第21話ACT FINAL「星屑の物語」
「忘却の世界から亡命権を得たのは一名の人魚です。彼女は付随物である他の人魚と共に別の物語への特権を許すことになりました」
ナインは滞りなく人造天使に報告する。人造天使は、『ご苦労』と今も同期されているであろう物語の情報網をさばくのに忙しい。
『その世界、新しい物語世界を〝人魚姫〟と命名。核となる主人公の名をアリエルとする』
人造天使の命は絶対だ。今の一言で物語が新しく構築される。ナインは惑星のように浮き上がっている物語の一つが追加されたのを目にした。まさしくビッグバンのように光が広がり、小さな白色矮星の物語がまた一つ。
『剪定者ナイン。疲れているだろう。百時間の休暇を命ずる』
ナインはしかし引き下がらなかった。人造天使ゼルエルは怪訝そうにする。
『どうした? 下がっていい』
「畏れ多きことながら人造天使ゼルエル様。俺は一つだけ、明確にしなければならないことがあります」
『何か。必要なことのみ述べよ』
腹腔に響き渡る人造天使の声にナインは腹部を押さえて口にした。
「あの時、事象の歪曲が行われました。俺が、剪定者ナインが死んでいるはずだった事象が歪められ、瞬時にテラーの消滅へと書き換わった」
『確証はないだろう?』
「いいえ。俺のこの傷が証明です」
ナインはコートを捲った。腹部に銃創がある。フック船長の銃によってつけられた傷だった。咄嗟の事象の反転だ、直前の怪我までは騙せない。ゼルエルは、『何が言いたい?』と重々しく訊く。
『テラーを倒せ、そう命じたはずだな。その命を果たした。それでいいではないか』
「何も。人造天使ゼルエル様、何も解決しておりません。テラーを倒す、でしたね。果たしてテラーは本当に倒されたのでしょうか? テラーは、〝倒す〟ということができる存在なのでしょうか?」
ナインの疑問にゼルエルは沈黙を返す。ナインはそのまま捲くし立てた。
「もし、俺がテラーと事象の歪曲で存在を反転されたとすれば、俺もまたテラーなのではないでしょうか。そもそもテラーも剪定者も、倒すことなどできないのではないか、と思っています」
『根拠は?』
「物語の黎明期より剪定者は存在する。それと同時期にテラーの出現が確認された。これは閲覧許可の下りた情報でしたよね? 俺は最初、剪定者という白血球があるからテラーというガン細胞があるのだと、光があって闇があるのだと考えていました。ですがもし、それが逆だとするのなら? つまりテラーが光で、我々が闇であった、とするのならば?」
ナインの言い草にゼルエルは罰するでもなく聞いている。この人造天使の間ではベルの権限は剥奪され聞かれることはない。だからこそ自分は話している。
「テラーは、俺に言い聞かせました。あの、現実でも物語でもない中間の世界で、語り部であることと、可能性という光が生み出す存在であることを。その時はピンと来なかった。でも今にして思えば、あれはテラーが自分自身のことを言っていたのではないか、と思うのです」
『可能性こそが自分だと?』
ようやく口にしたゼルエルにナインは首肯する。
「可能性の枝葉を切ることが、正しいと思っていました。ですが、それは誤りだったのでは? いや、誤りというのは違う、終わりのないいたちごっこなのではないか、と感じました。何故ならば誰かが物語を見聞きした瞬間、その時から可能性は発生するのです。たった一人でもいい、物語が一つ存在すれば一つの可能性が出現する。それはきっと誰にも止められないのです」
子供たちの横顔を目にした。その時の子供たちは誰一人として同じ顔をしていなかった。誰一人として同じように物語を受け止めるわけではないのだ。
『では剪定者ナイン。物語の可能性を摘む行為は間違っていると?』
「いいえ。増え過ぎた可能性はいずれ切らなければならない。無限にあった解釈は絞られなければならない。他の誰でもない、大人の手によって。永遠の子供であることなどできないのです」
人造天使は機械の翅を広げて情報網を読み取っている。その姿にナインはある人物を読み取った。
「どうして、ウェンディは世界を渡れたのでしょう。彼女は永遠の子供ではないはずです。ピーターパンの物語だけ閲覧されなかったのはどうしてなのでしょう。あの世界には確かに、海賊も人魚もいたというのに」
『何が言いたい』
ナインは人造天使へと目線を投げて言い放った。
「俺がピーターパンなら、ウェンディはどこへ行ったのでしょうか。ピーターが剪定者となり〝無慈悲な大人として〟可能性を摘み取るのならば、ウェンディは? 彼女がいるとするのならば、今はどこでしょうか。彼女もまた大人になったのでしょうか?」
ナインは人造天使を見据える。人造天使は瞼を上げた。空のように澄んだ青い瞳がそこにあった。
「人造天使ゼルエル様。いいえ、あなたこそが、オリジナルのウェンディなんですね?」
その言葉に人造天使は初めて表情を作った。笑みの形に吊り上げた口元を手で覆う。
『いつから分かっていたのか、聞かせてもらえる? ピーター』
「最初におかしいと思ったのは、体温です」
体温、と人造天使――オリジナルのウェンディは繰り返す。
「あの世界のウェンディの手を掴んだ時、体温がなかったんですよ」
体温のないのは剪定者だけだ。そうでないとすれば、さらに高次の存在ということになる。なるほど、とウェンディは納得する。
『あの世界で、あなたに出会う時間を合わせるために急ごしらえで創った躯体では、体温の有無まで確認する暇はなかった』
「もう一つは、ウェンディの存在を契機にしたように全員が俺をピーターだと言いはじめたこと。俺自身もピーターと自分の境目が曖昧になり始めていた。そもそもどうして俺がこうまでしてフェアリートリップに関心を持っていたのか。ただの妖精の粉を利用した麻薬程度に。あなたは理解していた。俺の基が、ピーターパンであるのならば彼女の」
ナインは目線を振り向ける。発言権を奪われたベルが浮かんでいた。
「――ティンカーベルの魔法の粉が利用されることを快く思わないことに」
無意識下。それも自分の素体の部分だ。ナインの声を否定するでも肯定するでもなく、『難しいと思っていた』とウェンディは応ずる。
『完全にフェアリートリップの関心を消すことは』
「妖精の粉を撒いて、どういうつもりだったんだ?」
『誘導しているつもりはなかったの。ただあなたの側が引き寄せたということ。消し切れないあなたの自我が、無意識に引き寄せた結果なのよ』
ナインは頭を振った。
「……俺自身も、まさかそういうことだとは思わなかった。ウェンディ。テラーが教えてくれた。剪定者は、何かしらの物語の主人公の、成れの果てなのだな?」
『あなたのよく知る隣人のファイブは赤毛のアン? イレブンは宮本武蔵?』
ウェンディは頭を振った。
『誰もその証明はできない。何故なら基の物語はもうないから。テラーが存在し続けることは物語は忘れ去られるという最悪の結末にはならないということ。今回、ピーターパンの世界を救うにはテラーの存在は必然条件だった。人魚は自分の物語を所望したが、フック船長はまだあの物語にこだわっている。テラー打倒という目的の一致があの物語をあと十年は永続させる』
可能性を摘み取る側だった自分がテラーを倒すために新たな物語の可能性を開いてしまった。その皮肉にナインは歯噛みする。
「テラーは全てを了承していた。示し合わせていたのか?」
『いいえ。そのようなことは不可能。テラーは、どこにもいないしどこにでも存在する。物語の発生する以上、同じように発生する語り部の存在。誰の声でテラーが囁くのかは誰にも分からないけれど、一つだけ言えることは物語が紡がれる以上、テラーを完全に抹消することは、物理的にも現実的にも無理だということ』
「……俺がテラーを倒しても、あのテラーが〝倒された〟ということは一つの不幸でもあるわけだな。語り部が一人、不在になった」
『何てことはない。忘却の物語があるのと同じ数だけ生み出された物語はある。意外と均一なのよ。物語消滅と発生というのは。泡のように』
つまり語り部の不足はあり得ない。ナインや他の剪定者がこれから先、またテラーと見えたとしても別のテラーが常に存在する。忘れ去られた物語から剪定者を生み出すのとその量は均一だ。
「終わりのない物語はない。エンドロールが流れるから物語は物語なのだと」
『でも人類が消滅でもしない限り、物語は量産される。あるいは人類が消えても、恐竜でも植物でも、蟻でも、物語はあるのかもしれない。彼らなりの手法で、彼らなりの言語で。その時、絶対に必要になるのがテラーと剪定者。どちらも欠かすことはできない。人造天使ゼルエル――またの名をウェンディ・モイラー・アンジェラ・ダーリング、という個体の命令がなくとも剪定者は本能に従って物語を狩るでしょう。テラーは原始本能があれば出現する。お互いの衝突は避けられない』
「だが歩み寄りはできる」
ナインの声にウェンディはせせら笑う。
『テラーとの共生を望むの?』
「いいや、恐らくは無理だろう。それこそ本能だ。お互いがお互いを滅ぼすようにできている」
ナインは身を翻した。ベルをコートのジッパーに入れてやり人造天使の間を後にする。
『ねぇ、ピーター。戻りたいのならば戻ってもいい。忘却の物語をピーターパンの物語に戻すことは可能よ』
「不可能だ。ヒロイン不在の物語はヒロイン不在のままだし、それにピーターパンもウェンディも随分と大人になってしまった。再演はまず無理だろう」
『ではあなたは何? 不完全に主人公の記憶を持ち、不完全に、今までのように冷徹な物語の殺し屋に徹することはできない』
「違うな、人造天使」
ナインは肩越しに一瞥をくれてやった。
「――俺は剪定者ナイン。物語の滅殺者だ。それ以上でも以下でもない」
『ならば選べ、剪定者ナイン。物語の可能性をお前は広げるのか、それとも我々の範囲内に収めるのか』
我々、というのは物語を殺す影の同盟。今までのように何も知らず剪定者として生きることはできる。しかし自分は知ってしまった。あのテラーの分まで背負ってしまった。手袋を外し右手の甲に視線を落とす。滅殺の右手、「9」のナンバリング。
「どちらでもない。俺は、物語を殺す。だが俺の物語は俺のものだ。誰にも殺させない」
ナインは手袋をつけてその場を立ち去る。どこからか笑い声が聞こえてきた。少女のものであるかのようだったが、ナインにはそれが今まで出会ったどの魔女よりも邪な独占欲に塗れていることに気がついていた。
『ふえ? ナイン、おはよう……』
アクセス権限を復活されたベルが目を覚ます。ナインは相棒の遅い寝起きに叱責する。
「遅いぞ、人造妖精」
『……何だかすごく長い夢を見ていたような、そんな気がする』
ベルのこぼした言葉にナインは冷たく返す。
「人造妖精が夢を見るのか?」
『失礼しちゃうなぁ。夢だって誰でも見るでしょう』
「ああ、そうだ。だから誰の頭の中にだって物語はある。俺はその夢さえも殺さなければならない」
『……ナイン?』
「行こう。星の数ほどに俺が殺さなければならない物語はあるのだから」
黒いコートを翻し、物語の滅殺者は音もなく動き出した。
完
剪定者ナイン オンドゥル大使 @ondlamb473
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