泣いてるフリなんかよせよ。嬲られて嬉しいくせに。違わないだろう? お前はお前の地獄になったんだ

 お前は自分の右手と左手の手のひらが打ち合うのを感じる。

 パチ!


 お前は両手の間で潰された空気が破裂する音を聞く。

 パチ、パチ!


 控えめなその音は、まだ越してきたばかりで物の少ないリビングの床や壁や天井に吸い込まれてゆく。


 パチ、パチ、パチ!


 言うなればこれは、カーテンコールをねだる拍手。


 野獣は王子へ戻り、ロミオとジュリエットは死に、ドロシーはカンザスへ帰った。

 各々の相応しい結末へとたどり着き、舞台の幕が降りた後も鳴り止むことなく続くスタンディングオベーションの拍手。

 幕の隙間から今一度、エクス・マキナなデウスの再登場を願う柏手だ。


 お前は自分が拍手を続けながら、ジョニーウォーカーのラベルの男のように大股でリビングを突っ切り、ベランダに続くテラス戸に向かうのを感じている。

 足の裏に触れる無垢材の床の冷たさと、心地よい凹凸。

 リビング中央に敷かれたラグの柔らかさ。

 それをお前は確かに自分の体で感じてはいる。しかし、全ての感覚が鈍かった。それがお前にいよいよ終わりが近いのだと悟らせる。

 テラス戸を覆い隠すカーテンを開けると、暗い窓に自分の姿が反射した。

 お前はその姿をもう自分だとは思えない。これっぽっちもだ。

 窓に反射した男が浮かべる穏やかな微笑みにすら、お前は恐怖と嫌悪感以外に何も感じない──今の所は。

 間も無く、お前の恐怖と嫌悪は、押し寄せる圧倒的多幸感の前に膝を折ることになる。


 お前はテラス戸の鍵を開け、ベランダに敷き詰められたウッドパネルに一歩、足を踏み出す。

 お前の頭の中に昔「美の巨人たち」か何かで観た、ドガの絵画が浮かび上がる。

 今まさにステージに飛び出したバレリーナと、それを舞台袖から見つめる男の影の絵。


 お前はあのバレリーナに自分自身を重ねることはできない。もはやお前の出番は完全に終わったからだ。

 お前はあの絵に描かれてはいない存在だ。

 あの美しいバレリーナと入れ替わりで舞台から降りた、真打ち登場までの場つなぎの道化。

 それがお前だ。

 お前は自分が窓を閉め、ベランダの手すりに両手を置くのを感じる。

 お前はもはや、感じることしかできない。


 お前の目は不動産屋が「都内にはいい物件がたくさんありますが、夜景は間違いなくここが一番ですよ。毎日見ても絶対に見飽きません」と熱を込めて勧めてきた夜景を見る。

 確かに夜景は素晴らしかったが、お前はそれを少しも楽しめない。

 お前はこのベランダが、お前にとっての処刑場だということを理解している。

 お前はすでに死んだも同然だが、今夜ここで、その死は決定的なものとなる。

 お前はそれを理解している。お前の処刑人がその手を決して緩めないということも。どのような懇願も無駄でしかないということも。


 お前はいつだったか駅ばり広告で目にした、絵画を思い出す。

 目隠しをされた若い貴婦人が、自らの首をはねるために用意された斬首台を手探りで探している絵だ。

 あれは「レディジェーングレイの処刑」と言う絵で、広告には大きな文字でただ一言、こう書いてあった。


 「なぜ?」


 お前がかの貴婦人を思い出したのは、自らの境遇をあの絵に重ねたからだが、それはあまりにも図々しいだろう。

 ただ巡り合わせが悪かっただけの例の女性とは異なり、お前の処刑はすべてお前自身が招いたことだ。

 お前は自ら進んで13階段を上り、首に縄をかけた。

 そして今になって突然、「なぜこんなことに!」と喚きだしたのだ。

 これが見苦しさでないなら、この世のどこにも見苦しいものなどない。

 お前の見苦しさに比べれば、病に侵され、血の混じった糞を垂れ流す、緩んだ豚のケツの穴ですら、舌を入れたキスができるほどに美しい。

 だが、お前は「なぜ?」と自分に問い続ける。


 「なぜ」のあとにランダムでお好きなものが続く。

 なぜ──

 こんなことになってしまったんだ(43%)

 あの時、鍵をかけわすれてしまったんだ(14%)

 電話が通じなかったんだ(14%)

 彼女は薬のことを知っていたんだ(29%)


 お前1人では答えにたどり着けるはずもない様々な疑問と疑念が浮かんでは消え、浮かんでは消え、また浮かぶ。

 お前は藁にすがるように、それらの「なぜ」を掴み取る。


 ──なんでもいいから考え続けろ、なんでもいいから感じ続けるんだ──


 お前はそんな風に考えている。

 お前にとって考え続けることは、最後に残った蜘蛛の糸だからだ。

 無論。

 カンダタと同じく、上りきれはしないだろうが。


 しかし、考えても、考えても、お前の思考は1つにはまとまらない。

 1つのことを考えている途中で、全く別のことを考え始めてしまう。

 かと思えばまた元の思考に戻り、また離れる。

 次々とテレビのチャンネルが切り替わるように? 

 いいや。少し違う。


 ツイッター中毒者の分裂気味のTLに近い。

 炎上ツイートを引用して自分ではモラルが高いと思い込んでいる稚拙な私見を述べた3秒後には、包丁のいらないレンジだけでできるレシピをシェアし、どこかで誰かが飼っている豆柴のケツがリズミカルに揺れるgifにリプライをつけ、日本未公開のホラー映画のゴアシーンをRTしては、#聞きにくいことをなんでも聞いて と自己アピールを繰り返す。

 秒刻みでコロコロ話が変わる。どの話題にも終わりはなく、結論もなく、ただただ思いつく言葉だけが垂れ流される。

 まるでマインドストーム。

 お前の思考回路はそういった感じだ。


 お前の頭の奥底にある「いいね」を開けば、お前お気に入りのエロ触手が挨拶してくる。

 お前が思っているよりも、お前の「いいね」は外に漏れているが、お前はそれに気がつかない。

 お前はいつも、間が抜けている。抜けていないところがどこにもない。


 パチパチパチ。


 真夜中に拍手が響く。

 ベランダには、男がただ1人。


 お前は自分の顎が上下に動き、舌が弾け、喉が震えるのを感じ、そして自分の声を聞く。

「始めよう」

 生まれた時からずっと聞いてきた耳慣れた己の声を、お前は恐怖を持って受け止める。


 お前はお前が辿り着くはずだった未来について考える。

 それから、お前がどういった人間なのかについても考える。

 お前は「いいや。力ずくで考えさせられているのだ」と思うが、それはさして重要なことではない。

 未来とは言っても無論、言うまでもなく。

 名前を入力するだけでお前の前世や来世や、異世界に生まれ変わった場合の職業を教えてくれる占いが知らせる類の未来ではない。


 お前という人間についての話とは言っても無論、言うまでもなく。

 「あまり時間をかけずに直感で選んでください」という前提条件の元。

 108の質問に「はい」「どちらかといえばはい」「どちらかといえばいいえ」「いいえ」の4つの選択肢から当てはまるものを回答すれば、自分が238種類の性格のどれに当てはまるのかを教えてくれるようなタイプの話ではない。


 お前はこの手のお手軽な診断で限りある時間を溶かすのが大好きだった。

 44分もの時間を108の質問に「はい」「どちらかといえばはい」「どちらかといえばいいえ」「いいえ」の4つの選択肢から当てはまるものを回答するという生産性などカケラもない愚行で溶かしたことすらある。

 それだけの時間があれば、いつから敷きっぱなしなのかを思い出そうとする度に脳がフリーズする、人脂が染みてすっかり黄ばんだ布団も、黒くなった油が鍾乳石のようにプラスチック製の青いハネから垂れ下がっている換気扇も、部屋のすみに積み上げられてゆくお気に入りの漫画の最終回や下書き状態のハンターハンターが掲載された古いジャンプもどうにかできただろうに。

 お前はやるべきことと、やりたいことの区別がつかないばかりでなく、やるべきことをやらないために、やりたいとも思っていないどうでもいいことを優先させてきた。

 試験前になると本棚を整頓し始めて、あげく漫画を読み始めてしまった子供の頃から1つも進歩しなかった。

 一事が万事、お前はそうだ。


 やるべきことをやらないまま、お前はハーバード大学人類脳神経学部で教鞭をとっていたマイケルだかジョージだかパトリックだとかいう、現代社会におけるローマ人の1人が、つまり、選ばれしスノッブの民の1人がユング心理学に独自のアレンジを加えて作り出したという108の質問に答える道を選んだ。

 アプリの序文によるとその108の質問は、全米の精神科医たちの聖典、かのDSM-W5の元になったとも言われており、人間の3つの人格、つまり外向きの人格・自分で自覚している人格・自分でも他人でも気がついていない人格をあぶり出す代物ということだった。

 そんな大それたものが空欄にアカウント名を打ち込んでアプリ連携を承認して質問に答えるだけで手に入るわけがない。

 しかしお前はスマホを手に取るとスワイプ、タップ、連携、ツイート、いいね、リツイートを自動的に繰り返す習性を持ったSNS時代のチンパンジーだから、当然、全て画面の中の指示通りに動いた。

 お前の知性はスマホに吸い出され、クラウドの遥か高みへと登っていったのだろう。


 お前は本当にバカだ。

 はい(60%)

 どちらかといえばはい(40%)

 どちらかといえばいいえ(0%)

 いいえ(0%)


 アカウント名を打ち込み、連携を承認、44分の時間を溶かして「あなたの人格はINPS-WMVV型です」から始まる自動制作作文をお前は読み込む。

 お前は情熱的かつ冷静沈着な天才型の努力家。

 孤独好きの社交家。右翼すぎる左翼あるいは左翼すぎる右翼。無口で多弁。真面目な努力家で怠惰な快楽主義者。冷静沈着な公務員タイプで犯罪者すれすれの現代アーティスト。ネガティブでポジティブ。

 そのように分析される。つまり何もわかってないのと同じだが、お前は「ああ、俺ってそういうとこあるから」と楽しみ、TLにお前のクソみたいな自動作成自己紹介を垂れ流す。


 いずれにせよ、片手で数えられる程度の「いいね」のために、お前は貴重な個人情報を明け渡す。

 ハーバード大学に人類脳神経学部など存在しないし、マイケルだか、ジョージだか、パトリックだかいうスノッブも存在しない。だいたいDSM-W5なんて本もない。つまりは全てデタラメだ。

 お前はアカウントを乗っ取られ、いかがわしい謎の健康食品の宣伝ツイートをするクソみたいなスパムアカウントに大変身。アプリ連携を解除するのに無駄な労力を使う。


 お前がどういう人間かについて、お前にはこれからじっくり振り返る機会がある。

 だからお前という人間の人となりについて考えるのはここまでにし、お前はお前の未来について考え始める。

 お前の未来についての話は、アプリ連携のこういった与太話とは一線を画する。


 これは過去から現在に至るまでの、お前の行動を分析した結果導き出された、お前という人間の人生がどういったエンディングにたどり着くかという問いに対する緻密な予想図であり回答だ。

 つまりお前x34年=XのXに当たる部分と言える。


 アブラカタブラ。ビビデバビデブー。オープンセサミ。

 お前のXを証明するのに魔法の言葉は必要はない。

 星々の輝き。きらめく水晶玉。動物の骨で作った12面ダイス。

 お前のXを証明するのに魔法のアイテムは必要はない。


 お前のエンディングは、お前を一目見ればわかる。

 バッドエンドだ。


 人生80年とするのであれば、お前はすでに1/4をとっくに過ぎている。

 「これは長く続くチュートリアルなんだ」と思っているうちに、お前の20代は終了した。

 デモムービーを見る感覚で生きてきたので、コントローラーをいじろうとすらしなかった。メタルギアのファンだとは思えない愚行だ。

 全く同じように、お前は30代を、40代を、50代を何のアクションも起こさないまま終了する。

 当然の話だ。20代に動けなかった人間が、どうして30代になって動ける。30代に動けなかった人間が、どうして40代になって動けると言うんだ?

 毎日15分のウォーキングをしてこなかった人間が、ロングウォークで勝てるとは誰も思わないのに、なぜかお前は、どういうわけかお前は、いつだってなんだって取り返しが付くと思っていた。いいや、本当は取り返しがつかなくなりたかったんだよな?

 いずれにせよ、お前が30代だろうと80代だろうと、行き着く先は同じだ。


 一番可能性が高いXについて、お前は幾度となく想像した。

 つまりはこうだ。


 お前は月々の家賃が2万以下の安アパートの畳の上に、肉体のシルエットを写し取った腐食跡を残して死ぬ。

 溶けた脂と腐液で作ったお前の人拓、特殊清掃員の飯の種がお前がこの世に残す唯一のものだ。

 部屋と呼ぶよりは巣と呼ぶに相応しい部屋の中で、底にスープや香辛料がこべりついた三流メーカーのカップ麺の用器の側面にプリントされた子豚のコックさんのつぶらな瞳に見守られながら、お前は死ぬ。

 最後の瞬間、お前は強烈な喉の渇きを感じ、氷を欲する。最後の言葉は「氷」になるだろう。

 だがその望みは叶えられはしない。乾いたままお前は死ぬんだ。

 お前の父親を殺したのと同じ病がお前の肉をかじり取ったのか、あるいはお前の祖母を殺したのと同じ蜘蛛がお前の脳みそにしがみついたのかは明らかにされない。

 なにせお前がお前の巣穴からディスカバリーされるのは、お前の心臓が動かなくなって3週間は過ぎた頃だろうから。

 お前の臓腑はゴキブリたちに大好評のビュッフェとなる。決して少なくはない数の虫がお前の腐肉に卵を産みつけるだろう。お前は虫どもの愛の営みの産物の1つになるんだ。

 お前は実際のところ童貞のまま死に、死後に無数の虫に輪姦されて処女を失う。

 お前の隣室に暮らす異国からの留学生は、大家に再三「隣の部屋から変な臭いがする」「隣の部屋の新聞の受け取り口から、大量の蝿が飛び出した。それに隣の人をしばらく見てない」と訴えるだろう。だが、大家は面倒臭がって中々重い腰を動かさない。彼を責めるのは簡単だろう。重度のリウマチを患っていて、ものを掴むのすらなかなか大変であるということを知りさえしなければ。


 いずれにせよ、お前は「孤独死」という3文字で括られる死体になる。

 現代日本社会の抱える闇を表す、無数のアイコンの1つだ。

 市役所の職員のロッカーの中に押し込まれ、そのまま半年近く忘れられる無縁仏。お前はその素材になるために生まれた。

 お前は出来の悪い民放のドキュメンタリーに引きずり出される。お前の名前は伏せられ、顔にはモザイクがかけられるが、お前の腐食跡だけは「※このドキュメンタリーにはショッキングな映像が含まれます」のささやかな注意喚起の後にお茶の間に晒される。もちろんそれらは即時にトゥゲッターにまとめられ、お前は「俺もいずれこうなりそうで鬱だわ」だの「途中辛い映像もあるけど必見のドキュメンタリー」だのと好き勝手にほざくアニメアイコンと動物アイコンと海外俳優アイコンに突き回され、連中の5分程の手頃な娯楽の一部になる。虫どもに輪姦されたお前は、今度は「社会的な出来事に関心を持っている、勉強はできないけど頭はいい知的な私」を装うSNS中毒のアイコンたちの玩具になる。

 お前は、お前が生きている間は誰1人としてお前に関わろうとしなかった連中の「私は社会的なできごとに強い関心を持っている知的な人間なんザマスかき」の道具になる。スピリチュアルエネマグラか、マインドファックTENGAか、ポリティカルコレクトネスピンクローターに、お前はなるんだ。ペペローションはお前の死体に撫で付けられる香油となる。

お前はアカウント名の最後にエビマークをつけてるようなツイッターインテリ仕草腐れ論客どもがTLに投じる石になる。そして川底に沈んでゆくんだ。ぶくぶく。

 お前が積み重ねてきたカップ麺とコンビニ弁当の空容器と、最後まで捨てられなかったお気に入りの漫画の最終回が載ったジャンプと、最後の瞬間まで枕元で充電を続けていたナース姿の椎名林檎に蹴りでも入れられたかのようなバキバキのスマートフォンが画面に映し出され、お前は様々な言語で「あんな風にはなりたくないな」と憐れまれる。


 これがお前の行き着くはずだった未来の中で、一番優しいエンディングだ。

 畳と壁と屋根のある場所で死ねる。最後まで飢えることはない。お前には身に余る幸福だ。贅沢すぎると言ってもいい。

 

 こんな未来予想図を、お前は表向きは辛そうなふりをして受け止めながら、裏では性的な興奮と言っても間違いではない快感によって背骨を震わせ受け止めてきた。

 お前は自分が滅茶苦茶になって崩れて死ぬのを、実際、心待ちにしていた。酸を含んだバッドエンドの雨を浴びて、ドロドロに溶けてしまいたいんだ。お前は。

 「俺はどうしょうもない、何もできない、クズなんだ。だから、何もできなくても当然なんだ」というお前の信念を、バッドエンドでもって肯定してほしかったのだろう。

 お前は嬲られるのが大好きだ。

 お前は世に溢れる「お説教」が大好きだ。

 お前は圧倒的な強さを持った何者かに踏みつけにされ、「お前はダメな奴だ」と罵られるのが大好きだ。

 お前には些かマゾじみたところがあるが、それは特別なことではない。お前と同類のマゾもどきは幾らでも世に溢れている。ダイソーかスリーコインズかセリアかあるいはフライングタイガーにでも並ぶのがお似合いの、大量生産され、消費される、どこかでみたことあるデザインのパクリのパクリのさらにパクリのごとき、引用の、引用の、そのまた引用のごとき、すでにどこかのメーカーが発売しているが大手量販店でも名前とパッケージを変えて安価で売られることになる菓子類のような、THEプライベートブランドマゾ野郎。お前はその1人だ。

 白っぽいシンプルなパッケージと統一されたロゴとキーカラーで陳列される存在。


 自分と似たところのある主人公が延々とダメぶりを晒して最後には死んでゆく漫画や映画や小説やアニメを、お前は自分の人生の代替えにする。

 自分自身が本当に嬲られるのは嫌だから、自分と同じ苦痛を抱えたキャラクターが嬲られるのをみて「あれは俺ではないから」と安心する。安全圏で自分の苦痛を傍観し、なおかつ、「俺の苦痛を苦痛だとして描いてくれるこの作品は優しいなぁ」なんて上から目線で思ったりもする。

 自分に似た架空の存在が嬲られることで、痛いところを指摘されることで、自分の中に溜まった膿を外に出せるかのようにお前は感じる。お前、さてはバカだな。

 「染みる目薬の方が効果がある」と盲信して無意味に刺激的な薬を選ぶクソマヌケと同じ祈り。

 「痛い方が効くから」とマッサージ師に力を込めるように要求するクソマヌケと同じ祈り。

 痛みはただの痛みで、それ以上でもそれ以下でもないということをお前は認めようとしない。

 お前は自分が作り上げたなんらかの空想上の存在と取引をしようとしている。

 「苦痛に耐えたのだから、いいことがあるはずだ」とお前は考える。それはただの妄想でしかないのに、気がつきもしない。

 お前は誰と取引をしている。お前のテーブルの向かい側には誰もいやしない。

 ただお前。お前だけが座り続け、カードをテーブルに並べている。

 お前は「自分はダメな奴だという自覚があるのだから、自分はダメだという自覚がない奴よりはマシだ」と考える。

 胸を刺す自己嫌悪の刃すらも、お前は「ちょっと強めのマッサージ」程度に軽くしようとする。

 つまり最初から何一つ、向き合うつもりがない。

 お前は「俺ってこんなにダメで、救いようがなくて、クズだ」と思っているふりをして、さも自己嫌悪で胸が潰れそうなふりをするが、実際、本当は、何も感じてはいない。

 全てが他人事だ。お前は自分自身を受け止めることすら、自分自身の苦痛すら、自分以外の架空に任せた。


 「俺は確かにクズだけど自覚症状があるだけ自覚症状がないクズよりもまし」


 お前はお前として生きるしかないのに、他人を引っ張り出してどうするつもりだったんだ?


 だから、お前は人様にご迷惑をおかけしながら生きて、人様にご迷惑をおかけしながら死ぬ。

 お前は年月とともにますます孤独になり、ますます心が硬くなり、ますます救いようがなくなり、いずれ鏡を見て気がつく。

 自分が小学生の頃に町で見かけ、目を反らし、避けて通った「変な人」に、自分自身がなってしまったことに。

 ゴミ捨て場をいつもうろついて大声でビックカメラのテーマを歌っている汚ねぇババァ。

 公園のベンチに座っていて、子供が通りがかると 「10円ちょうだい」とはなしかけてくるジジィ。

 駅のトイレでなぜかフランスパンをかじるサラリーマン。


 そういった妖怪じみたものにお前はなった。

 

 だから、お前の行き着く先は「誰に知られることもなく気がついたら死んでいた、町に1人はいる変なおじさん」以外にはなかった。

 それがお前の運命だった。

 お前自身が欲望し続け、目を反らし、しかし激しく求めてやまなかったお前の終着地だった。

 そのはずだった。


 だが、お前はその運命を回避した。

 

 お前は再び、自分の口が言葉を発するのを感じる。

 甘く、誘惑するような声はお前が今まで一度として出したことがないお前の声だ。

「K-5087」

 それがお前の未来を変えた。


 なんにせよ、お前の運命は本来の軌道を外れ、お前は今、こうしてまだ、ここにいる。

 少なくとも、あとしばらくの間は。


 そうして今。

 そうしてお前は、34歳。


 34年かけて、お前は変なおじさんになった。




 まともになりたいか?


(自分ドロップ 第1話「変なおじさん」に続く)

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自分ドロップ 千葉まりお @mario103

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