Intermission
本の虫干しをする為に臨時休業にした日のこと――
ひと段落ついた午後に珍しくスーツ姿ではない天草が顔を出した。
「やっほー虫干しお疲れ。
「懐かしいな。コーヒーでいいか?珍しい、今日はスーツじゃないんだ」
コバルトブルーのジーンズに無地のTシャツ、足元はサンダルでサングラスをかけた天草が老舗和菓子屋の紙袋を下げてやってきた。外したサングラスをVネックのシャツに引っ掛けて扇風機の前に陣取る。
「砂糖2つー。今日は僕も完全休養日、ここしばらく忙しかったから」
天草の家系は代々政府の仕事で警察庁や防衛省に出入りしている。天草自身は普段フリーランスの経営コンサルタントといういかにも胡散臭い肩書を名乗っているらしい。
頭に巻いていた手ぬぐいを取って台所に立ち、2年ほど前の冬に天草が「クリスマスプレゼントだよ」と置いて行った湯沸かしポットのスイッチを押す。
コーヒーカップ2つ分くらいの量なら数十秒で湧いてしまうシロモノは文明の利器の塊みたいなやつで、実に便利に使っている。砂糖2つは天草のいつものパターン。見た目に似合わず根っからの甘党だ。
「皮は時代に合わせて多少の変化はあるけど、中のあんこの味は変わらないよねぇ。すごい事じゃない?かれこれ90年くらい経つかな?」
俺たちは『長寿種』と呼ばれる人種。呼ばれるといっても表向きに存在を認識されてるわけではないが。
天草は1つめのどら焼きを口に運びながら、自分が下げてきた店の紙袋から創業年数の数字を見つけ出していた。90年ほど前この店が開店した時の事は覚えている。俺たちはまだ子供で、天草は俺を誘い出し、小遣いで買った1つのどら焼きを2人で分け合った。
「開店記念の安売り並んだよな。そういう意味じゃ俺たちだって中身は変わってない」
「はははっ確かに。歳は60過ぎたあたりからもう数えなくなったよねー」
「まぁ俺たちに年齢ってのは大した意味もないしな。じいさんもそんな事言ってた」
俺たちのような長寿種の人間にとって年齢というのはなかなか曖昧になりがちなものだ。俺の前に長寿だったのは父の曽祖父。父から聞いた話では一族の全員が長寿なわけではなく隔世遺伝で何代か飛んだ男にのみ遺伝するらしい。そんな中で親戚筋にあたる天草と同時期に長寿種として生まれ幼馴染になれるのはかなり珍しいと言っていた。母親同士は仲が良く、今で言うガールズトークでよく盛り上がっていたのを覚えている。
「君は良いよねぇ外見の固定早かったもん。見た目せいぜい30ちょいでしょ?外に出ればモテるだろうに引きこもりで本の虫なんて勿体ない」
「別に引きこもっちゃいない。買い物や美術館にだって出掛けるし、散歩もする。お前こそ長い人生楽しんでるだろ。スマホまで使いこなして」
成長が止まるタイミングは個体差が大きい。天草は外見の固定が遅かったが奴の先代もそうだったらしいので血筋みたいなものはあるのだろう。白髪が出始めた頃「僕このまま普通に死んだりして」と呑気に笑っていた。
「そーなんだよねぇ。なぜか今の時代この見た目よくモテるんだよ。ロマンスグレーとか言われちゃって、おかげで添い寝の相手には困らない。君もスマホ持ちなよ」
「俺には必要ない。夜道で後ろから刺される様な事だけはするなよ」
コーヒーを飲みながら意地悪っぽく言って2つめのどら焼きを頬張ると小豆のほのかな甘さが鼻に抜けた。
「うわっ怖いこと言わないでよー不死身なわけじゃないんだからさ。刺されたら血がどばーだよ?死んじゃうよ?君より先に死ぬ気はないからね」
笑いながらそう言ったあと真面目な顔をして「大事な友人にもう大きな悲しみを味わってほしくないよ」と言って天草も2つめのどら焼きを食べ始めた。
天草は昔からそういう奴だ。飄々として掴み所のない雲みたいな奴。でも本当は根の部分にはアツい感情がちゃんとあって、その感情の投げ方を知っている。
「お前が幼馴染で良かったと思ってるよ。今はもう生きていく事をツラいとは思ってない」
「うんうん、友の笑顔っちゅーのは良いもんだねぇ。今日もおやつが美味しいよ」
自分でも今穏やかな顔だったろうと思うと、さきほど一瞬見せた真面目な顔はすでになく俺の顔を眺めて満足げに笑っている。
「あ、そういえば麻乃さん、引退するのやめたんだってさ。キミは存外に人たらしだからねぇ」
「どういう意味だ?」
「わからないならいいよ、このニブチンめ」
天草の言っている事はよく飲み込めていなかったが、彼女がテレビの中で笑うなら、新しいテレビを買っても良いなと思った。
「ね、今度さテレビ買いに行こう。いい加減そこの映らないテレビ買い替えなよ」
「今ちょっとそう思ってた」
「ははっそんな気がしたよ」
そんな事を言いながら笑い合い、二人で3つめのどら焼きに手を伸ばすのだった。
―――終。
泪屋奇譚 草薙 至 @88snotra
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