第20話 誰が為に世界は回るのか

「クイズ大会で優勝して宣伝するってどうかな?」


 それは文化祭前日の最後の打ち合わせでの出来事だった。

 何か部誌を売り切る妙案はないか。そんな話をしていたときに部長は何気ない調子で言った。


「クイズ大会……?」


 彩音が部長の言葉を鸚鵡返しにする。


「そう、クイズ大会。あの今正門まえに出来てる一番大きいステージでバンドのライブの前にやるって聞いたよ。あそこだったら、かなり目立つから、部誌の宣伝が出来れば、かなり有効だと思うんだけどな」


 部長は続けて言う。


「実際、私、去年のステージ見てたけど、優勝した茶道部が自分たちの出してる抹茶パフェの宣伝しててさ。その後、抹茶パフェはすぐ売り切れちゃったんだよ」

「まあ、確かに宣伝にはなるかもしれないけど……」


 日下部先輩は言う。


「まず、優勝するのが無理じゃない? 私も去年、ちょっとだけ見てたけど、結構難しいなって思ったよ」

「はあ、それねー。それがネックよね。あれ、クイズ研究部が仕切ってるらしくて、問題が結構ガチっぽいんだよねえ」


 部長はため息をついて言った。

 そんな言葉を聞いて、俺は言った。


「よしんば優勝して、あのステージで宣伝出来たとして、みんな買いに来ますかね?」


 食べ物のような誰でも買い手になりうる様な商品ならともかく、俺たちが売ろうとしているのは、小説だ。宣伝を聞いて買ってくれる人もゼロではないだろうが、ただ宣伝しただけで劇的に売り上げが伸びる類いのものには思えなかった。


「だよねー、やっぱ無理かー」


 部長は気の抜けた調子で言う。


「せめて、このうちの部誌に明確な売りでもあったら、話は別かもしれないけどね」




「……俺は文芸部の一年生、中川夏樹と言います」


 俺は震えそうになる声を抑えながらマイクを固く握りしめる。

 一瞬、喧騒にまみれた会場が静かになる。周囲から注がれる視線。俺はそれに負けじと声を出す。


「俺たち文芸部はグラウンドの向こう側で部誌を売っています」


 俺が考えた売り上げを上げる方法。それはクイズ大会の優勝者に対するインタビューで宣伝をすること。

 だが、それだけでは残りの部誌をすべて売り切ることはできない。

 ならば、どうする?

 答えは、俺たちの部誌にをつければいい。

 俺はもう一度しっかりとマイクを握る。

 逃げ出したくなる足に力を込める。


「俺は――」


 物を売るために必要なのは、客に商品を買いたいと思わせることだ。興味を持たせることだ。その内容はなんでもいい。はりぼてでも、はったりでも、今、この瞬間、人々の注目が俺たちの部に向けばいい。


 なら、俺が言うべきことは一つだけだ。


「俺はです」


 俺の言葉に会場にほんの小さなどよめきが走る。会場の人間は周囲の人間と顔を見合っている。


「香川七月というペンネームで去年デビューしました。ネットで検索してもらえば、名前は出てくると思います」


 会場内でひそひそとかわされる言葉。


「まじで?」

「え? プロってすごくない?」

「文芸部って、そんなすごいの?」


 小さな囁きの火は周囲に燃え移り、少しずつ大きくなっていく。

 会場に居る人間の俺を見る目が変わっていく。感嘆の声を漏らし、好意的な眼差しを向けてくれる人も居れば、嘲り笑い、好奇の視線を向ける者も居る。

 置いて来たはずの過去が鎌首をもたげる。

 また、昔のように俺を馬鹿にする奴が出てくるかもしれない。そんな考えが頭を過る。

 でも、それがどうした。


 俺は作家だ。


 誰が何と言おうと作家なんだ。


 昔の俺は意気地がなかった。


 戦う勇気が足りなかった。


 あのときどうして、俺の作品は素晴らしいんだと胸を張れなかったのだろう。


 売り上げがなんだ。


 からかいがなんだ。


 俺にとってデビュー作『無限の出会いとさよならを』は、世界で一番大切な物語だった。


 ――大切な人のために綴った物語だったんだ。


 なぜ、俺はそんな大事なものを胸を張って、掲げることができなかったのだろう。

 俺は自分の作品を理解せぬ者を、愚者だと思っていた。嘲弄する者を蔑んでいた。

 ならば、どうして俺は俺の作品を守るために戦わなかったのだろうか。

 すべては俺の意気地のなさ故だった。

 だから、その過去を乗り越えるためにも、俺は今、宣言する。


 仲間のために、自分の本のために、何よりも


 俺は言うべき言葉を紡ぎだす。


「プロである俺が書いた書き下ろし小説が文芸部の部誌には載っています! 自分でもすごく良い出来だと思っているので、是非、皆さん買って読んでください! よろしくお願いします!」


 俺はマイクの音が割れそうになるほど、大声でそう叫び、勢いよく頭を下げた。

 俺は自分の足元を見つめる。

 静寂。それがあまりに恐ろしい。俺はマイクを取り落としそうになる。

 そのときだった。

 小さな拍手が聞こえてくる。

 俺はそっと顔を上げる。ステージのすぐ目の前、観客席。

 そこに瀬尾が立っていた。

 彼女は一人で拍手をしていた。

 次の瞬間、その拍手は導火線を伝う様に広がり、爆発する。

 会場が万雷の拍手で満たされる。俺はそれを全身で浴びた。俺の身体がぶるりと震えた。

 俺はこの瞬間のことを生涯忘れないだろう。

 俺はもう一度、頭を下げた。

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