十六夜はカクテルの香り

氷室 龍

第1話 Olimpic~待ち焦がれた再会~

――――――――東京駅・丸の内北口――――――――


赤レンガ駅舎の復原で観光客も多く訪れるようになったこの場所に一人の男が降り立つ。イタリア製の高級スーツに身を包んだその男は今で言うところの【アラサー】という奴だ。日本人にしては珍しい190㎝近い長身にモデル顔負けの甘いマスク。鼻筋も通っていて、その切れ長の目に見惚れる女性は後を絶たない。すれ違いざまに女性に振り替えられることは日常茶飯事。

そんな彼の名は一之瀬潤。

一之瀬キャピタル専務・一之瀬智の長男で一之瀬家の後継者候補である御曹司。だが、潤は『一之瀬家の御曹司』という呼び方が好きではなかった。何故なら、本来自分は一之瀬家を継ぐ立場にはなかったのだから。


潤の父・さとしは祖父・一之瀬源三郎の三男で末っ子。簡単に言うとサブのサブ、そんな位置づけだった。それが一変したのは伯父・和也かずなりの出奔である。

ラグビーをやっていた上に護身術として格闘技を体得していた和也は『自身の体力の限界を知りたい』という理由で渡仏し、所謂いわゆる『外国人部隊』に入隊してしまったのだ。だが、祖父・源一郎は『そのうち帰ってくるだろう』と暢気に構えて手を打たなかった。実際、和也は初期契約の5年を終えると外国人部隊を除隊した。

皆は帰国するだろうと思っていたのだが、そこは突拍子もない行動に出る和也。ロイヤルアスコットで知り合ったという日本人女性と結婚し、ルクセンブルグで『I.N.ファンド』を立ち上げて独立してしまう。流石の源三郎もこれには慌てふためいたが、後の祭り。全く戻る気配のない長男・和也を諦め、次男・しょうを後継者とし、三男の智にはその補佐役を言い渡したのだ。

その結果、翔の一人娘・雫と智の長男である潤が次期後継者候補として名が上がることとなったわけである。


とはいえ、あくまでも『後継者候補』でしかない潤は一族とは関係ない企業に身を置くことにした。経営学や金融界を渡り歩くためのスキルを身に着けるためだ。引く手あまたであったが、従兄の雅紀の誘いもあって『I.N.ファンド』を選んだ。そして、今日は久々の帰国だったのだが…。


(なんで、こんなことになってるんだ?)


潤は一人、大きなキャリーバッグを引きながらため息をついた。発端は二時間前の成田空港。入国審査も終わり、荷物も受け取ったのでスマホの電源を入れた潤は迎えを頼むために明日香に電話をしたのだが…。


「俺だ。 今空港に着いた。」

『あ~~~。 ごめん。』

「は?」

『今さぁ、トルコから大事なお客さんが来てて席外せないんだよ。』

「なんだ、それ?」

『申し訳ない! 今夜はどっかホテル取って!!』

「お、おい!!」

『あ、佳織さんが呼んでるから切るね。』

「明日香!!」

『ツーッ、ツーッ、ツーッ。』


電話は一方的に切れてしまう。あまりにも酷い扱いである。


「俺、一応後継者候補なんだが…。」


ため息をついても始まらないので行動を起こすことにした。すると、懐かしい人からメールが届く。高校の先輩である雨水顕政からだった。潤はすぐに連絡を取り、彼の指示でこの東京駅で落ち合うことした。顕政は車を出してくれ、トランクに荷物を詰めてくれる。


「それにしても随分雑な扱いだな。」

「仕方ないですよ。

 どちらかと言うと雫の方が後継者としては一歩リードしてますし…。」

「ははは…。」

「なにより、今回呼び戻されたのはあいつが入籍したからですしね。」

「相手はかなりのやり手なんだって?」

「ええ、香港の貿易会社の専務で、今回日本支社を立ち上げそこの支社長になったとか。」

「ほう。 それはまた…。」

「おまけに、妹も婚約したっていうんですから…。」

「それは肩身が狭いな。」

「まぁ、いいんですけどね。」


潤は外の景色をぼんやり眺めるのだった。顕政は気分転換をさせるべきだろうと思い一つの提案をする。


「潤、今夜は飲みに行かないか?」

「先輩の奢りなら行きますが。」

「勿論だ。 面白いバーがあってな…。」

「面白いバー?」


そこで、潤が訝しんだように眉間に皺を寄せる。それは昔聞いたハプニングバーというヤツを思い出したからだ。パリやロンドンの社交界にもある、ある種上流階級の嗜みといった場所。それが東京にも存在した。

確か『Dulceドルチェ Nocheノーチェ』という名のバーだったと記憶している。潤もそうだが、顕政も上に立つ人間ならばそう言ったバーに出入りしてもおかしくないのかもしれない。尤も潤はそう言った場所が苦手であるのだが…。


「潤、お前、何か変な誤解をしていないか?」

「へ?」

「言っておくが、俺の言っている『面白い』というのはそこのバーが週に一度しか開いてないってことだ。」

「週に一度?」

「金曜の夜だけやっているんだよ。」

「何でまた…。」

「マスターには本職が別にあって、趣味でやってるんだ。」

「趣味でバーですか。 随分と高尚な趣味ですね。」

「というか、亡くなったお祖父じいさんの残した店を潰したくなかったからだそうだ。」

「何で…。」

「マスターの本職は建築家なんだ。

 独立する際にそのお祖父さんが持っていたビルの一室を事務所として提供してくれたそうでな。

 店を引き継いだのもその恩返しだと言っていたよ。」

「なるほど…。 でも、本業があるから毎日店を開けるのは無理。

 だから、週に一度だけ店を開ける。 そういう訳ですね。」


顕政はコクリと頷く。そう言うことなら、と潤はその誘いを受けたのだった。


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その夜、潤が連れてこられたのは麻布十番にある雑居ビルだった。地下へ向かう階段を降りた先にあったのは黒光りする樫の木の扉。そこには『Pleineプレーヌ Luneリュンヌ』と書かれた看板が掛けられており、顕政がそのドアを開けると、カウベルの少し低いが心地の良い音が店内に響き渡る。


「いらっしゃいませ。」

「真央ちゃん、こんばんわ。」

「雨水先輩…。」

「今日は珍しい奴を連れてきたよ。」


潤は促されて店内に入ると、一人の女性がいた。

しなやかな長い黒髪を後ろで纏め、白のシャツに黒のVネックベスト、そしてストライプのネクタイを締め、黒のスラックスに黒のエプロン。にわか仕込みのバーテンダーとはとても思えない。

だが、それ以上に潤はその女性が見知った人であったがために息を飲み動けなくなった。それは向こうも同じようでこちらを凝視したまま固まっていた。


「望月…。」

「一之瀬君…。」


二人はひとりごとのように互いの名前を呼び合う。その女性は高校・大学と一緒だった望月真央。潤にとっては初めての恋人であり、初めて体を重ねた相手でもあった。二人の恋の顛末を知る顕政は肩を竦め苦笑いを零す。


「いつもの席に座っていいかな?」

「あ、は、はい…。」


顕政は勝手知ったるかの如く、カウンターのスツールに腰かける。潤もそれに続き、腰を下ろす。


「雨水先輩は何にします?」

「まずは泡かな。」

「わかりました。 い、一之瀬君は?」

「あ、お、俺、酒詳しくないから…。」

「そうなの?」

「そう言えば、潤はお酒弱かったな。」

「うちは下戸の家系なんです。」

「あれ? 雫はザルだと思ったが。」

「あれは母方の水池が酒豪ぞろいなんですよ。」

「なるほど。 酒に関してだけは向こう水池の血を強く引いたという訳か。」

「そうだと思います。」

「なら、真央ちゃん、コイツに似合いのカクテルを一つ作ってやってくれないか?」

「わかりました。」


真央はバーバックからブランデーとオレンジキュラソーを取り出すとそれをシェイカーに同量注ぎ、冷蔵庫から取り出したオレンジを絞って加える。そして、慣れた手つきでシェイクしグラスに注いだ。


「へぇ、『オリンピック』か…。」

「オリンピック?」

「このカクテルの名前よ。」

「ふ~~~ん。」


潤はこの時知らなかった。カクテルにはそれぞれ隠された言葉があるということを…。

それを知るのはもう少し後のことである。


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お読みいただきありがとうございました。


オリンピックのレシピ

ブランデー、オレンジ・キュラソー、オレンジジュースを1:1:1の割合でシェークしてカクテル・グラスに注げば完成です。

オレンジジュースはその場で絞ったものを使用するのがベストですが、市販のジュースを使ってもいいそうです。


カクテル言葉は『待ち焦がれた再会』


【ロイヤルアスコットについて】

ロンドン郊外にあるアスコット競馬場で六月第三週に四日間開催される英国王室主催の競馬開催(Royal Ascot Race Meeting)のことです。

イギリスでは『ロイヤル・ミーティング』と呼ばれているそうです。

テニスのウィンブルドンや全英OPゴルフなどと並ぶ夏の大イベント。

優勝馬の関係者はレース表彰式で女王自ら優勝トロフィーが贈呈されます。

この開催にはドレスコード等様々な規約があります。

特に『ロイヤル・エンクロージャー』と呼ばれるエリアでは以下の服装が求められるそうです。

男性は黒かグレーのモーニングとトップハットもしくは軍服の着用

女性はフォーマルドレス&上下同じ素材のパンツスーツ、衣服に合う頭が隠れる帽子の着用

イギリス以外からの観客限定で観客本人の国籍の民族衣装が可能。(日本では紋付羽織袴や振袖など)

毎年華やかに開催されているようです。

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