第72話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第二十五回


 俺は声のしたほうを見た。巨大な装甲車がゆっくりとこちらに向かってくるところだった。装甲車の開け放たれた上部ハッチから、マイクを手にした男性の姿が覗いていた。


 星谷守!


 俺は唖然とした。還人協会の幹部の前にさえ、滅多に顔を見せないという星谷が今、往来の真ん中で衆人の前にその姿をさらしていた。


「泉下君。君にはまったくおそれいる。君の軽率なふるまいのおかげで、私までこんな場所に出てこざるを得なくなった。いい迷惑だよ」 


 星谷は呆れたような口調で言い放った。その表情は、どこか愉快そうでもあった。


「短時間でこれだけの同胞を集めるのにはずいぶん、骨が折れたよ。……今回は特別だ」


「ありがとう、星谷さん……この借りはいつか必ず返します」


「私は貸しは作らない。君には私などより感謝すべき相手がいるはずだ」


 星谷はそう言い放つと、車上から通りを睥睨した。たしかに言う通りだと俺は思った。


 ゾンビ群衆と狙撃手の小競り合いは、圧倒的にゾンビたちの方が優勢だった。銃を叩き落された狙撃手たちは、丸腰になったところを周囲のゾンビたちから手当たり次第にうちのめされ、一人、また一人とその場から逃走し始めた。


 通りはもはや戦いと言うよりただの乱闘と言っていい状態であり、俺は着のみ着のまま、敵と戦いを繰り広げている同胞たちのたくましい姿に、不思議な頼もしさを感じていた。


「やめたまえ!戦いは終わりだ。双方、武器を収めたまえ」


 唐突に、通りに声が響き渡った。星谷の声ではない、もっとどすの効いた声だった。


「私は設楽存。このたびは私の監督が行き届かずこのような事態になってしまい、責任を感じているところだ」


 俺は言葉を失った。星谷が現れたと思ったら、今度はブラックゾンビの総元締めまで現れるとは。まったく、異常な事態としか言いようがなかった。


「星谷君、君なら理解していると思うが、このような全面対決を、我々は望んでいない。まだ共存という状態には程遠いが、我々は必ずしも敵対するものではない」


 星谷を乗せた装甲車の、俺たちのいる破砕車を挟んだ反対側に、もう一台の装甲車が停車していた。装甲車の車上に、がっしりした体躯の中年男性がいた。

 あれが設楽存に違いない。設楽はまるで群衆に睨みを利かせるように、ぐるりと周囲を見回した。


「意図せずしてこのような大事になってしまったが、ここは私の顔を立てて、矛を収めてはくれないだろうか」


 設楽の口調はあくまで紳士的なものだった。……もっとも、その声に含まれる威圧的な響きは、彼の配下でなくとも緊張せずにはいられないものだった。


 通り全体をしばしの間、沈黙がつつんだ。……と、ほどなく豪快な笑い声が響き渡った。


「いい仲裁だ、設楽君。確かにこのような小競り合いを続けていても、お互いに利するところはなさそうだ。君の提案に乗らせてもらうとしよう」


 星谷は珍しく朗らかな口調でそう言い放つと「我々は休戦に応じる。戦いをやめたまえ」と宣言した。星谷の言葉に、それまで通り全体にみなぎっていた緊張感がふっとゆるんだ。


「諸君、私はこの辺で失礼する。諸君も怪我をしないうちに帰りたまえ……以上!」


 星谷が車内に姿を消すと、装甲車は轟音とともにゆっくりと向きを変えた。俺は涼歌とともに破砕車から路上へと降り立った。俺たちの前にわずかに残った敵の軍勢が立ちはだかり、一斉に銃を構えた。


 俺は『悪霊の爪』を元の形に戻すと、両手で涼歌の身体を抱き上げた。両腕など使えなくても構わない。もう戦う必要はないのだ。


「ファンディ……今度は、俺の命を君に全部やる。君を絶対に死なせない」


 そう、涼歌を生きて逃がすことだけが、今の俺がなすべきただ一つの仕事なのだ。


 俺は大きく息を吸うと、一歩前に進み出た。全身の粒子が足に集まるのがわかった。


「ゾンディー……歩いたりしちゃ、死んじゃうよ」


「大丈夫だ。しっかりつかまってろ。……何があっても、俺の傍を離れるな」


 俺は残ったすべての力を、ある一つの能力に注ぎ込んだ。反射と瞬発力を極限にまで高め、通常の人間の数十倍の速さで移動できる特殊能力『韋駄天』だった。


「いくぞ!」


 俺は駆け出した。敵が俺たちに銃を向ける動作が、まるでスローモーションのように見えた。『韋駄天』の最中は一切の攻撃ができない。身をかわすことと走ること、跳躍すること。この三つしかできない。

 ……が、今はそれで充分だった。敵のいないところに涼歌を連れ出しさえすれば、それでいいのだ。


 俺たちは風のように駆け、敵の包囲をやすやすとかいくぐっていった。あと少しで敵の輪の外に出る……そう思った時、俺は異変を感じた。

 足が重い。『韋駄天』の発動時間は数分だ。体力が奪われていることもあり、予想外に早く速度が減じていたのだった。


「ファンディ……跳ぶぞっ」


 目の前に銃を構えた数名の敵が立ちはだかっていた。俺は思いきり地面を蹴った。


気が付くと俺たちは敵の頭上を飛び越え、空中にいた。全てが止まったかのような風景の向こうに、トラックの荷台が見えた。


 しめた!


 どん、と両足に強い衝撃があった。俺は涼歌を抱きしめたまま、トラックの荷台に無事、着地していた。と、同時に背後から威勢のいい声が聞こえた。


「おう、お客さん、どちらまで?」


 運転席から顔を覗かせたのは、美倉だった。俺は「彼女が眠れる場所まで」と言った。


「あいよっ。新婚さん一組、ご案内っ」


 美倉はそう言うと、トラックを勢いよく発車させた。走り出してほどなく、トラックの後方で爆音が轟いた。驚いて振り返ると、通りのあちこちから続けざまに火の手が上がっているのが見えた。


 誰かが爆発物を仕掛けたのかもしれない。紅蓮に染まる空を眺めながら、俺は自分が決して戻ることのできない道に踏み込んでしまったことを悟った。


 空を染めているあの赤は、これから始まる戦いの幕開けの色なのだ。


             〈最終回に続く〉

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