Scene13 乾ききった朝の光

 結局僕は、駅前の駐車場にコラードを停めることとなる。

 エンジン音が消滅すると同時に、夏美はため息をつき、それから、美しく愁いに満ちた顔で僕を見る。

 思わず夏美を抱きしめる。しかし、彼女は、昨夜とは違い、ゆっくりと体を離す。頬の上には涙の線が次々と流れ落ちている。


「私、これから先、先輩ほど好きな人と絶対に出会わないと思います。先輩だけでした、こんな私のことを最後まで認めてくれたのは。先輩だけは、私を見捨てなかった。私、先輩がいなかったら、今みたいに生きれてないと思う。先輩には、感謝してもしきれない・・・」

 涙に濡れる瞳には、僕の姿が揺れている。

「俺だって同じだ。夏美の存在はすごく大きいよ。俺たちはなんだよ」

 自分でもぶっきらぼうな言い方だと分かる。思いが多すぎて、何を言えばいいのかを見失っている。

「先輩、本当に楽しかったです。ありがとうございました。これで、後悔しなくてすみます」

 夏美は震える声を振り絞り、ドアに手をかけて外に出ようとする。僕は、彼女の右腕をつかむ

「待ってくれ。もうちょっといいじゃないか。そんなに急いで帰らなくても」

 夏美はびくりと背筋を伸ばして動きを止める。

「どうしても帰らなければいけないんです。このまま先輩とずっと一緒にいれたらどれほど幸せだろうと思います。でも、もう、今の私には、それができないんです」

 夏美は力なく言い切り、唇を噛みしめながら、僕の手からするりと抜ける。

「私、幸せになります。自分の手で、幸せになってみせます」

 そう宣言した後でドアを開け、朝陽が差し込む外へと踏み出す。


 駅前にはサラリーマンたちが集まりはじめている。

 僕も咄嗟に車の外へ出る。

「待ってくれ!」

 だが、僕には中途半端に口を開くことしかできない。


 夏美は何歩か進んだ後で僕の方を向き、口をきゅっと結び、深々と頭を下げる。

 そうして僕の衝動を制するかのように、くるりときびすを返し、再び駅舎へと進みはじめる。


 夏美の華奢な背中は、確固たる決意を伴って、時間の経過とともに確実に小さくなっていく。僕はメデューサに睨まれて石化してしまったかのように、その背中を黙って見つめることしかできない。

 同時に、夏美のぬくもりと浜辺の香りが、あたかも沖へと流されるかのように、遠ざかっていく。


 白い薄手のワンピースが、ダーク調の背広たちの中に心許なく揺れている。それは、見えたり隠れたりを繰り返しながら、やがて雑踏に消えていく。結局、最後まで立ち止まることはなかった。

 

 ただ1人取り残された僕は、消滅してしまった後もしばらく彼女の背中を追いかけた。

 一瞬、白いワンピースが見えたようでもあったが、それはすべて幻影だった・・・


 駅ビルのマクドナルドに入り、コーヒーを飲む。

 始発の新幹線の乗車案内を告げるアナウンスが店内にも聞こえる。


 しばらくして、車両の振動がビルを震わせ、あっという間にはるか彼方へと消えていく。


 感謝しているのはこっちの方だよ。


 何度も何度も心の中でつぶやきながら、コーヒーの中に少しだけミルクを入れ、それをゆっくりかき混ぜる。


 店内の窓からは、乾ききった朝の光が差し込んでくる。

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マリッジ ブルー スリーアローズ @mr10

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