47話:異分子

 通路から顔を出したのは、肩口よりやや短い位置で切り揃えられた銀色の髪の少女だった。

 実験の後遺症によって脱色されたこの特徴的な髪色が、遠目からでも彼女の存在を際立たせる。

 決して背が高くないレディスだが、その彼女が見下ろすほどの一四五センチメートルの身長。年齢を勘案してなお小ぶりな胸部と細身の体形から小学生に間違えられることも多いが、れっきとした中学生だ。鋭い目つきや、動きやすさを重視したスポーティーな服装も相まって外見は活発な男の子といった風体である。


 レディスとラティにとっては飽きるほど目にした人物であるが、ドロシーには苦い過去を想起させる相手であった。

 四年という短くない年月が経ったとはいえ、一瞬でも筋肉が硬直するくらいには今なおドロシーの中で乗り越えられていない傷である。予期せぬ邂逅ではあったものの、魔法使いとして看過できない致命的な弱点だけに、胸の奥から生じた無力感が彼女の心を容赦なく蝕んだ。

 そんなドロシーの刹那的な変化を見逃さなかったレディスは、彼女を隠すように立ち位置を変えた。


「どうしたのですかアズちゃん」


 教師を前にして両手を黒のデニムパンツのポケットに突っ込み、いかにも問題児の立ち振る舞いだが、大賢者という立場や圧倒的な力を持つ彼女だからこそ許される所業だろう。その行き過ぎた権限と能力が、こうして一国の姫の寝室に突然乱入することも一切お構いなしである。

 レディスの反応はそんな慣れもあっての、ありふれた日常の一コマだ。


「おうレディス。ちょい頼みがあるんやけどええか?」

「頼みですか? それは構わないのですが何なのですか?」

「入ってええぞ」


 許可が出るなりアズサは通路に向かってそう言うと、呼応するように一人の女の子がおずおずと入室した。

 年の頃はアズサと変わらないだろうか。中学生と思しき女の子は、あのアズサが連れて来ただけあって動きやすそうな黒のレギンスと白のブラウス姿。顔つきは大人しそうではあるものの、醸し出す雰囲気は実に堂々としたものだ。

 教師と言えど万に達する魔導学園の生徒全員の顔を覚えているわけではない。

 中学生教諭である二人は互いに顔を見合わせ、魔導学園の生徒ではないことを確認する。


「えーと、アズちゃんこちらの方は?」

「うちの友達のカナや。こないだできてん」

「あのアズちゃんが友達を連れて来たのですか!?」


 屈託のない笑顔で楽し気に話すアズサを見てレディスは目頭に熱を帯びさせた。

 あの忌み嫌われ学校では孤立しているアズサが友達を連れて来た。実験体として過ごした時期から知っているレディスは、それだけ衝撃的な発言だった。


「友達を連れてくるのは良いっスけど、時と場所を選んで欲しいっス」

「なんやおったんか金魚の糞」

「誰が金魚の糞っスか!?」

「いちいちうるさいな。うちはレディスと話しとんねん。話に入ってくんなや」

「ひどいっス、これでもオレ担任っスよ」


 両の人差し指で耳を塞ぐジェスチャーをするアズサにラティが憤慨する。


「それでそちらのお友達がどうしたのですか?」

「そうやそうや、なあレディス。うちらにつけられてる発信機あるやん? あれと同じ奴カナにあげられへんか?」


 予想だにしなかった言葉にレディスはパチクリとまぶたを瞬かせる。

 実験体であるアズサやレディスは、新人類党から再び狙われるリスクがある。そのため現実世界でも行動が記録される特殊なGPSが取り付けられているのだ。

 なぜそんなものを彼女にと、意図を酌めない三人が顔を見合わせた。


「カナちゃんと言いましたか? 魔導学園の生徒ではないのです?」

「初めまして北見加奈と言います。今は現実世界の学校に通っています」


 礼儀正しくお辞儀するカナは、緊張しているのか声を上擦らせる。


「あ、思い出したぞ!」


 そこで突然、ドロシーが声をあげた。


「どうしたのですドロシー」

「いや、このカナって子だが、どこかで見た覚えがあると思ったんだが、息子君と一緒にいた子だ」


「息子君って言うと、風間翔さんなのです?」

「ショウ君のこと知ってるんですか?」


 とレディスに続きカナも疑問を投げかけた。


「風間翔さんは先ほど魔石講師の資格審査の件で会ったばかりなのです」

「そうだったんですか。あの、私はショウ君の弟子で彼から魔法を教わってるんです」


 弟子と聞いた途端、レディスは目の色を変え高速でカナの両手を握った。


「風間翔さんの弟子ですか! それは将来有望なのです。北見加奈さんも魔法文字ルーンを書けるのですか? おいくつですか? 中学生なら高校受験はどうするのですか? 魔導学園の高等部などどうでしょう! ワタクシは今年度から高等部に異動になったのです。ぜひぜひなのです!」


「レディス、レディス。がっつき過ぎだ。引いているぞ」

「おっと、失礼しましたのです」


 まだ噂になっていない原石に、興奮を隠せなかったレディスが口早に捲し立てるが、ドロシーの一言で我に返った。

 すると何事もなかったように笑顔を振りまき話を戻す。


「それで発信機でしたか? 何かあったのですか?」


 魔法使いであるならば、初入界時でもない限りGPSの機能も備える魔法指輪マジックリングは例外なく着装している。これは魔法指輪に周囲の生体反応を検知する機構が搭載されているのが理由であり、魔法指輪の発する信号とセットで索敵されている。

 もし仮に生体反応のみとなれば魔法使いの行動記録保全の観点から取り締まり対象となるからだ。それ故に、初入界時には必ず暫定で未着装者に魔石のない指輪が貸し出される。

 魔法指輪も値段はピンキリだが、中学生がおいそれと購入できる価格帯ではない。

 魔導学園の生徒ではないならば、風間翔という特異な例を除けば居住区はほぼ現実世界にあるのは確定的だ。生活基盤が現実世界であるならば、殊更高価な魔法指輪を購入せずとも暫定指輪で事足りる。

 その上、現実世界では保有率が九割を超えるスマートフォンがある。あえて第三世代魔法道具に属する高位感知器を要求する理由が思い浮かばないのだ。


「聞いてや。カナの奴、すっげぇゲーム上手いんやけど、負けた腹いせに絡んでくる奴らがおるらしいねん。ほら、あっちやとまともに魔法使われへんやん? 調子こいたアホども黙らそう思ってもカナじゃ無理やからな」


 こういうことは警察の仕事なので、国家運営に携わる者として無用な軋轢を生む行動は避けたいのがレディスの本音ではあったが、アズサにとっても良い機会である。社会勉強の一環として何事も経験だと了承することにした。


「あまり問題行動を起こされても困りますですが、とりあえず事情は理解したのです。そういうことでしたらすぐに用意するのです。ほらラティ持ってくるのです」


 手のひらを叩き、従者であるラティを急かせる。

 近衛騎士の役職よりも、ただの小間使いの方がしっくりくる関係が板についているラティも小さく嘆息するものの、彼女の意図を察したようで、部屋の奥へ向かった。


「それでアズちゃんの用事はそれだけなのです?」

「おう、それだけやで」


 アズサは両手を後頭部の後ろで組むと、ニカっと悪気のない満面の笑みを返した。

 人付き合いが極端に希薄なアズサは、良くも悪くも人との距離感が世間一般とは大きく乖離している。教師と生徒という間柄を差し引いても、一国の姫君という肩書を持つレディス相手への不遜な態度に、カナは気が気ではなかった。

 特に優等生と呼ばれるであろう枠組みのカナからすれば、魔法使いの常識は未だ計り知れないでいる。これは最も身近な存在であるショウの影響が悪い意味で大きく影響を与えている。それは同じ姫の身分であるアイヴィーとの関係性だ。

 そんな特殊な前例を目の当たりにしていれば、レディスとアズサの関係性も魔法使いとしては普通のことなのだと思い違いもする。

 ほどなくして、ラティが飾り気のないシンプルなチェーンネックレスを持ってきた。百均で売ってそうな安物感が漂うが、それ自体が超高性能な発信機として機能し、事前の知識がなければ玩具にしか見えないだろう。


「シンプルなタイプなのであまり目立たないとは思いますが、学校に付けて行く時は鞄につけるなど工夫するのです」


 言いながらレディスがカナの首にかける。服装次第では上手く隠れるだろうが、確かに学校につけていくには些か目立つ。

 ひと昔前に比べて幾ばくか校則が緩くなったご時世ではあるが、教師に見つかれば確かに没収は免れないだろう。


「そうですね。上手く髪飾りか何かにアレンジしてみます」

「それは良いのです。ぜひそうするのです」

「んじゃ、カナ、次行こうや」

「ちょっと、待ってよアズサ」


 強引にカナの手を引くアズサ。尻尾が生えていれば、嬉しさでブンブン振り回しているのが容易に想像が出来てしまう。それほどアズサのカナに対する好感度は誰が見ても一目瞭然だった。

 まるで嵐が突然やってきたかのような喧騒だったが、去ってしまえばここが王女の部屋であったことを思い出させられる静けさが戻ってくる。


「くああ、きつかった」


 突如、悲鳴に近い声を上げ倒れ込むようにして、ドロシーが椅子にへたり込んだ。

 背もたれの上面に首をかけると、天井に向けた額に右腕を置く。重力が自らの職務を思い出したように、被っていたトレードマークの魔女帽子が床に落ちた。


「お疲れ様なのですドロシー」


 労いの言葉をかけると拾った帽子をドロシーの顔の上に置く。すると彼女は相棒の魔女帽を奪い取り、つばの左右を引き深々と顔を埋めた。

 そんな可愛らしい一面に苦笑しつつ、レディスは椅子をドロシーの横に移動させ、黙って腰をかけた。何も言わない彼女の優しさにドロシーは少しだけ帽子を持ち上げ隙間から覗き見る。


「どっちが子供なんだかわからなくなりそうだね」

「何度も言っているのです。ワタクシはもう二十七。そもそも子供じゃないのです」

「それもそうだ」


 再び深々と帽子を被るドロシーに、同じく彼女の正面に椅子を移動させてきたラティが座る。


「ドロシーは変なとこで真面目っスからね。いっそ昔みたいに戻ればいいじゃないっスか」


 旧友のことは誰よりも知っている。そう言わんばかりのラティの小言に「うるさい」と小さく返す。


「ラティはドロシーのことをよく知ってるのです」

「ドロシーとは魔法使いになったばかりの頃からの付き合いっスからね」

「ちょっと羨ましいのです。妬けるのです」

「やめてくれ。恥ずかしい」


 これ以上は本当に昔話に花を咲かせてしまうと、姿勢を正し座り直す。そんなドロシーの頬はわずかに紅潮していた。


「いいじゃないっスか。オレは出会った頃のドロシーの方が違和感ないっス」

「世間知らずの田舎娘だっただけさ。絶対他の人には言うなよラティ。私のイメージが崩れるからな!」

「無理してキャラ作るから引けなくなるんスよ」

「うるさい!」


 本気で怒りそうな剣幕のドロシーに、ラティは嘆息しそれ以上の言葉は胸の内にしまった。


「さてと——」


 力なく立ち上がるドロシーを二人は心配そうに見守る。


「今日の出会いは、お暇するタイミングが悪かったと思うことにするよ。乗り越えたと思っていた禍根にも気づけたし悪いことだけではなかったしね」


「強がりなのです」

「めっちゃ顔逸らしてるじゃないっスか」


 容赦のない指摘にドロシーは無言で返す。


「――ですが、ドロシーの言うことも一理あるのです」


 何やら悪だくみを思いついたと言わんばかりのレディスの怪しい顔つきに、彼女をよく知るラティは止められないと両手で顔を覆い嘆いた。


「何をする気だいレディス君」


 ドロシーもよくない事だとわかってはいたが、確認のためそう問う。


「どうせならアズちゃんには盛大に問題を起こしてもらうのです」


 屈託のない笑顔を振りまき、教師にあるまじき発言をぶっこんだ。

 口にはしなかったが、理事長が揉み消しに奔走するのは過去の事例からも確実だ。計画の為なら友人のアズサをも利用する。そんなレディスの黒い部分に、ラティとドロシーは閉口した。

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虚構の中の英雄 ~資格編~ ヴぇいn @vein

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