第71話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第二十四回
後方でどすんと言う鈍い音が聞こえ、見ると逢賀が地面に這いつくばっていた。
「ひ、ひいっ、助けてくれっ」
逢賀はこけつまろびつしながら、後方で待機している部下の元へ駆け戻った。俺は銃口を逢賀に向けたまま、運転席のドアに手をかけようとした。……が、それより一瞬早く、何かが背後から俺の身体を貫いた。
撃たれた、そう思った次の瞬間、立て続けに数本の矢が俺に向かって放たれた。矢のうちの何本かは確実に肋骨の間を抜け、肺を突き破っていた。
「うう……」
俺は両膝をつくと、ゆっくりと前のめりに倒れていった。『サイレント・ミスト』が回り始めたのか、全身からありとあらゆる力が急速に奪われてゆくのがわかった。
ここまでか……。俺は観念した。ゾンビにとっては何という事のない出血が、回復力を奪われた今、俺の身体に確実に「死」をもたらそうとしていた。このまま終わってたまるか、そう呟いて渾身の力で体を起こしたその瞬間、正面から胸と腹部に数本の矢が撃ち込まれた。
「ぐふっ」
俺は口から大量の血を吐き出すと、そのまま仰向けに倒れていった。背中に刺さった矢が臓器を突き破って身体の外に飛び出し、血が噴水のようにとめどなく溢れるのが見えた。
――これで終わりか。
俺が死を覚悟した、その時だった。
何かが俺の上に覆いかぶさってきた。重く、湿った匂いのする柔らかい物体だった。
「死なないで、ゾンディー!死なないで!」
――凉歌?
「馬鹿野郎……なんで……戻ってきた」
俺は必死で体を起こそうとした。このままでは敵の的にしてくれと言っているような物だ。だが、涼歌は俺を自由にさせまいとするかのように、身体にしがみついていた。
「動かないで。動いたら死んじゃう!」
「俺……大丈……だ……」
「大丈夫なわけないっ……こんなに……こんなに血が出て!」
涼歌の叱咤めいた叫びが俺の耳に突き刺さった。駄目だ、今すぐ逃げろ……これ以上、救えない人間を増やさないでくれ……
「ゾンディー、お願いだから……私の命をあげるから死なないで!」
俺の耳に銃を構える音が聞こえた。次の瞬間、すぐ近くで矢が弾かれる音が響いた。威嚇のための発砲に違いなかった。それでも涼歌は俺の身体から離れようとはしなかった。
凉歌は震えていた。恐怖に耐えているのだ。そう思った瞬間、俺の中で何かが炸裂した。
この野郎、いつまでも好き放題できると思うなよ。
俺の身体の奥深いところで、何億という生命の微粒子が一斉に弾け出した。筋肉が、神経が、それぞれ意志を持った生物のようにうねり、躍動を始めた。
「ゾンディー……ゾンディー……」
凉歌の声が徐々にか細くなっていった。次の瞬間、俺は右腕を上げ、涼歌の背中をかばうように抱きすくめた。
身体の下で死にかけている俺の予期せぬ動きに驚いたのか、凉歌がピクリと動いた。頬に吐息を感じ、俺はゆっくりと目を見開いた。すぐ近くに凉歌の顔があった。
「ゾンディー……?無事なの?」
驚きと喜びに見開かれた両目を、俺はまっすぐに見返した。
「ああ。俺は死人だ。そう簡単には死なない」
俺は涼歌を抱きすくめたまま、ゆっくりと上半身を起こした。体の至る所からまだ出血が続いていたが、体の奥深くよりとめどなく湧き上がる力を奪うことはできなかった。
俺は周囲を見回した。数十名の狙撃手が俺たちをぐるっと取り囲んでいた。どうやら倒れている間に新たに増援部隊が到着したらしい。俺は左腕に涼歌を抱き、立ち上がった。
右腕に粒子が注ぎ込まれ、手首から先に爆発するような感覚をもたらしていた。爪が尖り、指が一気に数十センチほど伸びた。通常の数倍の長さの『悪霊の爪』だ。
数人の狙撃手が、俺に向けて発砲した。俺は体を回転させ、襲ってくる矢を片っ端から叩き落とした。俺の研ぎ澄まされた感覚は、狙撃手の挙動を完ぺきにとらえていた。三百六十度、どこにいても身じろぎだけで次の行動が予測できた。
「道を開けろ」
俺は周囲を取り囲んでいる敵に向かって吠えた。突破できるかどうかはわからない。……だが、たとえ全身を蜂の巣にされたとしても、生命の最後の一滴が尽きるまで涼歌には指一本触れさせない……俺はそう誓った。
俺は涼歌をかばう腕に力を込めると、キャタピラカバーに足をかけた。正面の狙撃手が一斉に銃を構えた。俺は『悪霊の爪』を顔の前にかざした。狙撃手の指が引き金にかけられるのがはっきりとわかった。来るなら来い!
地上へ降り立とうと足を踏み出しかけたその瞬間、あちこちから短い悲鳴が上がった。
複数の狙撃手が、後方を振り返った。俺は足を止め、敵の視線を追った。そして信じられないような光景を目の当たりにした。
敵の輪の外側を、通りを埋め尽くすように何百という数の人間が取り囲んでいたのだ。
これはいったい……?
俺は目を瞠った。通りを埋め尽くした人の群れは、野外劇の役者のように千差万別だった。
交通整理の制服に身を包んだ男性、店から飛び出してきたような水商売風の美人、ネクタイを締めたビジネスマン、割烹着姿の料理人、エプロンをつけた主婦……この街で暮らすゾンビたちが一堂に集結していた。
俺がごみ溜めのようだと侮っていた小さな町に、こんなにも多くの死者がいたのだ。俺の中で、何かが激しく揺さぶられた。死者は墓の下になどいない。生者の隣で、彼らの生活を支えているのだ。
「なっ、なんだこいつらはっ」
敵の上げた悲鳴に反応するかのように、乱闘が開始された。突然の闖入者に虚を突かれた狙撃手たちを、ある者は鞄で殴り、ある者はフライパンや鍋で攻撃した。
武装した敵を恐れることなく果敢に立ち向かう姿に、俺は知らず胸が熱くなった。しばらくすると信じられないことに、襲い掛かる一般人の勢いに恐れをなして退却する敵の姿さえ見られ始めた。
今なら、包囲網を突破できるかもしれない、そう思った時だった。
「この辺で降伏したまえ。もう君たちに勝ち目はない」
突然、スピーカーを通した男性の声が、通り全体に響き渡った。
〈第二十五回に続く〉
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