大王

オカワダアキナ

大王

 白い壁にひと筋ふた筋、錆びが流れていた。定礎によればビルは築30年で、相応のくたびれかたをしている。風はつねに潮を含んだ。駅前通りは海岸からほど近い。建物や橋や自転車や、雨ざらしのさまざまが赤茶を垂らした。この町の几帳面な向きはいつも自転車を水洗いし、ビニルのカバーで守る。おれは錆びるたび捨てた。1999年の話です。いや積極的に捨てずとも、鍵をかけずに放り出しておけば誰かが勝手に攫ってくれた。本体をうしなった鍵を処分するのがどうしてか面倒で、かばんの底に放ったまま、極小のナイフと思い込んだ。その気になればこれでなにかを切り裂くことは可能だろうか? 繰り返す、1999年の話です。はたちだった。はたちのあたしのはだしの話。ちがう、これはただの早口言葉だ。


「ノストラダムスの大誤算」

 弟の寄越したチラシは両面カラー刷りで、イラストも文言も躁病気味にみえた。かれの高校はずいぶん熱心に文化祭に取り組む。『第○回△高祭・ノストラダムスの大誤算』。今年はずいぶん素っ頓狂なキャッチコピーだ。アクリル絵の具で描かれたものだろう、まるい地球とバンザイをするひとびとの絵(とても学園祭のポスターには見えない、世界平和を祈るみたいだ)は、なんと弟の作品なのだという。美術部らしい活躍をしている。

「つまりうちの学校は、恐怖の大王が来ないほうに賭けたんだよ」

「そんなもん来るわけない」

「兄貴は本当にそう思ってる? 百パーセント心の底から?」

 弟は片眉を上げて訝った。

 笑わないでほしい、あの頃おれたちは皆、心の片隅にごくわずかな"もしかしたら"を抱えていたのだ。1999年7の月、恐怖の大王が降りてきて世界は滅亡する。ノストラダムスの大予言。大王ってなんだ? 隕石、大洪水、戦争? あまりにもばかげた話だ。もちろん平素はそんなもの意識しない。するわけがない。でもふとした拍子、"もしかしたらぜんぶぶっこわれてしまうかもしれないんだよな(だからどうでもいいんだよな)"とあたまによぎる程度には、呪詛は身体にまとわりついていた。子どもの頃からずっと、ひそかにカウントダウンしていた。1999年。蜘蛛の糸がつう、と指先にねばつく。

 文化祭は9月の第2週だという。弟は厳粛に言った。

「なにごともなければ文化祭がある」

「だろうね」

 おれのバイトする学習塾は古いビルの二階で、上の階は雀荘だ。この町はすでになにごともないやりかたで崩壊している。一階ではつぶれた居酒屋が保育園になった。居抜きだから格子の引き戸がそのままだ。あそこで酔って泣いたことを思い出す。泣いたおれは亡霊になって、今ごろ保母さん——あ、今年から保育士さんっていうんだっけ、ともかく——おねえさんにあやしてもらっている。ゲロだって拭いてもらえそうだ。とっくにぶっこわれている町だ。錆びて崩れろ。

 弟はわざわざ塾におれを訪ねてきた。母親のおつかいだろう。父親とけんかしたおれは同じ町のなかで家出をし、恋人の家に転がり込んでいる。大学もバイトも継続しているのだから、ごくささやかなエスケープだ。塾では中学生に数学を教えている。兄が家を出てから5分後、弟が家を出ました。兄は時速○kmで徒歩、弟は時速△kmで自転車です。弟が兄に追いつくのは何分後でしょうか……。数学は兄が立ち止まることを考慮しない。そう、"ただし摩擦はないものとする"!

「兄貴も遊びにくるといいよ。クラスの出し物でパイ投げ喫茶をやるんだ」

「パイ投げ?」

「一回百円でお客さんにパイを投げてもらう。ストレス発散してねっていうアトラクションだよ。パイって言っても、そういうパーティーグッズだけどさ。でもひとの顔にクリームぶつける機会なんてなかなかないだろうからやりに来なよ。ジュースとかお菓子も売るよ」


 7月、8月、夏はなにごともなく過ぎ、あっというまに9月になった。隕石も戦争もなく。暑いのでサンダル履きのまま過ごした。VHSのビデオを借りて・返すのに忙しかった。

 雨が多い。錆びが広がる気がした。成功体験にしたがい、だめになりつつあった自転車を駅前に放置した。少しずつ忘れようと思った。忘れるのは得意だ。絶交した友だちのこと、好きだった女の子のこと、落とした単位のこと、父親に殴られたこと。

 大学の夏休みは9月いっぱい続く。夏期講習シーズンが終わればバイトもヒマで、そうなると弟のパイ投げとやらを見学しに行ってもいい気はした。恋人も行きたがった。

「文化祭って行ったことないから、興味ある」

「高校になかったの?」

「あったんだろうけど授業も行事もほとんど参加しなかった。よく卒業させてくれたと思うよ」

 公立高校だったし出席日数の概念がイイカゲンだったんだろうねと笑った。

「教室でじっと座っていると身体が錆びつく気がしたな。それなら高校なんてやめちゃえばよかったのかもしれないけど、そこまでの勇気はなかった」

 彼女は28歳で、おれが労働する学習塾の向かいのビルに勤めている。社交ダンスの教室で講師をしている。通りをはさんで向こう側、夜になると踊っているのが見える。踊る阿呆に見る阿呆と彼女は言う。故郷は遠いらしい。明かりの灯った窓は細長いステージだ。おれにはワルツもタンゴもさっぱりだが、鳥の首みたいにすうっと伸びる腕がきれいだなと思う。ホワイトボードに三平方の定理を殴りつけるじぶんの腕とあの白いなめらかが同じ成分だというのだから、にんげんは幅広すぎる。彼女はときどきこちらのビルに麻雀を打ちに来た。ビルの階段で何度かすれちがううち声をかけ、仲良くなった。おれは役すらよく知らないが、たぶん配牌がよかった。


 弟は女装していた。

「こんちは」

 恋人とは初対面で、きちんとはにかんでみせている。ミニスカートのメイド服がそうさせるのか?

「パイ投げてくでしょ、面白いよ」

 紙皿にスポンジが貼り付けてあり、まっしろなクリームをぼてっとのせた。なるほど、たしかにパイのように見えた。

「ほんもののお菓子じゃないんだね」

 恋人は残念そうに言う。

「不景気ですから」

 弟ならびにそのクラスメイトはへらへら笑った。CDデッキからチャンバワンバのタブサンピングが流れていた。

「じゃあ遠慮なくどうぞ!」

 当てられ役というのだろうか、おおきな身体の男の子が穴あき看板から顔と手足を出した。動かないようにしていますからどうぞ投げてくださいとでもいうポーズだ。恋人は振りかぶって顔面にパイをぶつけた。投げるというより衝突だ。そのまま顔にぐりぐり押しつけた。

「うわあ、うわあ」

 慣れているといったふうで男の子はうめいた。ぐじゅぐじゅ音がした。くだらねえ。

「どうしよう、楽しい」

 しかし恋人は目を輝かせていた。上気した頬はピンクだ。

「兄貴もやんなよ、お祭りなんだからさ」

 紙皿はクリームでぼってり重い。口に入れても問題ないらしい。投げるためにつくられたクリームなのだそうだ。東急ハンズで買ったという。東急ハンズにはじつにいろいろなものがある。

 べっ。ぶじゅ。

 瞬間、あらゆることが走馬灯だった。中学のとき、まったくシリアスな話ではないが腹をどつくのが流行ったこと。しゃっくりを止めるには腹を殴るのがいい、しゃっくりは横隔膜の振動だから殴れば止まる、担任が冗談で言ったことが流行った、しゃっくりをするたびどつきあった、どす、どす、と、だからぜんぜんシリアスな話ではない、でも痛い、痛いのは怖い、それ以上にじぶんだけ痛がるのが恥ずかしい、息を止めてしゃっくりをがまんしていたら何かのまちがいで過呼吸になった、病院に運ばれた、父親に情けないと言われた、高校はとおくに通った、誰も殴り合わない、それはそれで視線が刺さる、何をしていても、そういうわけで十徳ナイフをかばんにしのばせていたら持ち物検査で引っかかった、父親に情けないと言われた、大学は誰としゃべったらいいかわからないうち自主休講が増えて単位がこぼれ落ちた、父親に情けないと。言われた。留年したら許さないと。ひっぱたかれた。

 ぶじゅ。

 この世にこんな気持ちのいいことがあるとは思わなかった。恋人と目を合わせて笑いあう。彼女が何を考えているのかわかった。互いに口には出さないが、こんなの、セックスよりよっぽど。

 教室ではボウリングを投げるみたいに何列もパイ投げが行われていた。老いも若きもクリームをぶつけて・ぶつけられて笑っていた。片隅で女の子たちがジュースを売る。たしかに大誤算だ。人類はこのように暴力を楽しむ。


「きみは高校時代って楽しかった?」

 帰り道、恋人が歌うように尋ねた。おれもそのように答えたかったが歌は苦手だ。

「大学のほうが楽しい」

「全然行ってないくせに」

「まだ夏休みなんだよ」

 夕方から受け持ちのレッスンがあるらしく、ビルの前で別れた。通りをはさんで向こう側、彼女は踊り、おれは数学を板書する。踊る阿呆に見る阿呆。パイを投げたから、おれだって踊った。いずれにせよ阿呆だろう。上の階ではジャラジャラ鳴っている。

 身体が錆びつくってどんなふう? さっき恋人に尋ねてみたのだ。

「酸化していく、空気と仲良くなりすぎる、身体が独立しなくなる気がする。競技ダンスはパートナーと踊るしひとと一緒に立つものだけど、身体がひとりを保てなくなると動かない、錆びてすり減る。そんな気がした。教室じゅうの人のことが、町中の人のことが疎ましかった」

 駅前を通ったさい、おれの自転車はまだあった。早く誰か盗んでくれねえかなと思う。かばんの底でこつんとかたい音がした。鍵が転がったのだろう。いざというときはこれがナイフだ。ナイフにできる。おれはひとの顔になにかをぶつけることが気持ちいいことを知ったから。許せないやつのことはぶっころす。7月、たしかに大王は降りてきていたのだ。ゆっくりゆっくり酸素と結合して身体を変質させてゆく。錆びと同じだ。おれにも恋人にも、大王は含まれる。みたび確認しよう。1999年だったんだ。1999年だったんだよ。祭りのさなかにいたんだ。


 そうしてあれから18年経って、白い壁のビルはもうない。区画整理にひっかかったためだ。錆びて崩れる前にただしいやりかたで解体された。赤茶に錆びが流れた橋は塗り替えられた。弟には娘がふたりいて、彼女はべつの町で踊っているらしい。おれの知らない誰かととっくに結婚している。そこになんの誤算もない。"ただし摩擦はないものとする"!

 さいきん自転車等を錆びさせないための、いいくすりを買った。東急ハンズで買った。そういうわけで何も垂らさずに済んでいる。スマートフォンで麻雀をする。

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大王 オカワダアキナ @Okwdznr

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