第23話 そして、始まる物語

「おまえの小説、面白かったよ」


 あくる日、文化祭で俺たちの部誌を買っていってくれたクラスメイトが笑って話す。俺はそれにぎこちない笑みを返す。


「あのヒロインの正体の辺りが――」

「いや、待って。私、まだ読んでないからネタばれやめてよ」


 自分の作品を褒めてもらえるのは嬉しい。俺は俺の作品こそが至上のものであると信じているし、どんな作品にも負けないと思っている。それでも、誰かから認めてもらえるということは単純に嬉しいのだ。


「ねえねえ、小説ってどんな風に書くの?」


 クラスメイトの女子のひとりが、俺にそう問いかけた。

 俺は少し考えてから言う。


「人によるけど……。俺は、今どんな作品が受けるのかってことから考えて書くようにしてるかな」


 俺がそう言うと、


「流行りに合わせるって意味?」

「まあ、そういう意味かな」

「へえ、そうなんだ」


 その少女は笑う。


「じゃあ、中川くんが書いた小説が今の小説の流行りって奴なんだね」

「いや……正直、あんまり売れなかったんだけどさ」

「そうなの?」


 少女は首を傾げる。


「まあでも、きっと次は売れるよ」


 彼女は、そんな無責任な言葉を無邪気に吐き出した。

 俺はそれを笑って呑み込んだ。




「お願いがあるんだ」


 ある日、俺は瀬尾と二人、通学路を歩いていた。こんな風に瀬尾と二人で帰るのはいつしかほとんど日課のようになっていた。他の部員が加わることもあったけれど、瀬尾が俺の隣を歩くことは、俺にとって当たり前の日常の一部になっていた。


「また、私の小説、読んでもらってもいいかな」


 そんな瀬尾の言葉を聞いて、俺は言う。


「それは最初からの約束……」


 そう言いかけて気が付く。


「そうか、もう別に瀬尾の小説を読む契約はなくなったのか……」


 そもそも俺は自分の正体を秘すことの交換条件で彼女の小説を批評していた。俺が自らの正体を公にしてしまった時点で最初の約束はもう意味をなしていない。そんなことに俺はようやく気がついた。

 瀬尾は言う。


「都合が良いお願いだよね。それは解ってる」


 瀬尾は話し続ける。


「もう夏樹くんには私の小説を批評する義理はない。だけど、私は君に私の小説をもっと読んでほしい」


 瀬尾は隣を歩く俺を見た。


「私は君に読んでほしいんだ」


 瀬尾の瞳はビー玉のようだった。光を取り込み、反射し、きらきらと光る。その瞳こそが俺が焦がれたもので、彼女が俺を引き付けたものだった。俺はこんな彼女の瞳に惹かれて、彼女の提案に同意したのだ。

 だから、俺は言う。


「いいよ」


 俺は言うべき言葉を探す。その言葉は俺の心の砂場の奥深くに埋まっていた。だけれど、俺はどこにその言葉が埋まっているのかは知っていたんだ。スコップを握って、壊れないようにそっとその言葉を取り上げる。俺はそれを瀬尾にそっと渡した。


「友達、だからな」


 瀬尾の瞳が静かに揺れる。


「約束なんてなくても、小説を読むくらいのことはするよ」


 俺の言葉を聞いた瀬尾は立ち止り、俺の顔をしげしげと見る。

 そして、何か遠い昔のことを思い出したような顔で、ふっと笑った。


「そっか……」


 俺は瀬尾の瞳をじっと見つめ返す。


「そっか」


 彼女はもう一度そう言って、静かに笑った。

 



 俺はパソコンの前に座り、電源を入れる。ここ数カ月、パソコンの画面に向かってはいた。だが、俺の動きはそこで止まってしまっていた。俺が何を書かなくてはならないのか、それが解らなかったからだ。

 今、何が求められているのか。

 俺が書かなければならないものは何なのか。

 そんなことを考え、そのまま、思考はぐるぐると渦をなし回り、どこかに吸い込まれて消えていった。

 昔、瀬尾と交わした言葉が、頭を過る。


『本当に自分が書きたいものよりも、人が求めるものを書かないといけないなんて』


 俺はその言葉の意味をずっと考えてきた。

 俺はプロだった。誰が何と言おうとプロだった。ならば、書くべきは売れる小説、求められる小説なんだと頑なに信じてきた。

 だけれど、それだけがすべてではないのかもしれない。

 もちろん、売れるものを流行るものを書こうということは間違っていないと思う。だけれど、それが絶対の価値観というわけではない。


 書くべきものではなく、書きたいものを書いてもいいのではないだろうか。


 それが成功するかはまた別の話だ。また、うまくいかないかもしれない。だが、それはそのときだ。

 今の俺には、書いてみたいものがある。

 そんな気持ちを持ったのはいつ以来だろうか。きっと書き始めたときは、こんな思いを胸に抱いて書いていたはずだったんだ。俺はいつの間にかそれを忘れてしまっていた。

 俺は忘却の河の底から、その感情をそっと引き上げた。

 青春……。

 今の俺が書きたいのは、それだった。

 仲間と共に笑い、仲間と共に泣き、そして、いつか振り返ったときに宝石となる何か。俺はそんな素晴らしいものを表現できるだろうか。


 やってやる。


 俺はプロだ。


 小説家だ。


 だから、書く。


 俺の想いを、願いをすべてを載せて、俺はそっとキーボードに触れた。

                                   <了>


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作者取材のため青春します 雪瀬ひうろ @hiuro

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