運命ってそんなもん

秋本カナタ

運命ってそんなもん

「――ねえ、私とっても面白いことを思い付いちゃったんだけど!」


 明るく楽しく元気よく、開口一番彼女はそう言った。時刻は午前七時五十分、まだ教室にはまばらに生徒がいる程度の、よく晴れた朝のことだ。


 耳元での大声の危険性を耳を押さえることで伝えようとする僕になど構うことなく、


「みんなの悩みを解決する部活を作ろうと思うの!」


 と続けた。


 もちろん僕はこう答える。


「お前は朝っぱらから一体何を言っているんだ」


 これは決して厳しくなどない、当たり前の反応だ。百人アンケートを取っても皆が皆こう答えるに決まってる。


 しかし、そんな常識など、目の前の非常識に比べれば掠れてしまうほどどうでもいいものである。


「『あなたのお悩み解決します』……うーん、なんか普通ね。『悩みなんて吹き飛ばせ!』……ちょっと体育会系かしら。難しいわあ」


 既に彼女はキャッチコピーの考案中。展開の早さには定評のある彼女だ。まったく、羨ましいことこの上ない。


「またどうしてそんな部活を作ろうと?」


 にっこり、もしくはにやりと彼女は口許を緩める。罠にかかった獲物を見つけたとき猛獣の顔である。怖いなあ。


「あれは、昨日のことだったわ。私は近所のスーパーで、買い物をしていたの。その時に、財布を落としたことに気が付いたのね。もちろん落ち込んだわ。でも、本題はここからなの。私は、すがるような思いでお店の落とし物コーナーに行った。すると、なんとそこには私の財布が置かれていたの! なんて素晴らしい話だと思わない?」


 思う。思うから、とりあえずその話を終わらせてくれ。


「話はこれで終わりよ。それが、私が人助けのための部活を作りたいと思った理由なの。情けは人のためならず、人のために何かをするというのは、とっても気持ちのいいことだと思うのよ」


 そうですか。それはそれは。確かに素晴らしい美談だ。人の優しさを初めて知った獣の物語にも聞こえるが。


「というわけで、あなたももちろん手伝うわよね? 私が部長で、あなたが副部長よ」

「やっぱりそうなる?」


 もちろんお断りさせていただきます、と口にしても効果はないことは明らかであり、つまり僕のこれからの運命は、彼女が昨日財布を落として時点で既に決定されてしまったということである。


 なんというバタフライエフェクト。多分違うだろうけど。


「それじゃあまずは職員室に行って掛け合わなくちゃね。あ、その前に部の名前を考えなくちゃいけないわ!」


 張り切る彼女に項垂れる僕。これがいつもの光景になってしまっているのだから、人生というのは恐ろしい。その度に彼女は楽しそうな顔をしている理由も、僕には分からない。


 その様子を眺めながら、僕は考える。


 まあ、運命なんてそんなものだ。誰かに流され、何かに流され、いつの間にか辿っている。きっと、誰の運命もそんな程度でしかない。


 結局は、それを楽しめるかどうか。そして、振り返ってみて楽しかったかどうか。楽しければ、それは無駄ではない。楽しくなければ、意味などない。


 捉え方なんて人それぞれで千差万別。だが、運命だろうが偶然だろうが奇跡だろうが、要は楽しめたもん勝ちだ。


 目の前の彼女に引っ張られ、どこに辿り着くかも分からない運命に乗ってみるのも、多分悪くはないんだろう。


 ただ、一つだけ言っておきたい。


 多くの人はそれを、諦めという。



 ※



「――なるほどね。要するにあなたは、彼女さんがすでにいる人のことを好きになってしまった、と」


 人老いやすく時流れるは早し。適当に言ってみたけど、人生なんてあっという間に進んで、気付けばもう後がないところにまで来ている、という人は沢山いるはずだ。儚いが故に美しい。そんな感じ。


 僕の隣に座るのは、偉そうに腕を組んで頷く彼女。目の前にいるのは、悩ましげな顔で俯く少女。間に挟むのは、向かい合った机が二つ。それらがいる場所は、校舎の端の空き教室。


 はて、どうしてこうなった。


「私、どうしたらいいのか分からなくて……諦めるべきだっていうのは頭で理解してるんですけど、心がそれを受け入れてくれなくて、それで……」


 言葉が途切れる。少女は今にも泣き出しそうだ。女の涙は最大の武器であると聞いたことがある。現に僕も狼狽えている真っ最中だ。


 そんな武器も、彼女にしてみれば、ゴジラに対するハンドガンのように役には立たない。


「泣いても解決なんてしないわよ。いい、私って、人の涙が何より嫌いなの。今度泣いたりしたら、本気で怒るからね」


 怖い。少女が強張った顔で頷く中で、こっそりと僕も頷いておく。


 話を一通り聞き終えた彼女は、難しい顔で天井を眺めた。彼女が何かを考えている時によくやる仕草だ。凛々しいその横顔は、悔しいが様になっている。もちろんそれを口に出すことはない。


「……よし、閃いたわ!」


 ピコン、と彼女の頭の上に電球が点った。イメージ的にはそんな感じに顔を綻ばせて、少女に向き直る。勢いがいいときの彼女は、大体油断できない。ご愁傷様、恋する少女。


「この際、思い切って伝えちゃいましょう! その方が手っ取り早いわ」


 なるほどね、それは名案だ! なんて賛同する側近はここにはいない。いわゆる、それが出来れば苦労はしないってやつだろう。


 ぽかんと口を開ける少女。全くもって正しい反応だ。むしろ素晴らしいリアクションだ。ここで意気揚々と乗って来るような奴だったら即刻叩き出してたくらいだ。内心で拍手する僕。


 しかし、そもそもこんな怪しさ満点の部活に相談に来てしまったことが運の尽き。恨むなら、自分の心の弱さと、少しでもよさを感じてしまったその時の自分を恨みなさい。


「なら、実行は早い方がいいわね。早速向かうわよ。その人、サッカー部って言ってたわよね。なら今頃グラウンドのはずだわ」


 迅速な行動をモットーにしている彼女。多分就活とかで有利になることだろう。


「え? あ、あの、冗談ですよね……?」


 笑顔で迫る彼女と、笑顔で固まる少女。それを我関せずで眺める僕。こんな状況で彼女が冗談なんか言うもんか。


 少女には同情するが、まあこれも、一つの運命だと思って。


 楽しそうな彼女の笑顔には、僕は逆らうことなんか出来ないんだ。





「――何で承認されないのよ、おかしいでしょ!」


 教室で朝っぱらから騒ぐ彼女。クラスメイトもだんだん慣れてきているな。いい傾向なのか、悪い傾向なのか。


「仕方ないだろう、そもそも、規定部員にすら届いていなかったんだから」


 教師に求められた数は最低四人。あれから一か月、適当に募集をかけてみたはいいけど、入る物好きなどいるはずもなく、受理されないまま申請は破棄された。残念だが当然の結果だとも言える。


 というより、一番の原因は、勝手に空き教室を使って一足先に疑似部活を開始していたことなのだが。


「誰よ、教師たちにバラしたのは。せっかく秘密裏に早めにやってようと思ってたところだったのに」


 そんなの一人しか思いつかないだろうが。言うまでもなく、あの少女に違いない。


 あの後、彼女の無茶な提案に耐えられなかった少女は、涙目で教室を出て行ってしまった。その次の日、僕達に教師から召集が掛けられ、勝手な部活動の実態が明るみに出たというわけである。この学校、校則だけは厳しいからな。認められていないことをすると、すぐに取り締まらてしまうんだ。


 つまりは、彼女の自業自得という結論で収まる。


「あーあ、せっかく面白いことが出来ると思ってたのに。つまんなーい」


 僕的にはこうなって正解だったと思うが。むしろこうなった方が世のため人のためになったというか、こうなることが運命であったというか。


 でも、これを言うと彼女は怒り出すから、口には出さない。


「ねえねえ、次は何をする? 今度こそ、もっと面白いことをやるわ」


 まだ何かやるつもりなのか。その不屈の闘志だけは褒めておいてやろう。諦めるということをしらない人間は、それだけ心も体も強い人間だからな。ただ、人に迷惑をかけない範囲でよろしく。


 気付けば彼女の顔には笑顔が浮かんでいる。この顔は、新しい何かを思いついた顔だ。そして次の瞬間には、楽しそうに嬉しそうに、考えたことを語りだすのだろう。


「まあ別に、私はあなたと一緒にいられれば、何でもいいんだけどね」


 ……おいおい。


 まったく。これだから、彼女はずるい。目を合わせることも出来なくなってしまうじゃないか。


「……あなたは、嫌?」


 ――まあ、仕方がない。


「別に、嫌じゃないが」


 結局、これもまた運命なのだろう。


 その笑顔を見るためなら、僕はどこまでも流されておくことにしよう。


 惚れてしまった弱み、というやつだ。

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