第73話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』最終回


 激しいドラムソロが終わると『ファイナルディナー』名物の「ひっぱりアウトロ」が始まった。


 公彦と哲也はステージの上に両膝をつき、リフをこれでもかと繰り返した。その周りを、小動物のように軽やかに飛び跳ねる一つの影があった。涼歌だった。


 こんな『ファイナルディナー』があってもいい、と俺は思った。いつもはこのあたりで登場する涼歌だが、今日はステージのオープニングから出ずっぱりなのだ。


ステージの前には、新しい「引っ張りアウトロ」に熱狂する観客の姿があった。


 いいぞ。このまま、ラストナンバーだ。


 俺は一生懸命に頭を振る観客たちを眺め、ほくそ笑んだ。観客席の両側には商店街の店先が、はるか後方まで続いていた。ここは『新居部あらいべ商店街』のアーケードなのだ。


 今日のステージは商店街後援による『リバイバルブート』と『ロストフューチャー』のワンコイン・ジョイントライブだった。アーケードの真ん中に、鉄骨を一切使わず見事なステージセットを作ってくれたのは『来栖美装』。


 チケットとセットのドリンクを提供しているのは『シャングリラ・カフェ』。俺の『アストロX・スペースホークα』型ベースをデザインしてくれたのは『来栖美装』でアルバイトしている美大学生だ。そして観客の半数は商店街の関係者とその家族だった。


 哲也と公彦がステージの左右に分かれ、再び涼歌がセンターに位置した。マイクを手に飛び跳ねる涼歌は、蜘蛛の巣模様の刺繍が入ったブラックデニムに、泥まみれ風の模様がプリントされたTシャツ、そして右胸に銃弾で撃ち抜かれたハートの刺繍が入ったずたぼろのデニムジャケットといういでたちだった。


 このコーディネイトは『古品洋品店』の気合の入ったオリジナルで、コンセプトは「地上で一番美しいゾンビ」だった。


 前髪を分けている短剣の形のヘアピンや、ポニーテールをまとめている、真っ白な生地にローズレッドの血しぶき模様が散ったシュシュも、アーケードの路上でアクセサリーを販売している若者たちがデザインしたものだ。


 涼歌は、くるくると回りながらさらに高くジャンプした。黒いシルクのチョーカーにあしらわれたシルバークロスと赤いスワロフスキーが、照明を受けてミラーボールのようなきらめきを放った。俺は完成した衣装を涼歌と受け取りに行った時の事を思い出した。


『古品用品店』の店主夫人は、ステージ衣装を身に纏った涼歌を見て「ファンディちゃん、うちの娘になりなさい」と興奮気味に言い、いかつい店主は「巡君、悪いがファンディを君の嫁にやるわけにはいかん」と親でもないのにわけのわからないコメントを寄越した。


 跳ね回る涼歌を眺めながら俺は、彼らの言葉に妙に納得していた。たしかに、ステージ上の涼歌は生命の躍動美そのものだった。


 ドラムロールが遅くなり、涼歌が焦れたように足踏みをし始めた。やがて、涼歌のひときわ高いジャンプに合わせて、演奏が終了した。十二秒の沈黙の中、がくりと首をうなだれて、ネクストナンバーのカウントを待っている観客の姿がまるで宗教画のように見えた。


 目の前で熱狂している観客の約半数がゾンビであることを涼歌やバンドのメンバーが知ったら、どう思うだろう。


 『新居部商店街』はそのテナントの全てがゾンビの経営する店舗であり、今回のライブは「おやっさん」こと藤村昭三の取りまとめによって実現した物であった。声をかけると、商店街の店主たちがこぞって名乗りをあげてくれたのだった。


 俺はふと、自分はやはりとっくに死んでいて、目の前の風景は幻なのではないかという想像に捕われた。こんなことが実現するなど、生き返った当初は考えもしなかった。


 薫がドラムスティックを鳴らし始めた。観客の目が一斉に見開かれた。


「いくよっ、『天国からの帰還!』」


 涼歌が叫ぶと、ステージ上に『スリー・ダイナマイツ』の三人がせり上がってきた。

 エリカたち三人は今どき幼稚園の発表会でもなかなかお目にかかれないショッキング・ピンクのドレスに身を包んでいた。


 実はこの「せり」は人力だった。ステージの下で窮屈な思いをしたであろうエリカは、メインボーカルを食いかねない満面の笑みを浮かべていた。「せり」を持ち上げた裏方の苦労を思い浮かべ、俺は三人の無事な登場に感謝した。


 涼歌の澄んだ歌声がアーケードに響き渡り、ステージと観客との間に一体感が生まれた。俺は聞き着なれた『天国からの帰還』に新たな生命が吹き込まれたように思った。

 

 誰一人信じられなくなって 君のいない場所へ旅立った


 遠く暗い 凍える世界で 何度も君を探す夢を見た


 観客席の中には、先に演奏を終えた『ロストフューチャー』のメンバーもいた。ユキヤにキエフ、そしてユキヤの傍らでは彩音が体を揺らして演奏に浸っていた。


 何度かファンディのステージを見ているうちにいつの間にかファンディの大ファンになり、ライブの常連になった『グレイトフル・サッド』のオーナーも手拍子を送っていた。


 二度とは戻れないと 諦めたこの場所に


 僕は帰ってきた 凍ったハートのままで


 最前列では「セッちゃん」と「和江さん」がステージ上のメンバーに黄色い声援を送っていた。よく見ると二人の手にはそれぞれ「TETHUYA」「TAISA」と書かれたうちわが握られていた。二人に連れられてやってきた昇太もぴょんぴょん跳ねながら、必死でリズムに乗ろうとしていた。


 そして一番端の席で、ニヤニヤしながら手拍子をしているのは柳原だった。どうせ、演奏が終わった後で「良かったけど、ここがイマイチだった」などと言うのだろう。そう思いつつ、不思議とそんな軽口を楽しみにしている俺がいた。


 君の吐息で 僕は動き出す たとえ死んでいても


 君の言葉で 僕は甦る たとえ灰になっても


 真ん中あたりにいるのは『アイアンロックス』のマスターと美倉だった。マスターはTシャツに柔道着のような不思議なアウター、美倉はジーンズに太めのベルト、前をはだけた黒のベストという個性的なコーディネイトだった。今どきの子たちにはわからないだろうが、オビワン・ケノービとハン・ソロのコスプレだ。


 観客席の後方には、少し恥ずかしそうに体を揺らしながら、ステージを見つめている加奈の姿もあった。俺は最後列に視線を向けた。盛り上がっている観客たちの間に、麻里花の姿が見え隠れした気がしたからだった。ほんの一瞬、俺の目に映った麻里花は、少しだけ寂しげではあったけれど、たしかに微笑んでいた。 


 二度目のサビが終わって間奏に入ると、涼歌はソロを演奏するメンバー一人一人の隣に寄り添って一緒にリズムを取り始めた。最後のサビの直前、涼歌はステージ上を端から端まで駆け「一緒に歌って!」と観客に懇願した。


 一秒でいい 真夜中でいい この僕が見えるなら 君に伝えたい

 

 天国でもいい 地獄でもいい この歌が届くなら 君に聞かせたい


 観客席から大合唱が沸き起こった。涼歌は何度も叫び、ターンし、跳んだ。ステージと観客席との間で、目に見えない巨大なエネルギーがやり取りされているような気がした。


「……てるって、カンジ」


 最後のロングトーンの後、涼歌が一瞬俺の方を振り向き、何かを口にした。


「えっ?……なんだって?」


「……生きてるって、感じ!」


 涼歌はそう叫ぶと、思い切り跳んだ。高く結い上げたポニーテールがふわりと揺れ、哲也がギターのネックを高く掲げた。俺はピックアップに指を掛け、最後の一音を弾いた。


                〈了〉

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生きぞこない☠ゾンディー 五速 梁 @run_doc

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