吊り橋効果もほどほどに

黒辺あゆみ

犬と不良と私


平沢亜子は十七歳、ピッチピチの女子高生だ。成績は平均程度、容姿はそこそこ、友達もそこそこという、平凡女子の見本のようである。

 だがその平凡女子は現在、危機に瀕していた。

「ウゥー……」

目の前に、怖い顔をして唸るドーベルマンがいる。

 現在塾の帰りで、すっかり暗くなった道を歩いていると、見知らぬドーベルマンに待ち伏せされたのだ。

 ――誰だ、ここに猛獣を放した奴!

 涙目でプルプルするしかできない亜子は、大きな犬が苦手だ。世間で人気のレトリバー系も駄目。

 チワワとかミニチュアダックスだと可愛いのに、どうして大きくなると途端に怖くなるのか。

 犬を飼う家は多いもので、ご近所は意外と危険に溢れている。けれどこんな特大級に大きくて怖い犬がいたなんて、全く聞いていない。

 ――勝手に知らない犬が増えてるなんて、詐欺だ!

 亜子の通る道に面する家は、全て亜子の許可をとって犬を飼うべきだとすら思う。

 そんな風に他人の飼い犬事情に文句をつけても、目の前のドーベルマンはどいてくれない。それどころか近付いてきた。

 亜子は餌になるものはなにも持っていないのに、どうしてそんなに唸るのか。

 ――こんなことなら、本屋に寄り道するんじゃなかった!

 実は亜子は、いつも塾が終わると母親に車で迎えに来てもらう。

 だが今日は漫画の新刊を買いたかったので、友達と帰ると嘘を言って迎えを断ったのだ。

 来年には受験を控える亜子に対して最近母親の目が厳しくなり、漫画を買い辛くなったための嘘だった。

 しかし神様は嘘を許さず、こんな罰を与えてきた。

「悪い子でごめんなさい、けど漫画は買っちゃったし、だからどっか行ってお願い!」

誰に謝っているのか意味不明なことを喚いている間も、ドーベルマンは距離を詰めてくる。亜子の脳裏にドーベルマンにガブガブされる映像が浮かんだ。

 ――そんな最後は嫌ぁ!?

「ごーめーんーなーさーいー!!」

亜子が恐怖の涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていると。

「夜にやかましいんだよ!」

どこかから怒鳴り声と、白い物体が飛んできた。

「……!?」

驚き過ぎて声も出ない亜子の横を通り過ぎた物体は、ドーベルマンの前に着弾して弾けた。

「キャン!」

ドーベルマンが驚くが、亜子も驚く。

「まさか爆弾テロ……!?」

「ただの缶コーラだ阿呆!」

思わず呟く亜子の後頭部を、誰かが小突く。いや、小突くというかどつかれたという方が正しく、つまりは痛い。

「死んだ、さっき覚えた英単語が死んだ!」

「だからうるさい! っていうか怯えていた割に余裕じゃねぇかよ」

どついた誰かが隣に立ったので、亜子はちらりとそちらに視線をやる。

「……!?」

そして固まった。

 背が高くて細マッチョ、髪を派手な金髪に染め、目は切れ長で鋭いというか目つきが悪く、厳つい指輪なんて嵌めているのはきっとメリケンサックの代わりに違いない。この男を亜子は知っていた。

 彼の名は川野理久、亜子のクラスメイトである。

 校内の不良の神であるとか、ヤクザにも頭を下げられる次期組長だとか、他にも色々と噂のある男子だ。

 基本一匹狼っぽいが、彼を慕う不良たちがいつも群れを成しているため、怖くて教師も注意できない札付きの悪だ。

「番長だ、この辺一帯をシメてる最恐の不良だ……!」

「なんだよそのダサい言い方、っていうかそう言うセリフは心の中で止めとけよ」

「あ、しまった!?」

心の中で呟いていたつもりが、口からダダ漏れていた。亜子はドーベルマンも怖いが、不良も怖い。

「視界に入ってごめんなさい! カツアゲされても漫画買っちゃったからお金ないです! あ、漫画はあげられません!」

「誰がんなこと言った!? 漫画もいらねぇよ!」

膝に額がつきそうなくらいに頭を下げる亜子に、理久がツッコミを入れた。どうやらカツアゲはしないらしい。

 亜子はこのままの体勢だと頭に血が上るので、そろそろと顔を上げる。

 気付けば、あのドーベルマンの姿がない。

「犬、どっか行った?」

「飼い主のところに帰ったんじゃねーの?」

まだそこいらに潜んでいるかもと思い、キョロキョロする亜子に、理久が告げた。

「あの犬、最近引っ越してきた奴が庭で放し飼いしてて、よく脱走するんだよな」

ドーベルマンを放し飼いとは、世の中には恐ろしい飼育法をとる飼い主がいるらしい。

「放し飼い反対! 人間みな犬好きと思うな!」

「だから、俺じゃねぇし!」

怒りの声を上げる亜子に、理久がデコピンした。不良のデコピンは手加減がない。

「お前、もうさっさと帰れよな」

シッシッと追い払うような仕草をして、理久は去っていった。

 そしてその場に一人残された亜子は。

 ――あれ、私ひょっとして川野君に助けられた?

 今更この事実に気が付いた。


そんな事件があった翌日の、学校の昼休み。

「むーん……」

亜子は渡り廊下から見える体育館裏を、しかめっ面で眺めていた。視線の先にはぼうっとジュースを飲む理久がいる。

 亜子は先日のことを思い出す。

 ――不良が人助けとは、意外なことがあるもんだ。

 助けてもらった挙句、飲むつもりだったであろう缶コーラを一つ駄目にしてしまった。その分の弁償をするべきではなかろうか。

 だがいかんせん不良は怖い。呼び出して改めてお礼を言うのは勇気がいるどころではない。

 お礼をする方法としては、通りがかりを装い、「ありがとうございました」という一言と代わりの缶コーラを渡し、さっさとトンズラする。これが最善のやり方だろう。

 ――でも怖い!

 何故なら目の前で、理久の周りを大勢の不良が囲っているから。あそこに突撃するのは亜子には無理だ。


 そんな悩ましい昼を過ごした日の、夕方。

 亜子は街中を走っていた

 ――ヤバい、塾に遅れる!

 昨日買った漫画を読みふけっていて、うっかり家を出るのが遅くなったのだ。

 いつもは大通りを通っていくのだが、それで間に合わないと思ってショートカットを試みる。

 一本入ったゲームセンターがある道を通れば、信号を三つ飛ばせるのだ。

 だがこの考えが間違いの素。走る亜子の進路上に、男子数名がたむろしていた。

 ――うげっ!?

 他所の高校の制服をそれそれ着崩し、髪を立たせたり茶髪にしたりして、要するに不良っぽい。

 ゲームセンターは怖い男子の溜まり場であることを、亜子はすこんと忘れていた。

 ――昨日から私、ツイてない!

 不真面目が重なったせいで、神様に目をつけられたのかもしれない。

 急ブレーキをかけて進路変更をしようとするが、男子たちが亜子に気付く方が早かった。

「お、あの制服さぁ……」

「アイツの学校じゃん?」

暇つぶしのタネを見つけたと言わんばかりのニヤニヤ顔で、亜子の行く手と逃げ道を塞ぐように動く。ダラダラ動く割に足が早い。これはリーチの差かもしれない。

「お嬢さん、俺らとあそぼーぜ」

「楽しいぞぉ?」

逃げ道を塞がれた亜子は、不良に囲まれ身をすくませる。

「お嬢さんが俺らとちょーっと遊んでくれて、アイツを釣ってくれればいいんだって」

 ――アイツって誰!?

 知らないアイツとやらのために、亜子は人身御供にされるのだろうか。

 プルプルする亜子の腕を、ニヤニヤ笑いの男子の一人が掴もうとした時。

「アイツがなんだって?」

亜子の背後から肩に手が伸びてきて、ドスのきいた声がした。正直亜子はこちらの方が怖くてチビりそうになる。

「やべっ、川野理久だ!」

「もう来た!」

「来るのが早えよ!」

彼らは囲むのが早ければ逃げ足も速かった。

 まさしく蜘蛛の子を散らすように逃げる不良たちに、亜子はポカンとするしかない。

 ――ねえ、今のなんだったの?

 ピンチは去ったようだが、恐怖が去ったわけではない。

「逃げるくらいなら、ハナから妙な事企むなよな」

あっという間に見えなくなった不良たちに、後ろにいた理久が毒づくと、クルリと亜子を回転させた。

「お前な、このゲーセンはああいうヤバいのが溜まってるんだから、近寄るなよな」

不良に指導をされてしまった亜子は、迂闊なのはその通りなのでシュンとする

「以後、気を付けまする……」

近道なんてするもんじゃないと反省する亜子を見ると、理久はなにも言わずにゲームセンターに入って行った。

 ――あ、また助けてもらったし。

 そして結局塾には遅刻した。

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