こんにちは、おひめさま
ちいさなお姫様のこのところの関心事はどうやら『結婚』へと向かっているらしい。
「あのね、忍くん。忍くんはあまねくんといつけっこんしたの?」
お気に入りだという水玉のワンピースからすらりと伸びた足をお行儀よくぴったりと閉じたまま、ふらふらとせわしなく膝下を泳がせながら投げかけられる問いかけを前に、にっこりと笑いかけるようにしながら返答を返す。
「四年前だよ。りんちゃんがお母さんのお腹の中で早くみんなに会いたいなぁって待っててくれた時ね」
「じゃあけっこんしきはしたの? りんがまだあかちゃんだったからおぼえてないだけなの?」
じいっとこちらを見上げるまなざしに射抜かれるような心地になりながら、投げ返す言葉はこうだ。
「式はしてないけどね、写真だけ撮ってもらったんだよ。周くんねえ、王子様みたいですっごいかっこよかったんだよ。周くんいっつもかっこいいけど、あん時はいつもの百倍くらいかっこよかったからねえ。どこの王子様だろって、りんちゃんきっとびっくりしちゃうよ」
手放しの賞賛の言葉を前に、傍らのお姫様はと言えばどこか複雑そうに頬をふくらませてみせる。
おずおずと言った様子で、続けざまに返答の言葉が投げかけられる。
「忍くんも着たの? 王子様のお洋服」
「着たよ~。お店のお姉さんと周くんといっしょに選んだんだよ、いちばんかっこいい王子様に見えるのってどれがいいだろうね~って言ってねえ、すっごい楽しかったもん」
そりゃあもうこだわりましたとも。なにせ、人生一度きりの晴れの場なのですから。
いつも以上に照れくさいぎこちなさを隠せないまま、それでも掛け値なしの笑顔で、小物のひとつひとつに至るまで丁重な吟味に至ったあの日の記憶は、みるみるうちにあざやかによみがえるばかりで。
膝の上に抱えたお気に入りのくまのぬいぐるみに縫いつけられた大きなリボン飾りをいじいじと指先でいじるようにしながら、どこかいじけたような口ぶりで、ちいさなガールフレンドは尋ねる。
「あまねくんは忍くんの王子様なの?」
視線の先には、お姫様の産みの親であるところの友人夫婦と仲良く談笑をかわす、普段着に身を包んだ『王子様』のその姿が望まれる。
「だねぇ」
心からの賞賛の言葉を前に、どこか複雑なそぶりを隠せない色はますます広がるばかりだ。
まぁ自慢したいのは確かだけれど、もちろん悲しませるつもりなんてものはすこしもなくって。打ち消すようににっこりとあざやかに笑いかけながら、かける言葉はこうだ。
「でもね、俺のお姫様はりんちゃんだけだよ。あとでパパとママと周くんにも聞いてみな? りんちゃんが世界でいちばんのお姫様だってみんな言ってくれるよ、きっと」
「……りんは忍くんだけでいいもん」
ささやくようにぽつりと投げかけられる言葉に酔いしれるような心地でそうっとやわらかな髪をなぞりあげれば、ぷっくりふくらんだまぁるい頬はかすかなばら色に染まる。
「いまどきのディズニープリンセスって結婚しないって聞いたんだけどさ、やっぱそれとは別なんだろうね。まぁさ、どうせいまだけなんだろうけどさぁ」
すっかり通い慣れた家路へと着く道すがら、手持ち無沙汰な掌をそよがせるようにしたまま投げかける言葉を前に、普段着姿の王子様から返される返答はこうだ。
「そんだけ自分の親がいいように見えるってのもあるんじゃん、やっぱ。そうでもないとさ、そこまでいいイメージってそうわかないもんじゃん」
「それはねぇ~……」
答えながら、仲睦まじいとしか言いようのない友人夫婦の様子をありありと浮かべてみる。
学生時代から紡がれ続けてきたというかわいらしい恋人同士のとっておきのいとおしい時間を経た末で、次へと進むための選択肢として『夫婦』になることを選び、そこから新しい命を授かったことで『家族』の絆をよりいっそう深め、そうして得た絆をこうして惜しむことなどなく手渡してくれるようにまでなって――
欠けたところなどなにひとつない幸福で彩られた景色を見せ続けてくれていること、その中でちいさなお姫様はあますことない愛情に包まれながら日々成長し続けていること、その一環に関わらせてもらうことで、まるで宝物のようないくつもの大切なものを分け与えてもらえたこと。
それらひとつひとつを拾い上げていけばきっと、きりがないほどで。
「そいやさぁ、思い出したんだけど」
手みやげに、と持たせてくれた作り置きのお総菜のたっぷり詰まった紙袋の持ち手を掴んだ指先にぎゅっと力を込めるようにしながら、忍は答える。
「いまってね、プリキュアも女の子同士でつきあってたり結婚したりするらしいよ。でもね、誰もみんなそんなのおかしいとか変だとかって言わないんだって」
「……へぇ」
「で、思い出したんだけどね。いとこがよく見てた女の子が戦うアニメでもさ、みんな王子様に守られてばっかじゃなくて、王子様が捕まったらちゃんとみんなで協力して助けにいくんだよね。それにさ、いかにも女の子らしい子ばっかってだけじゃなくって、女の子みたいな男の子も、男の子みたいな女の子もみんないんの。まぁアニメだからってのはあるかもだけど、そん中ではそゆのもぜんぶ『あたりまえ』で『ふつう』なんだよね」
絵本やアニメの世界でもまだまだイレギュラーなはずの『王子様ふたり』のことを、あの子はすこしも笑ったりおかしいだなんて言わなかった。
そのことがどれだけあたたかに感じられたのかなんて、そんなこと。わざわざ口にしなくたって。
「そうゆうのがさ、みんな『ふつう』で『あたりまえ』なんだって、わざわざ言わなくてもよくなればいいのにね。まだわかんないけどさ、あの子がおっきくなって、いつか好きな人が出来た時にそうだったらいいよねって」
「忍、」
見上げた横顔へと、沈みかけた夕陽はやわらかな影を落としてくれる。
「だからさ、俺も周もこれからもお互い健康に気をつけて長生きしようね」
「……そういうオチかよ」
「そうでしょ~?」
にいっと強気に笑いながら、寄り添いあったまま長く伸びた影をじっと眺める。
目と鼻の先には、ふたりで作り上げてきたささやかな居場所の明かりが照らされている。
コンパスも光る石も持っていなくたって見失うはずなんてあるわけもない、大切なかけがえのない場所を照らし出してくれるあのささやかな明かりが、いつか、道に迷う誰かを照らしてくれるかすかな光のそのひとつになれればいいと、すこしだけ思う。
おこがましいだなんて笑われるかもしれないけれど、心の片隅でちいさく願うことくらいならきっと、自由なはずだから。
デートにはうってつけの日 高梨來 @raixxx_3am
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