4.


4


カタカタ、と規則的な音が響いている。

ぼんやりとした意識から引き揚げられ、私は目を覚ました。

目の前には見慣れたものとは違う天井。違和感を感じながらも、身を起こす。

私の横たわったベットの傍に彼はいた。私に背中を向け、胡座をかいて座っている。膝に乗せているノートパソコンに何かをひたすら打ち込んでいる姿は真剣そのもので、時折忙しなく動かす指を止めては何か思い悩んでいるようだった。

私の視線には全く気付かない。

私は部屋をぐるりと見た。部屋にあるのは、このベッドと背の低いテーブルぐらいで物が少ない。その中で目をひかれたのは部屋の隅にある本棚だった。かなり大きいもので、ぎっしりと本が並んでいる。彼はきっと読書家なのだろう。

想像を巡らせていると、彼が唐突に振り向いた。


「気分はどう?」

「………だいぶ、良くなりました」

「家まで送るつもりだったけど、寝ちゃったから。部屋番号もわかんないし、とりあえず俺の家で寝かせてた。お節介だったらごめん」


頬が一気に熱くなった。他人に背負われたまま、寝てしまうなんて。迷惑にも程がある。


「こちらこそ、ごめんなさい。お世話になりました」


私がベッドから出ようとすると、それを諌めるように彼は手を振る。


「身体まだきついでしょ。良かったら朝まで寝てなよ」


彼は立ち上がると膝に乗せていたノートパソコンを鞄に入れた。


「家出る時、鍵ポストに入れといて」


彼から鍵を手渡される。どうやら彼は私を残してこの家を出るようだ。私は鍵を突き返した。


「私が出て行きますから!もう充分元気になりましたし、これ以上お世話になるのは」

「そう言いながらもまだ顔色悪いよ。道端でぶっ倒れてる方が迷惑だからね」


私の反論を遮ると、彼は強引に鍵を握らせてくる。


「朝までゆっくりしときなよ。好きにしていいから」


そう言うと、彼は外に出ていってしまった。家に一人、取り残された私はどうすればいいんだろう。

ベットサイドには風邪薬と水が置いてあった。飲んでもいいってことだろうか。「好きにしていい」と確か彼は言ったはずだ。

錠剤を喉に流し込むと、私はもう一度ベットに入った。

他人の、それも男性の家に上がり込んで、ベットに入るなんて常識的ではない。

彼が家を出たのは、恐らく「私に気を使って」だ。

言葉はぶっきらぼうだけど、親切な人_______。


ピンポーン、とその時インターホンが鳴った。彼が帰ってきたのだろうか、それとも来客?

ベットから起き上がり、玄関まで向かうと恐る恐る覗き込んだ。

越しに見えたのは彼ではなかった。若い男性が茶封筒を手に立っている。

ピンポーン、もう一度インターホンが鳴る。申し訳ないが、ドアを開けたところで私は何も対応できない。この家の主は不在で、尚且つ私は偶然にも転がりこんだ他人なのだから。

ベットに戻ろうとすると、またインターホンが鳴る。これほどしつこいということは何か急用で訪ねてきたのだろうか。


「はい」


悩んだが、私はドアを開けた。


「八雲先生は!?中にいらっしゃいますか!!」


ドアを開けた瞬間、鬼気迫る勢いできっと八雲先生とは恐らく名前も知らぬ、煙草の彼のことだろう。


「いいえ、いません。つい先程出られましたよ」


私の言葉に男性は肩を落とし、頭を抱えた。


「逃げられた………」

「あの……何か急用でも?」


男性はスーツのポケットから名刺を取り出すと私に手渡す。


「すみません、挨拶が遅れました。夢島社の五十嵐と申します。八雲先生の担当編集です」

「担当編集………」


本棚にびっしりと敷き詰められた小説と、自宅に訪ねてくる出版社の人間。

彼は、書くことを生業としているのだろう。


「また、時間をおいて改めて来ますね。突然すみませんでした」

「……いいえ、こちらこそ。」


五十嵐さんはそう言うと、帰っていった。

びっしりと並べられた本棚をもう一度見てみると、見覚えのあるタイトルが目に止まった。思わずその小説を手に取ってみる。著者名は「八雲 薫」。この小説は確か、大ベストセラーになっていて、映画化が決まっていたはずだ。まさか、「煙草の彼」が人気小説家だったなんて。

ああ、なんだかもう目眩がする。とんでもなくすごい人に助けられてしまった。


「頭冷やそう…………」


私はもう考えるのをやめて、もう一度布団に潜り込んだ。

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夜の太陽朝の月 雨宮 柊 @mozuku_sun

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