第21話 辿り着いた先

 クイズ大会の壇上から降りた俺を囲んだのは、クラスメイトたちだった。


「中川くんってマジで小説家なの? すごくない?」

「なんで今まで黙ってたんだよ」

「サプライズかますためだろ。すげえわ、おまえ」


 くらり、と。

 めまいを感じて、俺はたたらを踏む。

 なんだろう、これ?

 視界が定まらず、ぐにゃりと歪む。

 口の中がからからに乾いている。

 目は見えているはずなのに、目の前は真っ暗だ。

 音が遠くから聞こえる。

 まるで水の中に居るみたいに音がぼやける。

 俺は両手を膝につき、前のめりになる。

 俺はいったいどうしてしまったのだろう。


「夏樹くん」


 声が聞こえた、はっきりと。

 歪曲して消滅していく世界の中でその声だけはしっかりと俺の耳へと届いた。


「行こう」


 俺はその声に導かれて、よろよろと歩き出す。

 瀬尾の背中。俺はそれを黙って追う。

 そうだ。俺はやるべきことを果たした。結果は解らない。しかし、やらなければならないこと、やりたいと思ったこと。それはできた。それだけでいいじゃないか。

 俺には仲間が居る。

 俺が仲間だと思いたい奴らが居る。

 それだけで俺は充分なはず……。


 ――本当にそうか。


 俺は瀬尾の背中を追う足を止める。そして、ゆっくりと振り返る。

 歪んで消えて行った世界は確かにそこにあった。

 俺が切り捨てたいと思ってしまったものは、まだそこにあった。

 間に合うだろうか。

 きっと、何もかも都合よく変わるなんて無理だと思う。確かに、俺は少し変わった。だけれど、それは本当に小さな一歩に過ぎない。今だって、俺は仲間だと思える人間以外に心を開くことをためらっている。ずっと瀬尾以外のクラスメイトのことなど、視界にも入れていなかった。

 俺は傲慢にもクラスメイトを、ただのモブキャラクターと見なしていたんだ。

 いや、その言い方は正確ではない。実際には、モブキャラクターとしてさえ見ていなかった。クラスメイトたちにも人生があり、魂がある。そんなことを考えようともしていなかった。

 すべてを過去のトラウマのせいにするのは簡単だ。中学時代、俺のクラスメイトは俺を蔑み、馬鹿にした。だから、俺は他人に対して心を閉ざした。そんな風に言って逃げるのは簡単だ。

 だけれど、本当にそうなのだろうか。

 周囲の人間がクズだったから、俺は心を閉ざすようになったのか?

 逆じゃないのか。

 俺が誰にも心を開こうとしなかったから、誰も俺のことを見てくれなかったんじゃないのか。


 ――須川心。


 中学時代。俺が唯一心を開こうとした少女。


『ごめん、こんなことになるなんて思わなくて……』


 俺は彼女の言葉すら聞こうとしなかった。何も聞かず、結果だけを見て、彼女を恨み、自分の殻に閉じこもった。

 そんな人間、誰からも受け入れられなくて当然なんじゃないか……?

 違うと考える自分も居る。誰が何と言おうと悪いのは、中学時代、俺をコケにしたクラスメイトだ。そんな怨念と怨嗟は俺の魂に確かにこびり付いている。奴らを糾弾したい気持ちがなくなったわけじゃないし、実際に許すつもりもない。

 だけれど、少なくとも今目の前に居るクラスメイトたちに罪はない。

 そんな奴らを無視して、拒絶して、この場を去ろうとするのだとしたら、俺はあの最低のクズたちと同じ、いや、それ以下なんじゃないだろうか。

 俺はゆっくりとクラスメイトたちに向き合う。


「悪い。また、後で。すぐ部活戻らないといけないから」



 

 俺は瀬尾の背中を改めて追う。


「夏樹くん」


 瀬尾は俺たちの屋台の方向に歩く、足を止め、俺を振り返りながら言った。


「ありがとう」


 俺はそのときの彼女の表情を生涯忘れないだろう。




「あと三冊……」


 部長が在庫を見ながら言う。

 文化祭の終了時刻まではあと十分。厳しいかもしれない……。

 売れ行きが爆発的に伸びたのは、クイズ大会の直後だった。あの場で興味を持ってくれた人が次々にやって来てくれたのだ。その中には先程のクラスメイトも含まれていた。


「後でサイン頼むわ」


 などと冗談めかした顔で言われた。

 俺は笑って、それに答えた。

 だが、その売り上げ増加も一時的なものだった。その後も噂を聞きつけた人や部長の宣伝を聞いてやってきた人、日下部先輩の知り合い(なぜか男ばかりだった)が、ちょろちょろとやって来てくれたのだが、それでもあと一歩及ばない。

 部長は残り三冊の在庫を見ながら呟く。


「まあ、あと三冊くらいなら自分たちで買ってしまえば――」

「自分たちで買うのは無しだぞ」

「ひっ!」


 いつの間にか部長の背後には、柳沢先生が立っていた。いつの間に現れたんだこの人……。

 突然の闖入者に瀬尾の顔が歪む。彼女は敵意を丸出しにしている。


「残り三冊か……」


 柳沢先生は在庫と売り上げ管理表を見て、呟く。


「まだ、終わってませんよ」


 瀬尾は柳沢先生に噛みつく。


「ちゃんと、すべて売り切ってみせますから……!」


 眉間に皺を寄せて睨む瀬尾とは対象的に、柳沢先生の方は涼しい顔をしている。

 そして、先生は言う。


「私がなぜ百冊売れなければ、廃部などと言ったか考えたことはあるか?」


 その声はなぜかどこか優しげだった。今までの研ぎ澄まされた刀のような雰囲気は欠片も感じられなかった。

 瀬尾も先生の様子が今までと違うことに気がついたのだろうか。口をぽかんと開けている。


「今の空星には金がない。生徒が少ないからな。廃校になる、というのはオーバーだろうが、このまま入学志願者が増えなければ、いずれそうなってもおかしくはない」


 先生は話し続ける。


「では、どうすれば、入学志願者は増えるのか」


 先生は校舎を見上げて言った。


「どうすれば、この学校が守れるのか」


 その表情は柔らかい。それは作っているわけではない自然な表情に見えた。まるで今まで見せていた厳しい表情が仮面だったかのように思えてくる。


「その一つの答えが文化祭。文化祭を盛り上げることだと、私は思った」


 そして、彼女は俺たちを見た。


「だから、発破をかけた」


 俺は黙って先生の話に耳を傾ける。


「ちなみに条件は違うが、人数が少なかったり、結果をあまり出せていない部活には同じ様に廃部をちらつかせた」


 文芸部のメンバー一人ずつにゆっくりと目を合わせ、最後に俺を見た。


「おかげで文化祭はたいそう盛り上がった」

「……最初から廃部にするつもりなんてなかったってことですか……?」


 俺がそう尋ねると、


「いや、廃部にするつもりだったよ」

「は?」

「きちんと売り上げが達成できなかったら、そうするつもりだった。というか、まだ達成できていないな」


 先生の言葉に瀬尾ははっとした表情を見せる。


「そうだよ! こんな話してる場合じゃない。早く売らないと!」


 慌てる彼女に先生は言った。


「私が買おう」

「え?」

「私が残り三冊を買いたいと言っているんだが、駄目か?」


 柳沢先生は微笑んで言った。


「駄目じゃ……ないと思いますけど……」


 瀬尾は力の抜けた顔で俺や部長を見る。部長はにやりと笑う。


「お買い上げありがとうございます!」


 部長はにこやかに笑って、三冊の本を柳沢先生に手渡した。先生は代金を支払った。


「これで完売だな。おまえたちは見事に条件を達成した。当面、廃部は撤回しよう」


 そう言って、先生は俺たちに背を向ける。


「私は忙しいので失礼するよ。まだ、かるた部の連中が条件を達成出来ているか確認できていないんでな」


 そのまま、去って行こうとする背中に部長が問いかける。


「でも、先生、三冊も買ってどうするんです?」


 柳沢先生は振り向き、にやりと笑って言った。


「もちろん、読書用と保存用と布教用だ」




「柳澤先生は文芸部のOGだからねえ」


 文化祭が終わり、俺たちが撤収作業を進めているときに御影さんは言った。


「OG?」

「ええ。柳澤先生は空星の卒業生だからね」


 御影さんは柔らかく微笑んでいる。

 そう言われて、俺はふとあることに気が付く。初めて柳澤先生が部室を訪れたとき、瀬尾に印刷方法について尋ねていた。「オフセット印刷」など、それなりに専門的な言葉を使っていた瀬尾の言葉に先生はなんなくついていった。そのときはなんとも思っていなかったが、自分も昔、部誌を作っていたから詳しかったのかもしれない。


「昔からあの子は人に厳しくてねえ。先生である私の方がよく彼女に注意されていたわ」


 目に浮かぶ様な光景だ……。


「でも、誰よりも自分に厳しくて真面目な人だから」


 御影さんは呟く。


「自分が悪者になってでも、この学校を守りたいと思ってしまうんでしょうね」


 あの人はどんな小説を書いたのだろう。

 そんなことが気になった。



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