第9話 約束したから

 結局僕は火曜日も学校を休んだ。火曜日のプリントは、ヒミコが持ってきてくれた。ヒミコは僕の部屋に入ると、言いにくそうな顔でこうつぶやいた。


「うちのお父さんが、あんたにお礼を言っておいてって」

「僕は何もしてないよ」


 そう、僕は何もしていない。それは間違いではないのだけど、ヒミコはそれでは納得しなかった。


「ねえ、どうしてお父さんたちは助かったの。船はまだ海の底にあるのに、どうやって乗組員だけ助けたの。あとそれを誰にも話しちゃいけないって言われたけど、何で。どうして話しちゃいけないの」


 小さな声で、けどマシンガンみたいに早口で、ヒミコはまくし立てた。


「僕は知らないよ。て言うか、それ僕にも話しちゃダメなんじゃないの」


 ヒミコは慌てて口を押えて、まわりを見回した。


「今のなし、なし!」

「わかったってば。誰にも言わないよ」


 そう、誰にも言わない。言えるわけがない。説明なんてできないもの。ヒミコは不満たらたらな顔をしていたけど、それ以上なにも聞かずに帰って行った。



 水曜日、まだ少しだるい体で僕は登校した。本当はもうちょっと休みたかった気持ちもあるけど、そんなに休んでばかりもいられない。それにもうすぐ夏休み。あとちょっとのガマンだ。


 教室に入って自分の席に座ると、目の前に誰かが立った。顔をあげると、忍者がいた。


「あの件は政府が『かん口令こうれい』を敷いたので大丈夫」


 どの件だよ、って言いそうになったけど、まあ他にはないし、やめておいた。


「かん口令って何」

「誰にも話してはいけないという命令」


「なんでそんなこと、おまえが知ってるんだよ。おまえ、何者だよ」

「それは秘密。秘密は誰にでもあるでしょ」


 忍者が笑ったのを、僕は初めて見た気がした。案外かわいい顔してるんだなと思った。


「でもあんまり派手には動かない方がいいと思う」


 これは僕への忠告ちゅうこくだろうか。


「わかってるよ、そんなこと」

「そう、それならいいけど」


 忍者が離れていったすぐあと、後ろから声がした。


「佐倉、忍者と仲いいのな」

「別に仲がいいわけじゃないよ」


 振り返るとフジミが不思議そうな顔をしている。


「でも忍者さ、誰ともめったにしゃべらないんだぜ」

「同じクラスにいるんだから、たまにはしゃべることもあるだろ」


「そんなもんかね」

「そんなもんだよ」


 僕がそう答えたとき、チャイムが鳴った。それとほぼ同時に、よしむーが教室に入ってくる。


「はーい、みんな席について。朝礼始めます」



 学校が終わると、いつものようにおじいちゃんが坂の上で待っている。僕が駆け寄ると、何か不思議なものでも見るような目で、僕をしばらく見つめた。


「おじいちゃん、どうしたの?」

「ああ、いや、なんでもない。それより、学校はどうだった」


「今日は夏休みの目標を決めてきたよ」

「そうか。どうするんだ、夏休み」


「今年は絶対に泳げるようになる。友達と約束したからね」


 そう、リアローたちと約束したんだ。泳げるようにならなくちゃ。


 おじいちゃんはまた、不思議なものを見るような目で僕を見た。


「君彦はちょっと大きくなったんじゃないか」

「そりゃ三年生だもん。どんどん大きくなるよ」


「そうだな。おじいちゃんが気づかないうちに、どんどん大きくなるんだな」


 そう言うおじいちゃんの顔は、いつもより少し楽しそうに見えた。



 夕方、僕はお風呂に入った。おばあちゃんはまだ心配そうだったけど、僕は大丈夫だって言いきった。だって昨日は入ってないんだから、今日は入らなきゃ。


 体を洗って湯船につかると、一気に頭までもぐる。左の耳をつまんで、右の目をあけた。さあ、今日も歌が聞こえてくる。それに合わせて僕もおでこで歌った。


 海のヤミヤミ

 夜のヤミヤミ

 ヤトウクジラだエイコラサ


 おれたちゃドロボウ

 海のドロボウ

 盗みだすのはお手のもの


 海賊船も沈没船も

 どんな重たいお宝だって

 かるがるパパッと手に入れる


 世界の七つの海のソコソコ

 おれらに行けない場所はない


 どこでももぐるぞ

 なんでも盗むぞ

 ヤトウクジラだエイコラサ!

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星食いリアロー 柚緒駆 @yuzuo

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