Scene12 今ならまだ間に合う

 高速道路に乗り、最初に目に付いた小さなパーキングエリアに車を停める。他に車の姿はない。

 トイレに寄った後、再びコラードに戻った時、夏美は目を覚ましていた。


 彼女はワンピースのジッパーを上げながら、おはようございます、と言ってきた。

 それから僕たちはもう1度抱き合い、そのまま、再び性交する。

 夏美のぬくもりを感じながら、昨日の出来事は夢じゃなかったのだと実感すると同時に、このままお別れにしたくないという思いがあふれだしてくる。

 だが、夏美は昨夜とは様子が違う。声を出さないし、手応えもない。まるで人形を抱いているかのようだ。


 そのうち、彼女の瞳からは涙がこぼれだす・・・


「昨日は、楽しかったです」

 車が再び走り出すと、夏美はぽつりと口を開く。

「頭痛くない?」

「痛くないです。だってよく寝たから。ここ数日にはないくらい熟睡できました」

 そう答えたものの、目元には疲れが見て取れる。

 フロントガラス越しに広がる東の空が徐々に黄色くなっている。どうやら今日も晴れのようだ。

「始発の新幹線に乗るの?」

「はい。用事があるんで」

 夏美は乱れた髪を整えながら、無機質な答え方をする。

 

 早朝の高速道路の交通量は少なく、美しいアスファルトが朝焼けに向かってまっすぐに伸びている。僕たちは無言のまま、その上を滑るように前に進んでいる。

 

 やがて高速道路を下り、国道に入る。そろそろ通勤が始まる時間とあって交通量も増えてきた。僕たちを取り囲む世界では、ありふれた日常が始まろうとしているのだ。


 いつの間にか髪を後ろにまとめている夏美は、手際よくメイクをしてから、窓の外を見つめる。そこにいるもう1人の彼女と対話しているかのようだ。


 彼女は答えを探している。

 車の中にいる自分と窓に映っている自分。いったいどっちが本物なのか。


 完全に自分1人の世界に閉じこもった夏美に、かける声など見当たらない。


 自動運転の車のように主体性を持たずにハンドルを握っていると、駅ビルが目に飛び込んでくる。

 これまで妹のように慕ってきた夏美との別れが目の前に迫っているのを感じたとき、言いようのないさみしさが胸を激しく圧迫する。

 このまま何もしなければ、僕たちの時代は幕を閉じることになる。


 大切なことはそれを失った後になって初めて分かる。


 裕子と別れた時に学んだはずの教訓が、よりによってこの期に及んで胸の奥を刺す。

 このまま夏美が大分に帰ってしまえば、2度と連絡はできないだろう。彼女を抱いたことが果たして正しかったのかどうか、太陽が上がるにつれてますます分からなくなる。


「朝飯でも買っていくか?」

 僕が聞くと、夏美は窓の外を見たまま首を横に振り、小さく答える。

「大丈夫です。お腹空いてませんから」

 僕は「そうか」と言い、自らの提案を引っ込める。これまでとはあまりに違うよそよそしさに、どうしていいかわからなくなる。


 心の深いところでは「今ならまだ間に合う」という声が聞こえはじめる。


 自分の声だろうか? 

 もしそうでなければ、誰の声だろう?


 今なら、まだ間に合う・・・

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