいる理久がいた。
「ひょっ!?」
妙な悲鳴を上げた亜子に気付いた理久が雑誌から顔を上げた。
「起きたな、人騒がせ女」
理久にジロリト睨まれた亜子は速攻でカーテンを閉めるが、理久の手ですぐに開けられた。
「えーと、何故にここに川野君が?」
まずは基本の質問をと思ったら、「ああん?」と凄まれた。怖くてチビりそうだ。
「目の前で階段落ちしやがったくせに、何故にも糞もあるか!?」
「ごめんなさい!」
怒鳴られた亜子は、思わずベッドの上で正座する。
「お前は、どうして俺が見かけた時はなにかしらのピンチなんだよ!」
「ドジですんません!」
どうやら理久は目の前で落ちた亜子を見捨てることが出来ずに、保健室まで運んでくれたらしい。
「しかも保険医の野郎、留守番押し付けやがって!」
それでも律儀に留守番しているとか、不良にあるまじき真面目さだ。
枕元を見ると、ポケットで奇跡的に破裂を免れた缶コーラが置いてある。
だがこれを開けてみる勇気も、お礼に渡す度胸もない。後でひっそり処分しておこう。
怒鳴ったら落ち着いたらしい理久が、椅子に座り直した。どこかへ行ってくれて構わないのだが。
「お前、平沢だっけ?」
ベッドで正座したままの亜子に、理久が聞いた。
「……そうです、クラスメイトの平沢亜子です」
亜子は名前を憶えられていたことに若干の驚きを覚えていると、続けて意外なことを言って来た。
「お前がこないだ吠えられたあの犬な、もういないから」
「……そうなの?」
あの怖いドーベルマンがいなくなったとは、どこの勇者が退治してくれたのか。理久はすぐにその謎解きをしてくれた。
「飼い主がカッコいいって理由で飼ったはいいけど、ロクに世話をしてなかったらしい。連絡貰って押しかけた警察に厳重注意を受けて、動物保護のなんとかって奴らが犬を引き取って行ったぞ」
――我が天敵は成敗された!
正確には、天敵を放し飼いにしていた飼い主が成敗されたのだが。
飼う能力のない癖に犬を飼うと、様々な方面に迷惑をかけるという見本だろう。
「でも、早かったねー。誰だか知らないけど、警察に通報してくれた人に感謝だよ」
うんうんと亜子が頷いていると。
「……通報っていうか、チクったのは俺だな」
「……は?」
理久のセリフが脳内を通過した。
「あの後家に帰って『クラスメイトが犬に襲われた』って親父に言ったら、すぐにどうにかしたぞ」
ヤクザにチクって警察が来るとは、これいかに。
「お父さん? って何者?」
頭から疑問符を飛ばす亜子に、理久があっさり告げた。
「あ? 親父は刑事だ」
「えぇ!? ヤクザの跡取りじゃないの!?」
叫ぶ亜子に、理久が深くため息を吐いた。
「お前、さてはあの噂鵜呑みにしてるな? 俺がいつも話している大人は親父の部下の刑事だ」
なんと、ヤクザと対極にある人だったようだ。
「顔が怖いのを気にしている人だから、本人の前でこの話はぜってーするなよ」
「り、了解です」
思わず敬礼する亜子だったが、ふと理久が近寄って来て額に触れてきた。
「……!!」
今亜子は、口から心臓が飛び出るところだった。急な接触は止めて欲しい。
「お前、デコがすげぇ赤くなってんぞ。漫画みてぇ」
そんな亜子の気もしらず、理久が額を突きながらププッと至近距離で笑った。不良のくせに笑うとイケメンっぽいとか、どんな最終兵器だ。
――ヤバい、動悸がする、死ぬ……!
その気持ちは口を開ける猛獣の前を横切る小動物のようで、はたまた恋する人の前に立つ乙女のようで。とにかく亜子の心臓がはち切れそうだ。
このドキドキは果たして恐怖か、トキメキか?
「あの川野理久にお姫様抱っこで爆走させた女」として、校内で輝かしい伝説を築いたことを亜子が知るまで、あと三十分。
吊り橋効果もほどほどに 黒辺あゆみ @kurobe_ayumi
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