花火
ホウボウ
それは永遠のようで
――今日、その日が来た。
高校二年間と、一学期の分の復習もほどほどに終え、机の上に置いてある時計を見ると三時を回っていた。……いけない、このままじゃ間に合わない。
急いで机の上の参考書を片付けると、引き出しから口紅を取り出した――
*
川崎真琴、十八歳。現在受験戦争まっただ中の高校三年生。
そんな私は今日、どうしても特別な用事があって勉強を切り上げた。
今日は毎年欠かさずに行っている、地域でも有名な夏祭り。……でも、今年はそれだけじゃない。そう、花火を見に行くだけならば、こんな受験でも重要な時期に行く必要はないからだ。
そんな私を祭りに向かわせる理由――それは、隣の家に住んでいる同い年の男の子。小中高とずっと同じ学校に通う幼なじみだ。
……聞いてしまったのだ。彼が県外の大学――それも家から通えないような大学を志望していることを。
私は焦った。心のなかではずっと一緒にいるのだとどこかで思っていたのかもしれない。でも、それだけじゃない――私はそれを聞いた時にとても動揺したのだ。そして、気が付いた。
――――私は、彼のことが好きなんだと。
……だから、夏祭りの今日が、想いを伝える最後のチャンスになるかもしれない。
今日を逃せば、お互い忙しさは増し、会うことが難しくなるから。
と、そんなことを考えながらも支度を始める……
*
午後四時半、玄関のチャイムが彼が来たことを告げた。浴衣を着るのに少し手間取った(なんていったって初めてである)私は、
「ちょっと待ってよ」
と言いつつ階段を降りた。これ、少し歩きにくいな。
ドアを開けると、いつものようにすこしくたびれたTシャツを着て、細身のジーパンを履いた彼が
「遅えよ、真琴」
と少しだるそうな顔で言う。君はそんな格好でもいいかもしれないけど、私は今日、それなりの覚悟をしてるし――ということばを飲み込みながら、下駄を履き、母のお下がりの巾着を持つ。
「うるさい。巧」
と言いつつ、ドアを閉めた。
*
私の前を歩く君。こうやって彼の後ろを歩くのはいつものことで、どれぐらい前からなのかは思い出せない。
……いつもよりメイクもセットも頑張ったし、浴衣だって着た。それだってのに君はちっとも見てくれやしない。
「ちょっと待って、歩くの早いってば」
慣れない浴衣を着る私は、いつものように歩けない。戸惑っている私にやっと気がついたのか、やっとこちらを向いてくれた。……歩くスピードを落としてくれたみたいだ。
*
川にかかる、海がよく見える大橋の上は、花火がよく見える、ということで有名ですでに多くの人でごった返していた。それを横目に見ながら河川敷の屋台へと向かう。
ベビーカステラの甘い香り、焼きそばのソースの香り、フランクフルトの焼ける香り――様々な香りと人があふれる中を、二人で進む。道中、私はかき氷と焼きそばを(香りの誘惑には勝てなかった……)君はわたあめとサイダーを買って、人混みを抜けた。
小学生の頃からずっと一緒に夏祭りに来ていた私たち。いつだったか、花火を見るための”穴場”を見つけていた。――それは、海とは反対方向の山の上にある小さな神社で、高さのおかげか綺麗に花火が見えるのだ。そして、人が少ない。
人混みを抜けたあと、いつものように海とは反対方向の山へと向かう。終始無言な君。あまり口数が多い方ではないのがわかっていても、いつもとは違う私に対して、何か言ってくれてもいいんじゃないの? と期待していたその時だった。
鼻緒が、切れた。
履きなれていない下駄を履いた罰なのか、それとも君に悪態をついた罰なのかはわからないけれど、少なくともその時の私はひどく落ち込んだ。
「ごめん、巧。鼻緒が切れちゃった」
「鼻緒って? ……ああ、下駄の紐か」
下駄の紐扱いしたよ、こいつ。
「先、行ってて。家に靴取りに行ってくるから」
「もう五時半回ってる。今から家に戻ったら花火に間に合わねえよ」
「それでも……」
「浴衣にスニーカーは似合わないだろ」
浴衣ってことは意識してくれてたのね……と思ったその時だった
「……だから、おんぶしてやるよ」
衝撃的な言葉が君の口から出てきた。それがあまりにも衝撃的すぎたので、
「え」
と聞き返してしまった。
「二回は言わないから」
「……うん」
ときたま何を考えているかわからない。あまり期待せずに”友人”としての申し出だと思ったほうがいいのかな……。
そんなことを考えていると君はかがみ、背中に乗れとジェスチャーをしてくる。
「背中、広くなったね」
「まあな。もう十八――十年以上の付き合いになるんだし、そう思っても仕方ないだろ」
笑えない。私は十年以上ずっと君のことが好きなのに。私は、ただただ
「うん……」
と応え、背中に体重を預けるのが精一杯だった。
彼の背中に乗ると、ゆっくりと景色が流れていく。そうこうしてるうちに、神社の階段に到着していた。が、なぜか足を停める――
「? なにかあったの?」
「その……」
歯切れ悪い様子の君。そういうところがモテないんだよといつもならツッコんでいるが、今日は特別だ。
「その、真琴がおも……」
言い切る前に殴ってやった。
「いってえな! 何しやがる!」
「乙女に体重の話をする方が悪いっ! これでも気をつけてる方なんだから!」
ぽかぽかと殴りながらも、どちらも笑顔だ。
「――やっと笑ったな」
「え?」
「今日の真琴、なんかいつもよりも笑わないから……楽しくなかったのかと思った」
……そんなふうに見えてたの。私は君と一緒なら楽しいんだよ、なんて言葉を飲み込みながら
「そんなことないよ」
と言った。
「……それよりも、どうやって階段登るの?」
「ん……ちょっとチャレンジはしてみるけど、期待しないでくれ」
というと、私の体を抱え直し、階段を登ろうとするが――
「やっぱ無理」
「はあ……頑張って登るわよ……」
思ったよりも重労働だった。
*
やっとの思いで階段を登り切った。街と海が見渡せる絶好の眺めの中、焼きそばのパックを開く。
「食いはじめるの早いな」
「うるさい。花火はゆっくりみたいの」
それもそうだなぁ……と考えてるの、顔に出てるよ。
そんなふうに、いつもと変わらない――いつも以上に普通な時は終わりを告げた。
「あの、さ」
「なに?」
「俺、好きな子がいるんだ――」
「…………」
まさか、という思いが駆け巡る。と、同時に誰の話なのか、怖くなった。
「……で? なんで私に言うのよ、そんなこと」
「実は、今日、告白しようと思ってさ――」
……馬鹿なの? なんでそんな話私にするのよ! という怒りが体中を駆け巡る。次の瞬間には、
「そ、そんなのその子に直接言えばいいじゃない!」
と怒鳴っていた。
「……ごめん」
「だって――その子がどう思ってるかはわからないけれど、伝えたほうがいいことだってあるじゃない」
……沈黙。なんで、こういうときに花火は上がってくれないのだろう。言葉が続かない。
「そうだな……」
沈黙を破ったのは、君だった。
「真琴、君のことが好きだ」
…………今、なんて言ったのだろうか? 少し身体がこわばる。
「その……こんなこと言うのは迷惑かもしれないけど、さ。もう、このチャンスを逃したら一生言えないと思って――」
迷惑? 何が迷惑なの?
「それでも、これだけは伝えておきたかったんだ」
ああそうか。君はいつもそうだ。自分に自信が持てないし、人に対して遠慮してしまう。
でも、今日は覚悟を決めてきたのか。そう思うと、自然に涙が溢れてきた。
「ちょ、な、何泣いてるんだよ」
「うるさいっ」
「――私も、巧のことが好き」
「え?」
「二度も言わないっ!」
……言っちゃった。もっといろいろシチュエーションとか切り出し方とか考えてたのに。
「その……うん」
「なによその返事は!」
「いつもどおりの真琴だな、って」
かあっと顔が熱くなっていくのがわかる。こんなに恥ずかしいものだったっけ。
「……もう知らないっ」
「ちょ、そんなに怒らないでくれよ……俺なんか悪いこと言ったか?」
自然と手が伸びてくる。私はそれを避けようともせず、ただそっと、自分の手を重ねる。
「その足りない頭でよーく考えなさいっ!」
真面目に考えだす君の様子がなんだかおもしろく、ふふっと笑ってしまう。
いつもどおりの。それでいていつもとは違う、濃く特別な時間が流れていく――
気がつくと、一発目の花火が上がっていた。
花火 ホウボウ @closecombat
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