第22話 それぞれの

「いやあ、まさか夏樹少年がプロの作家だったなんてねえ」


 屋台の撤収作業を進めているときだった。屋台で使用した看板や机を部室へと運ぶ道すがら部長はしみじみとした調子で呟いた。


「……すいません」


 今更ながら、気が付く。俺は様は自分の素性を部長と日下部先輩に伝えていなかった。それは考えようによっては隠し事をしていたという言い方もできる。


「何謝ってんの。むしろ、部が守れたんだし、こっちがお礼を言わなきゃいけないんじゃない?」


 部長はきょとんとした顔で言った。


「いや、部長たちには俺が作家ってことを隠してたんで……」


 俺の言葉に部長は、ふむと頷く。


「まあ、そういう考え方もできるか」


 部長は抱えていた看板を持ち直しながら言う。


「でも、別に言わなかっただけで嘘をついたわけでもないでしょ?」

「まあ、そうですけど」

「誰にでも隠し事の一つや二つ、あるもんでしょ」


 そう言われて、俺は気が付く。部長も自分が文芸部に居ながら小説を書こうとしない理由は頑なに語らないということに。


「そういうもんですかね……」

「まあ、何でも言い合えるってことも仲間の証なのかもしれないけど」


 部長は前を向いたまま言った。


「隠し事まで含めて信じられるっていうのも、仲間の一つの形だと思うよ」

「………………」


 なんだかんだ言っても、この人は部長なんだなと、そんなことを俺は考えた。




「ねえ、夏樹」


 出欠確認のために一度教室に戻り、片付けのために再び部室へと向かおうとしたときだった。

 教室の前で待っていたのは日下部先輩だった。

 彼女は俺を蕩けるような瞳で見ていた。熱を帯びた声で彼女は呟く。


「ちょっと来てくれる?」


 俺も彼女には話しておきたいことがあったので好都合だった。一緒に部室に向かおうとしていた瀬尾に俺は言う。


「悪い、先に行っててくれ」

「……良いけど」


 瀬尾は俺と日下部先輩の顔を交互に見て、呟いた。


「早めに来て下さいね。まだ、片付け残ってるんですから」


 そう言って、瀬尾は俺たちに背を向けた。


「来て」


 俺は先輩の背中を追って、歩き出した。

 連れて来られたのは人気のない校舎裏だった。

 人目がなくなるなり先輩は言った。


「夏樹、やっぱり、私は君のことが好き」


 そう言って、先輩はにこりと俺に微笑みかける。


「だから、私と付き合って」


 その言葉に心が揺れないと言ったら嘘になった。先輩は美人だし、なんだかんだ言って面白い人だ。一緒に居たらきっと楽しいだろう。

 だけど――


「すいません、先輩」


 俺は彼女の綺麗な瞳を真っ直ぐに見据えて言う。


「俺は先輩とは付き合えません」

「好きな人が居るから?」


 先輩は俺の言葉に食いつくようにそう言った。

 俺は言う。


「……解りません」

「解らないんだ」

「はい」


 俺は自分の正直な気持ちを吐露する。


「先輩のことは嫌いじゃないです。むしろ、好きです。でも、それが恋愛感情かと言われると……」

「じゃあ、舞香ちゃんのことは?」


 先輩は俺の言葉を先回りするように発言する。


「……わから……ないです」


 俺は口を動かし続ける。


「確かに瀬尾は俺の中で特別な存在だと思います」


 彼女が居たから俺はここまで来れた。彼女のおかげで、俺は他人を受け入れられるようになった。そう思う。

 だけど――


「でも、それがイコール恋なのか……。それは解りません」


 それが俺の紛れもない本心だった。

 俺の言葉を聞いた日下部先輩は言う。


「夏樹って恋愛小説家だったんだよね」

「はい」

「だから、そんな考え方をするのかな」


 俺は先輩の言葉の意味が解らず、首を傾げた。

 先輩は校舎に背を預けて、空を見上げる。


「気になるなら好きってことだよ。気にならないなら好きじゃないんだよ」


 先輩は笑って、俺を見る。


「現実ってそういうものだと、私は思ってる」


 彼女は俺の前に立つ。


「一緒に居て楽しければ、その人のことが好きってことだし。そうじゃなければ、好きじゃない。現実の恋愛に大それた理由なんていらないんだよ。ただ、目があって『

この人が気になる』って思えば、それは恋だよ。『一緒に居たい』と思ったら、それはもう愛って言っていいんだよ」


 そう言って、彼女はふわりと優しげに笑った。


「だから、私は君を愛しているんだと思う」


 俺は黙って彼女の言葉を待つ。


「私は君に惹かれていた。気になっていた。それは前に言ったように君には自分の小説にかける熱情があったから。そして、今、君がプロの作家であることを知った。それで私の恋は愛に変わった」

「……なんでプロ作家だったら愛に変わるんですか」


 彼女は表情一つ変えないままに言った。


「それがきっと私の求める最後の『王子様の欠片』と思うから」


 『王子様の欠片』。それは以前、先輩が言い残した意味深な言葉。その意味を俺は知らなかった。


「『王子様の欠片』って言葉の意味が知りたい?」


 彼女は俺の目を覗きこみながら問いかける。


「はい」


 俺は目を逸らさずに答える。


「私と付き合って、私にあなたのすべてをくれたら、最後に教えるわ」


 すべてを……?

 彼女の言葉は理解しがたい。彼女はいったい何を考え、何を思っているのだろう。

 だけれど、一つ確かなことがある。


「……俺は少なくとも今は先輩と付き合うことはできません」


 俺は言う。


「俺は先輩のことは好きだけど、それが恋なのかどうか、まだ解っていないからです」


 先輩は何も言わず、俺の目をじっと見つめている。


「先輩にとっての恋と俺の恋は違います。俺にとって恋とは一世一代の恐ろしいものなんです」


 中学時代の苦い思い出が頭を過る。


「先輩のことが嫌いなわけじゃありません。だけど、こんな気持ちのままでは、俺は先輩と付き合うことはできないです」


 俺ははっきりとそう言った。

 俺は先輩が怒るかもしれないと思った。あるいは、泣くかもしれないと。少なくとも、責められることは覚悟していた。

 だけれど、そのどの予想にも反して、先輩は言った。


「いいね」


 そして、今まで見せたことのないような無邪気な笑みを見せた。

 まるでおもちゃを買ってもらってはしゃぐ無垢な子供のように楽しそうだ。


「それはなかった。今までになかった。私に足りなかった『欠片』だよ」


 そんな彼女の純粋な笑顔を見て、俺の心臓は小さく跳ねる。

 彼女は子供の様な無邪気な笑みを湛えて、言う。


「ありがとう、夏樹。私は君のことがもっともっと好きになった」


 彼女は神に祈る様に両手をぎゅっと握りしめる。


「私は君が私を見てくれる日を待ってる」


 そう言って、また楽しそうに笑うのだった。




「では、部誌の完売を祝して、乾杯!」


 部長の音頭で俺たちは紙コップに入ったジュースで乾杯する。冷えたジュースが喉をうるおし、俺は思わず息を吐く。


「いやあ、今年の文化祭は盛り上がったね」


 部長は上機嫌だ。


「本当にうまくいってよかった」


 瀬尾はしみじみとした声で呟く。


「これも夏樹のおかげだね!」


 先程からまるで酔っているかのようにテンションが高い日下部先輩は俺にすり寄りながら、そんなことを言う。

 俺はそっと距離を取る。


「そうですね……」


 彩音は手元のコップを見つめたまま、そう呟いた。

 そして、彩音はそっと俺に目を向ける。クイズ大会に向かう前のやり取りが脳裏をよぎり、少し気まずい。

 だが、彩音の方は、俺を見て、ふっと笑った。


「楽しかったですよ、私も」


 彩音のこんな笑顔を見たのはいつ以来だっただろうか。俺はまるで幽霊でも見た様な気持ちになる。


「彩ちゃんが笑った?!」


 部長が彩音の笑顔を見て、大声をあげる。


「いや、私も笑顔くらいみせますけど……」


 部長の言葉に彩音は笑顔を引っ込めて、しかめ面を見せる。

 そんな彩音を見て、部長は言う。


「いつか私が彩ちゃんを笑わせようと思っていたのに……」

「なんですか、それは……」


 彩音は呆れ顔だ。

 俺はそんな光景を見て、思わず笑みをこぼす。


「どうしたの?」


 瀬尾が俺に問いかける。

 俺は答えた。


「いや、なんでもない」


 そう、なんでもないことなんだ。こんな風に笑い合うことはきっと仲間同士なら本当になんでもない当たり前のこと。だから、俺はただその光景を見て、静かに笑う。

 こんな光景はきっといつまでも続いていく。

 これが「青春」なんだと、俺は信じた。




「今、いいですか……」


 文化祭の終わった日の晩。俺はさすがに疲れ果て、自室のベッドに横たわり、うとうとしていたときのこと。不意のノックに俺は思わず、飛び起きた。扉を開けると、部屋の前には彩音が立っていた。


「あ、ああ」


 俺はそう返事をする。

 彩音は自らやってきた癖に部屋の前でもじもじとするだけで、何も言おうとはしない。

 そんな彼女を見て、俺は言う。


「入れば?」

「……いいんですか?」

「むしろ、ここはおまえの家だろ」

「そう……ですね……。失礼します……」


 ぎこちない返事と共に彩音はそっと俺の部屋へと入ってくる。俺は勉強机の前のイスに彼女を座らせ、俺はベッドの上に座った。


「………………」

「………………」


 沈黙が部屋を支配する。壁にかけられた時計の秒針が時を刻む音がやけに大きく聞こえた。

 いったいどれくらいの間、俺たちは沈黙していたのだろうか。俺から口を開かねばならないかと思い、何を言うべきか考えをまとめていたときだった。


「今日はすいませんでした……」


 彩音は申し訳なさそうに、そう呟いた。


「何がだ……?」


 俺は彩音に何を謝られているのか理解できず、そう問い返す。

 彩音は一瞬、眉を潜めた後に言った。


「クイズ会場に向かうあなたに暴言を吐いたことです……」


 暴言……?

 俺の表情を見て、彩音は少し呆れたような調子で言った。


「……あなたが私と同じだ、と言ってしまったことですよ」


 俺は彩音の言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、考える。


「……それは暴言なのか?」

「暴言ですよ……」


 彩音は俺をじとりとした目で見る。


「私なんかと同一視していたという吐露は暴言以外に他なりません」

「………………」


 要するに彼女の自己評価は著しく低いのだろう。そんな自分と俺を同一視していた。それは、自分と同じように俺のことも低く見ていたという意味なのだろう。


「あなたも私と同じように人と関わるのが苦手で、どこか情の薄い人間だと、私は思っていました」

「………………」

「しかし、それは私の誤りでした。あなたはそれを今日証明して見せた」

「………………」

「だから、私は自らの誤りを認めて謝罪しているんです」

「……別に誤りじゃねえよ」


 俺は小さくため息をつく。


「俺は確かに薄情で、人と関わるのが苦手な人間だった」

「………………」


 彩音は黙って、俺の話に耳を傾けている。


「でも、俺はほんの少しだけれど、変わることができた。それだけだと思う……」


 彩音はやはり何も言わない。


「俺はまだ、おまえのことを何も知らない」


 なぜ俺はともかく、母である御影さんにまでよそよそしい態度を取るのか。彼女が普段、何を考え、何を思っているのか。俺は何も知らなかった。


「だけれど、俺とおまえは従妹だ。似ていたって何もおかしくはない」


 俺は言う。


「俺が変われたのだとしたら、おまえだって変われるってことじゃないか?」

「………………!」


 彩音は思いもよらないことを言われたというように大きく目を見開く。


「まあ、そんな偉そうなことを言えるほど、俺も立派じゃないけどさ」

「………………」

「まあ、そんな感じだ……」


 思いの外、真面目な話をしてしまったことに今更ながらに羞恥心が生まれる。まあ、昼間やったことに比べれば何でもないが……。


「そう……」


 彩音は小さな声でそう呟いて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 そして、俺の前を横切って、ドアのノブを握り、俺に背を向けて言う。


「もう、戻ります」

「……おう」


 俺は何故かどきどきして、そんなぶっきらぼうな言葉を返した。


「また今度……」


 彩音は消え入りそうな小さな声で呟いた。


「小説を出版したときの話を聞かせてください……」


 彼女はそっと振り向く。


「私もプロになりたいと思っているので」


 そして、彼女は自然な笑みを見せ、部屋から出て行った。

 俺はすぐ隣にある彼女の部屋の方を見つめる。

 そこには当然、壁がある。

 だけれど、そこにある壁はたった一枚なのだ。

 なぜかそんなことを考えた。



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