永遠の雪

雪羅

永遠の雪



――雪の降ったあの夜、私たちは確かに永遠にいた。




 顔の前に広げた両手に、ハァ…と白い息を吹きかける。手袋を忘れてしまったので、手が冷たい。

 二人で淡紅梅うすこうばい番傘ばんがさをひとつ差して無音の京の町を歩く。

 昔ながらの長屋。赤い格子柵。

 雪に埋もれても凜と咲く、白椿。

 すべてを覆い隠し、雪はまだ降り続く。

 みちには雪が積もり、底は見えない。

 日付の変わった、しかし夜明けにはまだ遠い時間。

 二人の他には人影もなく、静寂しじまだけが雪を供に降り積もる。

 みお蒼汰そうたを振り返った。

 ぼんやりしながら歩いていたせいか、彼はいつのまにかずいぶん後ろにいた。

「……ねえ蒼汰そうた

 みおは聞こえないのを知って口を開いた。

「…貴方あなた何故なぜ私を見つけてくれたのかしら。…見つけられたのかしら」

 深い山の、さらに奥深く。鬱蒼うっそうと茂る木々に隠されるように建てられた屋敷。

 彼女はそこで、一生を終えるはずだった。


 屋敷と、屋敷周辺の美しく整備された庭だけが、澪の十六年の全てだった。

 屋敷で口をきかない侍女達に傅かれて。

 住み込みの女家庭教師から手習い、所作からはじまり、漢詩、文学、縫い物など、〝教養〟と呼ばれるものを毎日叩き込まれた。

 息抜きに庭に出るのが唯一の楽しみだった。

 あの日、蒼汰が偶然庭に入り込むまで、外の世界に興味を持ったことなど――まして、外に出たいと思ったことは一度もなかった。



 視線を感じた蒼汰は澪に追いつき、二人は指の隙間をなくすように手をつないで、どこまでも静かな街を歩いていた。

 互いの指先から伝わる以外の温度はなく、降り積もる雪がそのかすかな熱をも奪っていく。

「……ねぇ蒼汰」

 澪がゆっくりと身体ごと隣を振り返る。

 淡い色合いの番傘に雪が積もっていて、なんだかそのまま澪が消えてしまいそうだと蒼汰は思った。そんなはかなさが目に付いた。

「…ありがとう。ここまで連れてきてくれて」

「いいや」とかぶりを振る。

 雪の白さがあっても見通せない、真っ暗な闇の先を、澪は見つめた。

「……ねぇ蒼汰」

 雪よりも小さな声が吸い込まれて消えてゆく。

「……貴方は私を、この先も愛してると言ってくれる…?」

 澪は静かに涙を流しながら問うた。

 蒼汰はそっと手を伸ばして頬に触れる。

 涙の軌跡きせきを指の腹でそっとぬぐい、そのまま顔を上向かせた。

 まだ残るしずくが、きらきらと瞳を照らす。

 双眸そうぼうに自分の姿が映り込んだ。

 両のまなじりからこぼれそうな雫をそっと唇で吸い、見つめ合った後、澪を抱きしめる。

「……ああ…。愛してる。この先もずっと。――死んでも愛してる…」

 熱のこもった声。抱きしめる腕の力が強くなった。

 それとは裏腹に、かすかなささやき。雪が言葉をうずめて、誰にも見えなくしてくれるように。

 だが澪の耳にはしっかりと届いた。

「…ありがとう、蒼汰。約束ね…」

 触れてやっと感じた蒼汰の体温に、澪はそっと顔を埋めた。


 雪が全てを覆い隠す夜。

 ………そこには確かに、永遠があると思っていた。

 でも、雪は溶けたら全てを陽の下にさらして。

 その時までの、束の間の永遠に二人はいた。



 侍女達が起き出してくる寸前に屋敷に戻った澪は、のない自室の窓を開けて外出着の雪を落とし、出かけていたことがばれないように夜着に着替える。

(あ……持って来ちゃった)

 手袋。

 深夜の外の思わぬ寒さに、手に息を吐いてこごえていた澪に蒼汰が貸してくれたのだ。

 澪は狼狽うろたえた。侍女にでも見つかれば大事になる。

 だが衣装箪笥だんすの引き出しの奥にでも入れておけば大丈夫だろうと思った。

(講義もここでやるんだから、侍女達がいじる暇はないだろうし。…それに)

 近くに蒼汰がいてくれるみたいで、嬉しい。

 澪は手袋にそっと頬ずりをして微笑んだ。


 ――この手袋が、全てを晒すきっかけになるなんて、思いもしなかった。




「――お久しぶりです、お祖父じい様」

「お前は、何をやっているんだっ!!」

 翌日。数年ぶりに会った、顔もおぼろげだった〝祖父〟を玄関で出迎え形式的に頭を下げると、開口一番怒鳴られた。

「!?」

 普段口をきかない侍女とかもく黙な家庭教師しか関わりがないので、澪は驚いてたたらを踏んだ。

わしがわざわざ育ててやったものを、台無しにする気か!」

 何事か分からずただ困惑する澪を見て、祖父はあざ笑うように言った。

「ああそうか。お前にはまだ伝えておらんかったな。お前は――」

 澪は続いた言葉に、その場に立ち尽くした。



 自分は本当は名門公家華族・松葉まつば家の庶子であること。

 母親は松葉家の娘だった人で、駆け落ちをして作った〝公に出来ない子〟だということ。

 妊娠が発覚して逃げてしまった父親と、自分を生んですぐに亡くなった母から引き取って育ててくれていたこと。

 時代の動乱で松葉家は没落寸前になっていて、資金援助の代わりに自分が東北の元士族しぞくのもとへすぐとつぐこと…。

 ――澪は蒼汰に、侍女に見つけられてしまっていた手袋を返す暇もなく、東北へと嫁いでいった。



 数年後。東北の長い冬がやっと終わり、庭の梅が咲いて、うぐいすの声が高らかに響き渡る頃。

 澪の元に、一通の手紙が届いた。

 差出人の名前も、住居も無し。

 不審に思ったが、一応開封してみる。


〝元気でやっていますか。

 俺は京の町で自分なりに頑張ってる。

 澪は寒がりのくせに雪が好きだから、東北の地ではしゃぎすぎて風邪を引いていないかとても心配です。


 ……この先もずっと、死んでも愛してる…――。

  澪へ        蒼汰〟


「……っ…!」

 澪は手紙を取り落とした。

 必死に声が出ないように口を押さえる。

(蒼汰……!)

 あの雪の夜のことを覚えていてくれたことが嬉しくて、涙がぼろぼろ零れた。

 最後の一言とその前の間に、蒼汰からの愛がこもっているようで、そっとなぞる。

(………私も、愛してる……)

 澪は手紙を胸に抱いて、ひそやかに口の中だけで呟いた。

 涙をいて顔を上げ、自室に置いた小さな箱を開けた。

 こっそり祖父から取り返していた手袋が顔をのぞかせる。

 その上に手紙を置いて、そっとふたを閉じて。

 こみ上げる気持ちにふうをして、涙をとめる。

 すると、ばたばたと足音が聞こえてきた。

「お母様!」

 三歳くらいの男の子が胸に飛び込んでくる。

「なあに、昌範まさのり

 名前を呼ぶと、腕をぐいぐい引っ張られた。

「きょうはよいお天気ですから、いっしょに出かけましょうって、お父様が」

「あら、いいわね。じゃあ準備するからちょっと待ってて頂戴って、お父様に伝えて?」

 はい! と元気に返事をして駆けて行く我が子を、澪は愛おしそうに見つめた。

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永遠の雪 雪羅 @sela

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