第20話ACT20「反転」
死んだのだろうか。
ナインには分からない。剪定者は死ねばどうなる? 今まで感じたことがなかった。その場合、人造妖精のように替えの利く存在なのだろうか。死ねば新しい剪定者を用意すればいい。人造天使ならばきっとそうするだろう。自分よりもより優れた剪定者を用意しテラーを倒すに違いない。テラー打倒は剪定者全体の悲願であり自分だけのものではないはずだ。
ナインの意識は物語でも現実でもない部分を漂っていた。夢、なのだろうか。あらゆる記憶が介在しあらゆる情報が行き交っている。ナインは本を読む子供の横顔を視界に入れていた。彼ら彼女らは嬉しそうに、あるいは悲哀の混じった、あるいは涙ぐみながら物語を見聞きする。ナインは彼らのいる側こそが「現実」なのだと感じた。
物語でも夢でもない「現実」。だがそこから光が溢れ出してくる。せき止めようのない光の渦、それと共に滲み込んでくるのは雑多な情報だった。それが一人の灰色のコートを身に纏った紳士を生み出す。
「こういう形でしか、君とは話せないのでね」
紳士の声にナインは直感的に感知した。
「テラー」
「それは私を構成する上で相応しいと言えない。何故ならば物語には光と影が常にあるからだ。私は光と影の片面。君たちが光であるとは限らないが、私は影として屹立することに決めた」
テラーは子供に語り聞かせるが如く指先を常に唇の前に持って来ていた。ナインは自分の状態を尋ねる。
「俺は、死んだのか?」
「物理情報ではね。だが剪定者は物理情報を無視する能力を持っている。ここに、物語を生み出す核がある」
テラーが空を仰ぐと太陽が昇ってきた。そこからさんさんと日が照りつける。
「太陽?」
「物語世界における光。可能性という光だ」
ナインは怪訝そうにする。その可能性を摘み取るのが剪定者。だがテラーはその仕事を邪魔する存在だ。テラーは振り返り、「可能性は止め処ない」と口にする。
「君も理解できるはずだ。どれだけ剪定者が可能性を摘み取ろうとしても、追いつかない、不可能が生じるということが。私はその理不尽として、形を伴っているだけだ。本来可視化すらされない情報だよ」
「……俺たちの行動が無駄だったと?」
「そうではないさ。だが君を呼ぶ声があるだろう?」
ナインは一つの情報へと目線を振り向ける。忘却の途上にある世界で人魚とベルが自分を呼んでいる。
「剪定者」、「ナイン」、という名前で。だが自分が一番耳を傾けたのはそのうちに潜む心の声だった。
――戻ってきて、ピーターパン。
それはウェンディの声だったのかもしれないし、全員の無意識の声だったのかもしれない。誰の声、という形式を伴わずその声が発せられた。ナインはテラーへと振り返る。
「俺はピーターなのか?」
その疑問は常について回っていた。この世界についてからずっと。ウェンディという少女一人の疑問だったが世界全体が自分をピーターパンに仕立て上げたいかのようだった。
「この声は、ウェンディのものに聞こえたかね? あるいはフック船長? 人魚? 旧知の仲である剪定者、ファイブ、イレブン、スプライト、コジロウ。……ベル。だがどれでもない。どれでもあって、どれでもないことが、今の君には分かるはずだ」
ナインは声の主を精査しようとする。
それは全体であった。
情報網全体が自分の名を呼んでいる。ピーターパンの物語の再起を望んでいた。
「どういうことなんだ?」
自分がピーターパンだから呼ばれているのか。あるいは勘違いなのか。テラーは自分の胸をとんとんと指先で叩いた。
「ここに脈打っている私の心臓をくり抜きたまえ。その時、全ての答えが知れる」
「俺はお前に負けた」
心臓をくり抜かれたのはこちらだ。握り潰され、自分は消滅した。しかしテラーは肩を竦める。
「私はあくまでテラーだ。恐怖(テラー)であり、語り部(テラー)である。語り部、という存在が何故必要なのか。それと世界の声を聞き、君は理解して舞い戻ってくる。その時にこそ、信じられるものは何か分かるはずだ」
ナインには分からない。テラーは敵であった。だというのに今の相手はまるで自分の復活を望んでいるかのようだ。
「お前は何だ?」
「テラーだよ。だがね、誤解しないで欲しいのは私は究極的に中立なんだ。この【物語】のテラーでもある」
テラーが指し示す。ナインは右手の甲に浮かんだ「9」の文字が光り輝くのを目にした。
「俺に貫けと?」
「それは君にしかできない」
ナインは雄叫びを上げ、テラーの心臓を射抜いた。
想像の世界で起こっていたことが現実の世界で起きた。
ナインはテラーの心臓を右手に掴んでいる。羊皮紙の心臓だった。ウェンディ、人魚、それにフック船長や副長が目を瞠る。
「俺は……、テラー、お前の」
その言葉を紡ぐ前にテラーの心臓は破裂した。墨のようになってしまった血飛沫が舞い、テラー本体がぶすぶすと消滅していく。
『びっくりした……。だって今、ナイン、あんたがやられたように見えたのに……』
ベルの声にナインは墨で汚れた指先に視線を落とす。
「事象の歪曲……」
ぽつりとこぼした声にベルが、『えっ?』と聞き返す。直後に割れんばかりの歓声が響き渡った。フック船長は我がことのように喜んでいる。副長の傷も無事だった。ナインの応急処置によって大事には至っていない。
「剪定者、テラーを……」
フック船長が立ち上がりよろめきながら近づいてくる。ナインは、「ああ」と右手を手袋に仕舞った。
「倒せたのだな」
レイピアを落としフック船長は膝から崩れ落ちる。まさか死んだのか、とナインは思ったがどうやら感極まったらしい。涙ぐんで何度も口にする。
「ありがとう、ありがとう……。お陰でまだピーターが戻ってくることができる、この世界を守れた」
人魚たちの賛美も止まない。
「これで私たちの物語が生まれるわ」
赤髪の人魚の涙にナインは一人だけ取り残されたように感じていた。異変を感じたベルが尋ねる。
『どうしたの? 嬉しくないみたい』
ナインは周囲を見渡す。一人だけ、この世界から人物が消えていた。
「なぁ、ウェンディはどこへ?」
その言葉に首を傾げたのはフック船長だった。
「何を言っているんだ。ウェンディなんてピーターと一緒に消えてから帰ってきていないぞ」
ナインはフック船長を見やる。歓喜の瞳の内側に赤い電流の残滓が見られた。ナインは顔を伏せる。
「どうした? 貴殿がこの世界を守ってくれたお陰で」
「そうだな。俺の職務は果たした」
だが、何も終わってはいない。まだ何一つ、終わっていなかった。
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